「人生の意味」の第2弾です。(ページ数は、池田さんの『14歳からの哲学』)
188 仮に、君の人生、君のあらゆる選択は、君のDNAによってすべて決定されているとしよう。それでも、なぜ君のDNAは、そのDNAとして決定されているのかという問いは残る。それを決めたのは、「誰」もしくは「何」なのか。
君が君であるところのもともとの君は、誰でもない。何でもない。何でもないのだから、完全に自由だ。完全に自由であるところの君は、その自由によって、肉体をもってこの世に生まれることを選んだ。ある特定のDNAをもって生まれることを選んだんだ。だから、運命として決定されているDNAとは、君が君の自由で選んだものなんだ。さあ、運命と自由とは、どこが違うものであるだろう。運命と自由とはまったく同じもの、運命とは、君の自由で創るものだとわかるだろう。
ほとんど禅問答!!
189 人は、何でも、「思う」ことができる。これは本当に不思議なことだ。これが自由の原点だ...何もかも、思った通りになる。人生は、自分が思った通りの人生になっている。人は、思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。これは、なんて素晴らしく、かつ、なんて厳しいことだろう。
人生が存在することには、意味も理由もないと述べた。存在するということ自体が、意味も理由もない奇跡的な出来事だからだ。けれども、肉体をもって現実にこの人生を生きる限り、人は様々な出来事に出会い、そのつどの選択を迫られることになる。身近なところでは、学校に行こうか行くまいか、極端なところでは、相手を殺すか殺されるか、自覚してみれば、一瞬一瞬が自分の自由による選択なんだ。その時、人は、何を基準にその選択を為すだろう。自由を制限する社会も規則も、そして「神」も、存在していないとしたら、人は何を基準に自分の行為を選択すればいいのだろう。
自分の選択、それ以外に基準はない。したいことを為し、したくないことを為さないだけだ。よいことを為せば、よいことになり、悪いことを為せば、悪いことになる。何もかもが、思った通りになる。それなら、基準は明らかじゃないか。善悪という基準、価値の基準は、自分の中に、自分の心に、明らかに存在しているじゃないか。だから、人生を生きるための価値は、やっぱり明らかに存在しているんだ。
日本の道徳の授業は、こういうふうに教えてくれましたっけ?
倫理はどうなんでしょうか?
私のお薦めは、『わたし、あなた、そしてみんな』(国際理解教育センター翻訳・発行)です。「わたし、あなた、みんな」は、道徳の4本の柱のうちの3本です。
この辺に書いてあることは、いまだにピンと来たとは言えませんが、『わたし、あなた、そしてみんな』の方はすでに20年前にその必要性/重要性にピンと来て翻訳していました。
しかし、「20年前」もある意味では遅すぎです。(当時の私は、34~5歳!!)この辺で扱っているテーマを池田さんも「17歳から」と設定していますし、『わたし、あなた、そしてみんな』も中学・高校で使える教材として開発されたものですから。
でも、まったく触れることもないよりは、いくら遅くても接点があった方がいいと前向きに解釈したいと思います。
今回も、『ギヴァー』が(「哲学」ということを通して)接点を見出してくれました。
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