★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2014年8月30日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 104



久しぶりの「関連のある本」です。
その本とは、レイ・ブラッドベリ著の『華氏451度』。

これは、私が前から「そうだ」と薄っすらは感じていて、本も借りてはきたのですが、残念ながら読めなかった本です。でも、その映画版を先週観て、やはり関連がありそうだ、ということで、本も読んでいるし、それをテーマにして行われた今年の「ヨコハマ トリエンナーレ 2014」にも行って、大きな刺激を受けていた協力者の伊賀さんに2冊の本の関連を書いてもらいました。今回は、その1です。


『華氏451度』の主な登場人物

 モンターグ  : <火トカゲ>という本を焼く仕事(焚書仕事)をしている。
 クラリス    : 隣の家の少女。「反社会的存在」として殺されてしまう。
 ビーティ署長 : <火トカゲ>の署長。
 ミルドレッド  : モンターグの妻。あらゆる物事をすぐに忘れてしまう。睡眠薬を常用している。
 フェイバー  : 1年前にモンターグと公園で遭遇。元英語教師。
 グレンジャー : 「反社会的存在」と言われぬように浮浪者のように移民として暮らす。

【背景・状況】
 書物を所持することは、大罪。
 書物は残らず焼く<火トカゲ>とよばれる焚書仕事が、役所にある。
 
 車をゆっくり走らせたり、徒歩で移動すると、刑務所に入れられてしまう。
 <海の貝>と呼ばれるラジオの様なものを耳にはめる。
 <海の貝>からは、様々な情報が流される。
 テレビや映画はだいたいどの作品も、始めから終わりまでで5分程度。

① 人々に考えさせない世界

 私の記憶では、『ギヴァー』は人々が苦悩や苦痛を味合わないよう、排除を重ね、理想郷を確立していたと思います。その排除に排除を重ねた世界は、人々から「思考」をも奪っていたと思います。『華氏451度』では、「人々に考えさせない」ために、書物を焼き、中身のない情報を常に発信・受信し、スピードを重視した世界をつくっています。
 そして、その世界は両作品とも、誰か強力な一人の為政者の手によるものではなく、そのコミュニティの大多数の人間の意向でつくられた、というところにその根深さと脅威があります。さらに、そこが、根底に流れるメッセージの一つのような気もします。そしてそれは、身近な自分たちの世界と類似しているような

    <メルマガからの続き>

【教育】 クラリスの言葉より
(「どうして学校に行かないんだい?」というモンターグの問いに対して)
 「あたしたち、質問することがないのよ。ほとんどの生徒がしないわ。教師は生徒に向かってしゃべるだけ。あたしたちは四時間以上も、そこにすわっているだけ。なにしろ、教師はフィルムですもの。…ジョウゴがたくさんあって、上から水をどんどん注ぎこむ。それが、そのまま、底から流れ出てしまうようなものよ。…一日の授業が終わるころには、あたしたち、くたくたになってしまうわ。何をする気力もなくなっているのよ。…」

【メディア】 ビーティ署長の言葉より
 「…二十世紀の初期になって、映画が出現した。続いて、ラジオ、テレビ、こういった新発明が、大衆の心をつかんだ。…そして、大衆の心をつかむことは、必然的に単純化につながらざるを得なかった。… 映画、ラジオ、雑誌の反乱。そしてその結果、書物はプディングの規格みたいに、可能な限り、低いレベルへ内容を落とさねばならなくなった。わかるかね。… 本だって、それにつれて短縮され、どれもこれも簡約版。ダイジェストとタブロイド版ばかり。全ては煮詰まって、ギャグの一句になり、簡単に結末に達す る。…映画だって、いよいよスピードアップだ。わかるか、モンターグ。これだってスピード第一なんだ。カチッ!ほら、映った。早く見ないと消えてしまう ぞ!あれだ!カチッ!ほら、大急ぎで!ペースは速い。上だ、下だ!内だ、外だ!なぜ、どうやって、なにを、どこで?え?おお!バン!パチッ!ドン!…なん なら見出しだけにしておくか。どうせ、みんな消えてなくなることだ!人間の思考なんて、出版業界、映画界、放送業界―そんな社会の操る手のままにふりまわされる。…」

