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2017年11月16日木曜日

ギヴァーの世界たちへの感想です


立川市の西村知子さんがギヴァーの感想を送ってくれたので紹介します。 
ギヴァーとその続編を読んであれからしばらく経ちましたが、その後もなぜか、子どもたち、対話、学ぶ、教育、そして命ということに、自分なりに関わっていこうとするわたし自身を感じています。 
ギヴァーの入り口は「近未来ファンタジー」のようでいて、そのファンタジーの中に真理が根底に流れているような気がします。
一気に続編まで読み続けたのは、ファンタジーではなく、リアルな私たちの世界ともつながっていると感じて目が離せなくなったのです。
人のもっている感受性や想像力、創造力には、きわめて大事な能力だと考えているのですが、それらを判定しにくいという理由で(わたしはそんな風に受けとっています)
教育の場やコミュニティーの場、家庭の場で除外されてきたのかもしれない……と、自分の過去を振りかえりながら思いました。
判定しにくいことの反対は、判定できるということで、それは「正」「誤」とか、「善」「悪」、「敵」「味方」などです。
なぜ判定したくなるかとしたら、そこに恐れや不安、混乱が入り交じるから。
ギヴァーの世界は恐れから出発したユートピアに映ります。
でもそれは人間という生命として、ある意味自然な流れであるだろうとも受け取れます。
誰でもよりよく生きたいからです。
恐れから生まれ出た秩序には、いずれ、一人ひとりが伸びゆくはずの命の芽を奪う可能性もあることが、物語だけではなく、リアルな世界でも起こっています。
わたし自身は秩序を否定しているわけではありません。
ですがお互いに言い合う(これも多様性のひとつなのかな?)だけでは、状況は変わりません。
多様性と画一性は分離するものではないと考えています。
多様性が集まったときに、議論や論争が起こることも多々あると思います。
わたしという個性がありながらも、時には「いやまてよ?」と自ら考えことで、皆が同じ方向に向くきっかけにもなりうると信じたいです。
そのために、対話(会話ではなく)を大切していく気持ちが強まっています。
続編たちは、ギヴァーのときに感じた衝撃のような動悸は起こらなかったのですが、その分静かなメッセージが込められている気がしました。
その中でも自然たちの描写も多く、印象に残っています。
自然たちは私たちが手を加え過ぎなければ、自ら最適な姿で成長しつづけ、しかも不思議と他の生きものたちとバランスを保つことをしています。
そこには自然のもつ、原理原則が働いているのかもしれません。
そんなところにもヒントはないのだろうかと、今でも想いを馳せています。