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2017年9月23日土曜日

再び、選挙


1か月後に選挙とか?
なぜ?

安倍さんが自分の権力を維持するため以外の理由は何もありません。

民進党が最悪の状態のうちにやっておいた方がいいのと、これ以上、安倍さんが関わっていたとされる小学校と大学問題で追及されるのを割けるのが目的としか、誰も考えられないでしょう?

公約に掲げるものはすべて、後からこじつけたようなものばかりなので(選挙用に)、改悪ばかり。

前回の選挙から、今回まで、いったい安倍さんは何をしたのか?

2回の選挙を自分の決断(都合)で断行するわけですが、それにかかる経費は誰が出しているのでしょうか? 自分の都合だけでやっているのですから、その経費もご自分で出すのは当然ではないでしょうか?

なんと、600億円です。 ×2回ですから、1200億円。

安倍さんを含めて、議員さんたち、その金額プラス議員報酬に見合う仕事をしてきていたでしょうか? (こういう金額を、まったくといっていいほど気にしないというあたりに、人間性も見えてきてしまう気がします。何のために政治をしているのかが。)

確か、安倍さんは8月3日の内閣改造では「結果本位の仕事人内閣」と胸を張ったはず!

しかし、どこの誰が、2~3か月で仕事ができるというのでしょうか?
(学校の校長など、2~3年ですら、まともなしごとはできないと言われているのに!)

確実に、していませんし、できません。

なぜ、こういう無駄遣いが起こり続けるのか?
そして、それを許しているのは誰か?

2017年9月22日金曜日

「新しい地図」


 逃げよう。

 自分を縛りつけるものから。

 ボーダーを超えよう。

 塗り替えていこう。

 自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌。

 バカにされたっていい。

 心をこめて、心を打つ。

 さあ、風通しよくいこう。

 私たちは、新しい地図。(滝沢文那)



この詩、『ギヴァー』の内容と接点あると思いません?

出典は、https://atarashiichizu.com

2017年9月12日火曜日

日本の「介護費膨張」と『ギヴァー』


下の記事を読んで、『ギヴァー』の著者のローリーさんは、こういうところまで見越してリリース(解放)を考えたのかと思ってしまいました。

 介護費膨張 3つの温床 25年度に20兆円 ムダの解消急務
        (2017/9/10 8:04 日本経済新聞 電子版)

 介護保険が膨張している。介護施設や在宅サービスの給付費は総額約9兆円に上り、2025年度には2倍以上のおよそ20兆円に膨らむ見込みだ。給付の伸びは高齢化だけでは説明しがたく、サービスのムダにつながる3つの温床が浮かび上がってきた。  

 ムダを生む理由の一つは「安さ」だ。例えば生活援助なら1回約2千円。自己負担は原則1割の200円ほど。最低でも1時間925円ほどかかる民間の家事代行サービスより格段に手軽だ。軽い介助が必要な要介護1なら保険給付の月額限度額は17万~19万円程度で、上限内で何度でも利用可能。コスト意識が甘くなり生活の「援助」に使うという本来の目的を逸脱しやすい。財務省幹部は「あまりにずさんな使い方が増えた。来年度改定で厳格に対応する」という。政府内ではサービス利用の上限制導入などが課題に浮上している。
 介護保険の給付費は国や自治体による公費と40歳以上からの保険料(労使折半)でまかなう仕組みだ。健康保険組合連合会によると13年度から17年度にかけて労使を合わせた保険料は7千円近く増え、年9万円に迫る。
 15~25年の要介護の認定者数の伸びは3割強を見込むが、保険からの給付費総額は2倍になる。高齢化で重度の認定者が増える面もあるが、財務省などはムダ遣いなどの非効率が広がってきた影響だと分析している。

 保険対象の施設などには国の総量規制があるが、ここにも死角がある。その一つがサービス付き高齢者住宅(サ高住)などによる需要の囲い込みだ。サ高住自体は一種の賃貸住宅で保険の枠外。ところが運営者の企業などがサ高住に住むお年寄り向けに自社系列の事業者を使い、頻繁な在宅サービスを供給するケースも急増した。
 大阪府が昨年12月公表した調査では、府内のサ高住や有料老人ホームでは給付限度額の9割前後を消化していた。全国平均は約4~6割だ。この6年で府内にサ高住などの施設数が3倍に拡大した結果、その施設と在宅などのサービスが抱き合わせで増えていたのだ。