【コミュニティの意向】 ビーティ署長の言葉より
(「ぼくたちの焚書の仕事はいつ始まり、どうなったか」というモンターグの問いに対して)
 「わかるだろうな、モンターグ?これは決して、政府が命令を下したわけじゃないんだぜ。布告もしなければ、命令もしない。検閲制度があったわけでもない。そんな工作は何一つしなかった!工業技術の発達、大衆の啓蒙、それに少数派への強要と、以上の三者を有効に使って、このトリックをやってのけたのだ。…人間は、憲法に書いてあるように、自由平等に生まれてくるものじゃない。それでいて、結局は平等にさせられてしまう。誰もが他のものと同じ形をとって、初めてみんなが幸福になれるのだ。高い山がポツンと一つそびえていたんでは、大多数の人間が怖気づく。嫌でも自分の小ささを味わわなければならんことになる。といったわけで、書物などという代物があると、隣の家に、装弾された銃があるみたいな気持ちにさせられる。そこで、焼き捨てることになるのだ。銃から弾を抜き取るんだ。考える人間なんか存在させてはならん。本を読む人間は、いつ、どのようなことを考え出すかわからんからだ。…」

【中身のない情報発信・受信】 クラリスの言葉より
 「あたしはときどき、お家を忍び出て、地下鉄の中で、みんなの話を聞くことにしてるの。…どんなことをしゃべっているのか、あんた、知っていて?」
 モンターグ「何を?」
 「みんな結局は、何の話もしていないのと同じなのよ。」
 モンターグ「そんなばかなことが!」
 「ところが、そうなの。…いろんな車、いろんな着物、でなければ、水泳プールの名なんか、むやみにならべたてるけど、つまりはそれが素晴らしいというだけよ。誰のしゃべっていることも、全然変わりがないの。みんな、同じことばかりだわ。… あんた、美術館へ行ったことがあって?あそこも抽象画ばかり並んでいるわね。今ではそれが全部だけど、あたしの叔父の話だと、むかしはまるで、違ったもの が並んでいたそうよ。もののかたちを描いたものがあったんだって。中には、人間の姿を写していたものもあったそうよ。」

【中身のない情報発信・受信】 モンターグが列車に乗った時
 聖書の内容を記憶しようともがくモンターグ
 ’できるだけはやく読めば、いくらかの砂が、ふるいのうちに、残るのではないか。だが、いくら夢中で読んでも、言葉がすべて、彼の頭から滑り落ちていった。あと数時間もすれば、ビーティが、姿を現す。そのときはこれを、彼の手元に差し出さなければならない。…どの句も、取り逃がすわけにはいかぬ。どの行も、記憶のうちに残されなければならない。何とかしてやってのけたいものだ!…トランペットが吹き鳴らされ、広告放送が流れてきた
 ―デナムの歯磨
 彼らは労せず
 ―デナムの
 地の百合を想え―うるさいぞ!やめないか!
 ―歯磨!
 …デナム歯磨の広告放送がいよいよ声を大きくして、今まで腰を降ろしていた乗客たちは、そのリズムに合わせて、足を踏み鳴らしている。デナム歯磨、デナ ム歯磨、歯磨、歯磨、歯磨。ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。誰の口元も、デナム歯磨の発音通りに、わずかではあるが、動いている。数十トンとも思われる音響を、モンターグの頭上に浴びせかける。…



ヨコハマ トリエンナーレ 2014
『世界受信機』イザ・ゲンツケン
 「まるで、触角のように突き出た2本のアンテナで、あちこちから発信される声なき声を受信し、拾い集める≪世界受信機≫。硬いコンクリートという物言わ ぬ物質の中に、膨大な情報のエネルギーを蓄え、沈黙が持つ重みや深さについて、私たちに内省を促す装置でもある。」 森村



2014年8月19日火曜日

シリーズ完結作『SON(息子)』

 SONの内容紹介を、訳者の島津やよいさんが書いてくれました。

あらすじ
少女クレアは,13歳になると〈器〉の任務をあたえられ,14歳で〈産品〉を身ごもった。
やがて生まれた男児の〈産品〉は,知らぬまにどこかへ連れさられてしまう。
〈器〉は〈産品〉のことを忘れるよう義務づけられていた。
しかし,クレアにはそれができなかった。
彼女は決心する――たとえ行く手になにが待ちうけていようとも,自分の〈息子〉を探しだそう,と。
3作の登場人物が一堂に会し,『ギヴァー』の世界の謎が解き明かされる。
そして〈善と悪〉,〈力と弱さ〉をめぐる苛烈で壮大な物語が,ついに真の完結をむかえる。

