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2014年12月28日日曜日

脱藩者としてのジョナス

『日本文化へのまなざし ~ 司馬遼太郎記念講演会より』の中で、山折哲雄さんは「脱藩の思想と現代」というタイトルで章を書いています。というか、講演会で話されたようです。焦点を当てていたのは、『菜の花の沖』の主人公の高田屋嘉兵衛です。

山折さんは、高田屋嘉兵衛を内部告白者の先駆者と捉えていて、「いじめを考えるということが、日本の社会の本質を考えることにつながり、日本の社会を形成してきた組織の原理そのものの基盤を考えることにつながるのではないか...これから内部告発者たちが新しい創造的なエネルギーを噴出させて脱藩すること。そのことによってしか、社会の変革はもたらされないのかもしれません」と言い切っています。

これって、『ギヴァー』の中のジョナスの役割そのものと思えませんか?

山折さんは、『菜の花の沖』という作品の中で、その大切さを予言的に問題提起していた司馬さんはすごい、と言っています(192~219ページ)。

2014年12月27日土曜日

ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』



『ウォルデン』の中にも、飼いならす・飼いならされるが散りばめられているようです。

「わたしはいつも、人間が家畜のもちぬしであるよりも家畜の方が人間の主人であり、家畜の方がずっとより自由であると考えている」

人間の道具が人間を支配しているという発言が、いろんな形で繰り返されている。
「人はその道具の道具になってしまった」
「われわれが鉄道に乗るのではない。鉄道がわれわれのうえに乗るのだ」

そして、こんなふうにも書いていたそうです。
「われわれはメイン州からテキサス州に電信を架設しようと大いに急いでいる。けれどもメインとテキサスとは通信すべき何の重要事ももたないかもしれない。(中略)われわれは大西洋の底をうがって旧世界を数週間だけ新世界に近づけようと躍起になっている。しかし、ゾウのようなアメリカ人の耳に入るニュースは、どうでもいいようなアデレード王女が百日咳にかかったということかもしれない」

ここに述べられていることと、Eメールや携帯電話は同じようなものです。私は携帯電話があってもEメールがあっても、中毒になるに違いないと思います。中毒向きの性質ですから。

 以上は、『日本文化へのまなざし ~ 司馬遼太郎記念講演会より』の中で、エドワード・サイデンステッカーさんが書いていることでした(102~9ページ)。


★ 『森の生活』 =『ウォルデン』読まなくっちゃ!!  これまで何回か、日本語訳に挑戦しましたが、ことごとく挫折してしまったので、今度は原書で挑戦してみようと思います。

2014年12月17日水曜日

谷川俊太郎さんの詩



谷川俊太郎さんにとっても、人間の一番の友だちは、ここまで書かせる存在のようです。

犬に

人のより
おまえの瞳を僕は好きだ

ほんとにきれいな無邪気さが
僕の気持を甘えさせる

無限の純粋が
僕にとっては神に等しい

(犬の瞳に音楽のあふれ
泉の如く音楽のあふれ)

人のより
犬の瞳を僕は好きだ

かなしみの時に
犬よ
おまえの瞳に
僕はなきたい

  『みんなの谷川俊太郎詩集』(角川春樹事務所)より

2014年12月14日日曜日

川崎洋さんの詩



引き続き、「飼いならす」のテーマで詩人たちの作品の紹介です。


『川崎 詩集』(ハルキ文庫)から・・・・

 動物たちの恐しい夢のなかに

 犬も
 馬も
 夢をみるらしい

 動物たちの
 恐しい夢のなかに
 人間がいませんように

2014年12月10日水曜日

まどさんの詩

まどみちおさんが、これまで数回の隠れた(?)テーマだった「飼いならす」で詩を書いていたのを見つけました。『まどみちお詩集』井坂洋子編解説、ハルキ文庫の中の134ページです。

喜んでいるのだろう
             
              犬は喜んでいるのだろう
              自分がちょうど犬くらいに
              犬にして貰えていることだけは

              雀も喜んでいるのだろう
              自分がちょうど雀くらいに
              雀にして貰えていることだけは

              ヘビもアリもタンポポもスミレも
              みんなめいめいに喜んでいるのだろう
              自分がちょうど自分くらいに
              自分にして貰えていることだけは

              で 人間は
              もちろん きみも
              喜んでいるのであってくれますように!
              自分がちょうど人間くらいに
              人間にして貰えていることを

              そして そのうえに
              犬も雀もヘビもアリもタンポポもスミレも
   そのほかのどんな生き物でもが
              みんな ちょうどその生き物くらいに
              その生き物にして貰えていることをまでも

2014年12月2日火曜日

『星の王子さま』



『星の王子さま』のハイライトの一つは、キツネの発言の「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」ですが、この前後の王子様とキツネのやりとりのテーマは、「飼いならす」でした(21章)。過去5~6回の犬をテーマにしたブック・プロジェクトのテーマの。

しかし、日本語版の翻訳は、子どもを意識し(すぎ)ているのか、原語とは違う形で訳されています。(いいことなのか、悪いことなのか??? 訳文としては、いいと捉えるべきでしょうか? それも、主な読者を子どもたちに設定したときは? しかし、大人も読者に含めると・・・?)

キツネは「あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんなは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんなにとって、かけがえのないものになるんだよ」と言いました。

そしてこの後は、訳者の内藤濯さん、「飼いならす」をほとんど「仲良くなる」や「友だちになる」と訳します。

しかし、キツネは仲良くや友だちのレベルでは捉えていません。そして、こう言います。

「自分のものにしてしまったこと(本当は、「飼いならしてしまったもの」?)でなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もうなにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物を買ってるんだがね。友だちをうりものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだから、人間のやつ、いまじゃ、友だちなんかもってやしないんだ。あんたが友だちがほしいんなら、おれと仲よくするんだな(本当は、飼いならすんだな、です)」

そして、この関係は、バラと王子さまとの関係にも言えると。

ウ~ン、「飼いならす」と「友だちに(仲良く)なる」との関係というか、違い、わかりましたか??