 では介護サービスの内容を定めるケアプランを厳しくすればいいかといえば、それも困難だ。ここに3つ目のムダの温床がある。介護保険の運営主体の市町村にはプランを精査して見直しを迫る権限がない。介護事業所の経営者は「ケアマネジャーと事業者が結託すれば過剰サービスは防ぎようがない」と明かす。
 介護保険には今年度から収入が多い人ほど多く保険料を負担する「総報酬割」が段階導入される。大企業を中心に約1300万人は負担増の見込みで、高所得者を中心に現役へのしわ寄せは拡大の一途だ。
 焦点は政府と与党が年末にかけてまとめる来年度の介護報酬改定だ。「要介護度が低い人向けサービスを定額制にしたり、事業者が回数を抑えたりする動機付けが必要」。日本総合研究所の西沢和彦氏は指摘する。例えば現行は状況が改善して要介護度が下がると介護報酬も下がり、事業者の経営が苦しくなる。
 そこで自立を後押しした事業者には努力に報いて報酬を上乗せすれば、ムダ遣いを直す余地が生まれる。近年の介護費用の伸び率は医療や団塊の世代が受給し始めた年金を大きく上回る。介護の効率化を進めながら質の高いサービスの担い手のやる気を引き出せるか。介護保険は改革を先送りできないところまで来ている。(小川和広)

2017年6月25日日曜日

ミケランジェロと教師(教育)


先日、中井貴一の「ミケランジェロ特集」のテレビ番組を見ました。(1年前は、レオナルド・ダ・ヴィンチでした。)

それを見ていて思ったのは、彼は、88歳で死ぬ間際までチャレンジし続けたということです。
(レオナルドも、そうだったかな? モナリザに、手を入れ続けたのかな?)

ルネサンス期を代表する天才と、先生を比較したら、先生たちはたまらないのかもしれませんが、やはり私の期待としては、「いい人」だけでは足りず、チャレンジし続けてほしい、成長し続けてほしい、と思っています。
それが、よりよく教えることには欠かせないからです。(『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』でも、強調されていますが、終わりのない旅なので。)
しかし、教師の中には、結構早い段階で、その旅に終止符を打って、旅を切り上げ、教育公務員に専念してしまう(役所の職員と同じで、基本的には思考停止に陥ってしまう)人も少なくありません。
「教科書をカバーすることが仕事(=仕事をこなす)」という捉え方が主流だと、そういうことに拍車をかけ続けます。
教科書は、10分の1とか、5分の1と捉えられると(2分の1、あるいは、5分の4でさえ!)、そうはいかなくなります。他の部分を追求せざるを得なくなりますから。★★

の最後で紹介したように、学び続けている教師か、そうでない教師かは、子どもたちはお見通しです。

教師が子どもたちを把握している以上に、子どもたちは教師のことを把握しています。
(ある意味では、親子関係に似ているところはあるかもしれません。ほとんど、日々の触れ合いですから、否が応でも見えてしまいます。)

 この辺(ルネサンスの巨匠を含めて、現代のルネサンス人、そして教師)については、『理解するってどういうこと?』の主たるテーマの一つです。
  とてつもなく間口が広い本です。
  こういう本は、あと50年しても、日本では出てこないだろうな~、ということで翻訳出版しました。
  翻訳パートナーのこのテーマへのこだわりはすごいものがあります。
  本の出版以降、『理解するってどういうこと?』をテーマにして、その本と関連する本を紹介しつつ、毎月一回(第3金曜日)に、RW&WW便りで紹介し続けています。

★★ 黒澤明監督の『生きる』は、まさに、このことを役人に気づかせてくれる映画です。自分の仕事は単に仕事をこなすことだけではなく、住民のニーズを満たすことが常に何十分の一か、何分の一かはある!! ということを気づかせてくれます。 校長も、教育委員会も、そして文科省も同じ立場にいると思うのですが・・・・




2017年6月6日火曜日

いまの政権の「道徳教育」


いまの政権が道徳教育の教科化を強く推進し、そして実現しました。

そして、同時に、道徳教育の最善(最悪!)の教材も同時につくってしまいました。

それは、「権力をもっているものは、なんでも好きなことができる」です。
(別な言葉でいえば、弱者には「なす術がない」です。)
「自分にとってまずいことは、隠し通すのが得だ」です。