読みどころ
みなさん,第一作『ギヴァー』で,「解放」に勝るとも劣らず
おぞましい習慣があったことをご記憶かと思います。
まだ幼い少女に出産をさせ,
しかもコミュニティの未来世代として子どもをとりあげてしまう,
〈出産母〉の習慣です。
(ジョナスの妹リリーが,「楽そうだから」というので
〈出産母〉になりたいと漏らすと,お母さんが
「人からあまり尊敬されない職業なのよ」とたしなめていたのが印象的でした。)

完結作『SON(息子)』の主人公(のひとり)は,この〈出産母〉です。
あらすじを知ったとき,訳者はすぐに思いました。
作者が2年前,長年「三部作」だったシリーズに新作を加えたのは,
昨今の生殖医療の進展にともない,
「代理出産」の問題を改めて書いておかねばと思ったのではないか,と。
現在,日本人男性がタイでの代理出産に関わっていたとして,
日本でも何度目かにこの問題が注目を集めています。
SON』はその意味で,のっけから問題含みの作品と言えます。

しかし,何と言っても,この作品の最大の目玉は,
『ギヴァー』ファン垂涎の,言ってみれば「壮大なスピン・オフ作品」だという点でしょう。
(スピン・オフと呼ぶには,あまりに濃密で壮大な物語ですが。)
ジョナスの脱走後,コミュニティに残された人々はどうなったのか。
あの〈任命〉の日の前後,コミュニティで何が起きていたのか。
『ギヴァー』の世界の謎を解く鍵が,これでもかというほど登場することでしょう。
あの拍子抜けするようなラストシーンや,
続く『ギャザリング・ブルー』『メッセンジャー』でも解明されなかった
「あの人物のその後」を知りたいファンにとって,必読の内容となっています。

**********

3作『メッセンジャー』(こちらも,ファンタジー性やドラマ性においては,むしろ前2作よりも優れていると言えるほど素晴らしい作品ですので,ぜひご一読を!) がようやく校了となったばかりではありますが,できるだけ早くこの完結作『SON』も訳し終えて,みなさまのお目にかけられるよう,がんばります!
                         ――訳者・ 島津やよい

2014年8月18日月曜日

『ギヴァー』の映画、封切り!



 原作者のロイス・ローリーも、お気に入り!!
 (なかなか、原作者が気に入るこの手の映画をつくるのは難しいと思いますから、相当のいい出来なんだと思います。Twitterの映画専用アカウントhttps://twitter.com/thegivermovie を見ると、明らかです。でも、これに書き込むのは好きな人だけ?)

原作者インタビュー映像
https://www.youtube.com/watch?v=_X2HQ2SA1wI&feature=youtu.be

***ローリー氏コメントの訳***

原作をこれほどまでに深くリスぺクトしてもらい、
このうえなく嬉しく思っています。
映画の製作者たちは、わたしの作品世界に
壮大な広がりを与え、最高のかたちで映像化してくれました。

***

物語のクライマックスで、主人公の少年ジョナスが、
赤ちゃん(ゲイブリエル)を連れてコミュニティを脱出し、
旅に出る場面があります。
わたしは、あの場面を書いたとき、ある縛りを感じていました。
というのも、そのときわたしが作家として
「話させる」ことができたキャラクターは、
たったひとりだったからです。
もうひとりは赤ちゃんで、まだ口がきけませんから、
場面に会話を入れることができず、単調になりがちだったのです。
ところがそれが映画になると、観客は少年と赤ちゃんの背景に、
この世のものとも思われないほど美しい風景を
堪能することができます。
自然の風景は、この映画のもうひとつの
キャラクターとさえ言えるでしょう。

***

それから、もうひとつ、わたしの創作した
〈主席長老〉というキャラクター、
これも映画ならではの奥行きをもつことになりました。
脚本家、そしてこの役を演じるメリル・ストリープは、
人物像をふくらませ、〈主席長老〉を
じつに複雑なキャラクターに昇華してくれました。

***

当然ながら、わたしは物語のあらすじと結末を知っています。
脚本も事前に読んでいました。
だから、なにもサプライズはありませんでした――
ただひとつ、すべてがサプライズだったことを除いては。
完成した映画を観て、わたしはどれほど圧倒されたでしょう。
いく度、背筋がゾクゾクしたことでしょう。
ついに、壮大で美しい映画『THE GIVER』が完成しました。

   ★ 以上の訳は、本『ギヴァー』の出版元の新評論です。


 なお、このインタビュー映像の近くには、主演のジョナス役のBrenton Thwaitesのインタビューもたくさんあります。オフィシャル・プレス・カンファランスも感動的でした。
 それを見ると、この映画はJeff Bridgesジェフ・ブリッジズが18年間こだわり続けた映画だということもわかります。(そのころは、当然のことながら、この映画に出演している若者たちはまだ生まれていなかったか、赤ちゃんだったわけです。)原作のローリーさんも、「当初はすぐにできると思っていて、こんなに待たされるとは思いもしなかった」と語っています。「でも、本当にいいものは時間がかかる」とも。オスカー俳優のブリッジズ氏が原作から離れてしまうのに抵抗し続けた18年間だったようです。

2014年8月15日金曜日

ネルソン・マンデラの行動哲学



ネルソン・マンデラの自伝『自由への長い道』は、ちょっと長すぎて読めなかったので、同じ著者(実は、あれを書いていたのは、リチャード・ステンゲルという人だったのですね。それは、そうです。彼の人生で一番忙しかった時期にあんな大部の本を自分で書けるはずがありませんから!)の『信念に生きる ~ ネルソン・マンデラの行動哲学』に目を通しました。

その行動哲学は、以下の通りなのですが、

 私には、ジョナスの行動哲学とダブって見えてきてしまいました。
15全部を満たしていたわけではありませんが、(一つか二つを除いて)ほとんど!!
何事かを起こそうとする人は、共通にもっている特徴/資質なのでしょうか?

ちなみに、アメリカでは今日、映画『ギヴァー』が封切られます。
日本での封切りはいつ??

2014年8月14日木曜日

議員・議会という名の無駄使い


   水族館にクルーズ、市議「後ろめたいことない」

「埼玉県内40市議会のうち、さいたま、川越、熊谷、戸田、狭山の5市議会が昨年度、公費を使った海外視察を行っていたことが読売新聞の調査でわかった」という内容です。

でも、これじゃ、埼玉県だけがしているように聞こえますが、状況は他の都道府県も変わりありません。そして国会議員も、前々から繰り返し言われてきていることですが。

要するには、政務活動費も、海外視察も、選挙にかかる費用も、そして議員の給料までも、すべては税金の無駄遣い、というのが実態です。
だって、社会の改善に役立ってくれていないんですから。

代表制民主主義という機能していない制度は、もう大分前から見直す必要があります。

理想は、『吉里吉里人』のタッチ制かな? 『ギヴァー』のコミュニティは、それに近いような気がしませんか? 本来、お金をほとんどかける必要がないもののような気がしませんか?

2014年8月11日月曜日

二十四節気の季節感とのズレ



どうも、問題はこれのようです。

たとえば、6月22日は夏至と認識している人はいても、それが「夏の中心」と位置づけている人はいません。なんといっても梅雨の真ん中ですから。
夏の中心はその一か月あとの7月22日から8月中旬ぐらいの一月間ぐらいではないでしょうか? 8月7日で秋を感じるというのは、いくらなんでも早すぎます。ここでも、約1か月ズレています。

要するには、幻想の季節感と体感による季節感のあいだに一月から一月半のズレが生じているわけです。(それとも、私の体感による季節感がズレているでしょうか?)

あなたは、幻想派? それとも、体感派?

       幻想の季節感  体感による季節感
立春 2/4頃  春のはじめ ~ 冬の中心
春分 3/21頃 春の中心  ~ 春のはじめ
立夏 5/6頃  夏のはじめ ~ 春と夏のあいだ
夏至 6/22頃 夏の中心  ~ 梅雨の中心
大暑 7/23頃 暑さが厳しい~ 梅雨も明けて本格的な夏
立秋 8/7頃  秋のはじめ ~ 猛暑の真っ只中=夏の中心
秋分 9/23頃 秋の中心  ~ 夏の終わり、秋のはじめ
立冬 11/7頃 冬のはじめ ~ 10月中旬~11月中旬が秋の中心
冬至 12/22頃 冬の中心  ~ 冬のはじまり


私も、暑中見舞いや残暑見舞いを出すことまでは反対しません。逆に、とてもいい習慣を残していると思うぐらいです(もらう場合は、上記の体感による季節感に受け取りたいですが。) それは、基本的に誰の迷惑にもならずに、コミュニケーションの活性化に役立っていると思いますから。

でも、「残暑」「残暑」のテレビやラジオの連呼は、迷惑です。
選挙の連呼や、自治体の見守り放送や、廃品回収の呼びかけと同じレベルで。すべて騒音公害です

2014年8月9日土曜日

季節感のない『ギヴァー』の世界がうらやましい!



また、「残暑」「残暑」を連呼される、うっとうしい季節に突入しました。
少なくとも、1か月はズレテイルにもかかわらず。
9月中旬まで待ってもらえないでしょうか。
忠実に旧暦に右へ習えするのではなく、気温で判断してもらいたいです。

『ギヴァー』の世界には、このようなアホなことは起こりません。
天気も、温度も、全部管理されていますから。
間違って、「残暑」「残暑」などと連呼するような人が出ようはずがありません。
私は季節がないのがいいとはまったく思いませんが、季節感や体感温度は極めて個人的なものなので、たとえ暦(旧暦)だからと言って、テレビやラジオで、連呼されるのだけは勘弁してもらいたい、ということだけです。
いまから8月一杯は、まだ「酷暑」が続くというのに、どう考えても「残暑」はないでしょう!!
たまたま今日は30度以下で涼しいですが、明日からは再び30度以上の最高気温と、27~28度の熱帯夜が毎日続く予報になっています。(これのどこが「残暑」??)

なぜ、日本人はこんなに「残暑」が好きなんでしょうか?
言っていれば、涼しくなるとでも言うのでしょうか?

政務活動費という名の「税金の無駄遣い」



東京都議会の2013年度の政務活動費が6日公開され、交付総額8億8260万円の95%にあたる8億4029万円が使われていたことが分かった。
政務活動費は議員の調査研究のため、議員報酬とは別に1人あたり月60万円が各会派に支給される。

「調査研究」のために、議員さんたちがお金を使えるなどとい思っている有権者はどれだけいるでしょうか?

自分たちでチェック機能を持つことは不可能であることは誰もが知っていますから、第三者機関を設けて、申請ベースで支払ったらいいと思います。 そうすれば、使い道を真剣に考えるでしょうし、同時に95%以上の税金の無駄遣いは避けられるでしょう。

そうは、思いませんか?

これって、すべての議会で行われていることなので、無駄遣いされている税金の額は、相当なものです。★おそらく、国会レベルの方が無駄の額ははるかに大きいことは予想がつきます。

『ギヴァー』のコミュニティの長老たちに、政務活動費が支払われているとは思えません。


★ すでに、このブログで繰り返し書いているように、北欧のように、ほとんどの地方議員を時間制の議員にすれば、単純にこのような無駄遣いは大幅に縮小されるだけでなく、各政党がしっかり調査研究はやるようにもなります。 日本にある仕組みは、まったく実態に即しておらず、単なるばら撒き行政の一環を担っているだけです。(同じ人たちが、そのばら撒きの責任者でもありました!!)

2014年8月7日木曜日

カラス 2


 カラス・オタクならぬカラス研究者2人の本を読んで、カラスの奥の深さに気づかされました。そして、人間の無知がおこしている問題についても。

 『ギヴァー』のコミュニティには、カラスを含めた鳥はいません。それが、いいことなのかどうか? 私たちの社会も、いないも同然に扱っているのかもしれませんが、気づけさえすれば、いるのですから、それ相応の接し方も導き出せます。もちろん、鳥を含めてたくさんの動物や植物とうまく付き合い、そしてその触れ合いからいろいろなことを感じ、さらに生み出している人たちもたくさんいます。

 そういえば、ジョナスはコミュニティを抜け出してから、数日後に、鳥が飛ぶスペースに行き着きました。あれは、いったい何を意味しているのでしょうか?

 以下は、2冊目の本 ~ 『世界一賢い鳥、カラスの科学』ジョン・マーズラフ ~ からのメモです。

21 自然を観察することによって、われわれは人間自身にも、生態系のなかに人間がどう溶け込めばよいのかも、焦点を絞って明確に見直せるようになる。とりわけカラス科の種が世の中で生きてゆくために用いる戦略と生存にまつわる複雑さの一端が明らかになる。これらの鳥たちの暮らしで何が起きているのかを考えてみれば、そこからさまざまなアイディア、知見、芸術面のひらめきが得られる。そして、おそらく同じくらい重要なことに、われわれの妄想にたいする新たな検討事項も生まれてくる。

116 カラスやワタリガラスの個体数、および彼らがわれわれにおよぼす問題は、世界の多くの場所で増えつづけている。これはカラス類に餌、水、すみかを直接に提供するわれわれの生活様式にたいする、予想された反応なのである。問題を減らすための最初のステップは単純だ。人間がいかに不注意からカラスの暮らしを潤しているかを理解し、そうした援助物資を積極的に減らすことだ。
 アメリカでの取り組みは、(1)ごみ捨て場に蓋を設ける、(2)高速道路での野生生物の事故を減らすために、野生動物の動きに見合った設計を取り入れている、(3)オオカミを再導入している。

160 動物行動学の「遊び」の基準:
1)生存にはすぐさま必要でない行動を含み
2)自発的で、楽しい、または自分が報われるもので、
3)完璧でなく、誇張され、ぎこちない、もしくは新規な方法で実行されるか、常に見られるわけではない典型的な行動を含み、
4)かならずしも厳格に型どおりではないが、同様の行動のなかで反復されることが多く、
5)それに加わるものの栄養状態がよく、健康で、ストレスのない良好な条件下で見られる。
161 多くの鳥は遊ぶ。

172 「楽しい」ということは抽象的な観念ではなく、人間だけが体験できることでもない。

219 食べ物と同様、ふれあいや遊びも社会的な動物にとっては報われるものとなる。そのため、報酬はいちじるしく異なった通過 ~ エネルギー(食糧)、社会的絆、経験、あるいは知識 ~ となって払われるかもしれないが、脳のなかで同様の活動を通して行動を強化する。そこではドーパミン、ホルモン、オピオイドが、それに関連した動物の行動を動機づけ、見返りを与えている。

2014年8月2日土曜日

うなぎ  →  カラス


カラスについていろいろ読んだり、調べていたら、なんと私が住んでいる府中市内にある有名な神社の大国魂神社の7月のお祭りでカラスの団扇が約7万枚も配られていることを発見しました。
http://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/sumomo.html
10日前に、今年のは逃してしまいました。もちろん、事前に知っていても、行くことはありませんでしたが。厄除け・厄払いの発想がないので。(もともとは、豊作祈願と害虫駆除だったようで、もっと関係ありません。)

『カラスの教科書』松原始

245 現実にカラスの利用している餌は全く違う場所で栽培されたり、飼育されたり、漁獲されたりしたものから成る。それは人間の食品だ。これは流通、購買というステップを経て、人間以外は誰も利用できない状態で街にやってくる。そもそも産地が違うのだから、都市に存在する生態系ですらない。これがゴミになって街角に出された瞬間、突如としてこの物質が生態系に対してオープンになる。
 つまり、都市というのは、基盤となる生態系がないのに食べ残しだけがポンポン出てくる、という奇妙な場所なのである。ここに、スカベンジャーにとってのみ異様に都合の良い世界が誕生する。路上にゴミを出すというのは、カラスに餌を与えているに等しいわけだ。東京にカラスだけがたくさんいる理由は、極めて単純に、カラスにとっては餌資源がものすごく豊富だから、という事に尽きる。

本でオススメは、これと、『カラスの科学』ジョン・マーズラフ著の2冊です。

ギヴァーのコミュニティでは、うなぎ問題も、カラス問題も想像ができません。