これからどういう社会にしていくのか、末恐ろしいです。


2017年6月1日木曜日

森友問題、そして加計問題


元文科省の事務次官がここまで言う心意はわかりませんが(誰も頼んでいないのに、あえて作り話をわざわざ皆にする必然性はどこにもないわけで!)、安倍さんサイドに相当の問題があったことは明らかといわざるを得ないと思います。

しかし、マスコミの多くも及び腰というか、ウヤムヤにするのに加担していると思ってしまいます。(アメリカで、マスコミがトランプ氏を叩き続けているのとは対照的? しかし、一党独裁というか、一人独裁的な状況は、両国とも同じなのが面白いというか、不愉快というか・・・これが民主主義などと言えるのかな・・・)

何よりの問題は政権党である自民党内と言えるかもしれません。(しかし、実は、選挙で選んでしまっているのは、有権者なわけで・・・結果的に、自分で自分の首を絞めている意識はあるのかな??)

ギヴァーのコミュニティーでは、こういう問題は起こりえるのか? もし起こったときの対処法は? と考えてしまいます。少なくとも、私たちがこの日本でしていることよりは、はるかにマシな気がします。


2017年5月31日水曜日

改めるべき成果出ない長時間練習


無意味な「地獄のキャンプ」。

この記事、単にプロ野球だけでなく、日本で行われているすべてのスポーツ活動はもとより、多くの職場でも日々起こっていることだと思うので、そのまま載せておきます。


なぜダラダラと長い練習が行われてしまうのか?
――里崎さんが現役時代に監督だったバレンタインさんはキャンプも独特だったそうですね。

「まず秋季キャンプがなかったですからね。どうせ休むんだから意味ないと。どうせなら早くオフに入って早く練習を始めればいいんじゃないか、というのがボビー(・バレンタイン監督)の考え。11月いっぱいまで休んで12~2月までキャンプにすればより良い練習ができると。

客観的に見てボビーの方が始動は早いし、合理的ですよね。個人でやりたい人は秋にトレーニングをやってもいいよ、とも言っていたので選手にとっては足りない部分を補足できたので良かったですよ」

――日本だと長時間の練習が美徳とされる傾向はあります。

「一般的にキャンプの全体練習は長い、本当に長い。特に待っている時間。全体練習とは要するに“合わせ”なんですよ。連携を合わせること。自分の出番がなければ待っていなければならない。バッティング練習もそう。

全体で2時間バッティング練習があるとしても、自分ができるのは正味30分程度。全員で一斉に打つわけにはいきませんからね。そうなると、順番待ちしている間に走塁練習やバント練習をするわけですけど……時間合わせでやっているようなもんなんですよ」

――それはなかなか効率が悪いですね。

「はっきり言って無駄です。ボビーの場合は、例えば全体を3つに分けて同時に練習をさせていた。そうすると一気にスタートするから待ち時間が少なくて無駄がないですよね」

――他チームもそうすればいいと思うのですが…。

「そこが日本的な悪い部分ですよ。全部管理したい意識があるんでしょう。長く練習させとけば安心、みたいなものあるし…。効率が悪いんですよ。ボビーは任せるところはコーチに任せていたんですけどね」

弱いチームも強いチームと同じ練習メニュー。それでは強くならない
――時間以外に気になることは?

「引退してから毎年キャンプは12球団を回るようにしていますが、どこも同じような練習メニューですよね。もちろん内容はチームによって異なりますよ。つまり、弱いチームが強いチームと同じ練習をしていても勝てないというわけなんですよ。

元々強いチームが弱いチームと同じだけの練習量だったらどうなりますか? メニューが同じなら差は縮まりませんよね」

――そうなると、キャンプ中によく各球団から出てくる「うちはどこよりも長く練習してきた」みたいなコメントは…。

「意味ないっす。どこも長くやっていますから。『地獄のキャンプ』とか言ってただ走らせて選手がしんどい思いをしているのを見て喜んでいる(笑)。そもそも、シーズンが終わって結果が出るわけですけど、優勝以外はそれまでの準備は不正解なんですよ。

つまり、12球団のうち10球団は不正解。成果が出ていない、ということですから。それなのに何十年も同じキャンプの取り組み方。これで強くなるわけない。成果から振り返って、検証しないとダメですよ」

2017年3月19日日曜日

私たちは常に選択している!


大地震と津波、そして原発事故は、「常日頃私たちが当たり前と思っていることが、実は当たり前ではないんだ」「他の選択肢もあり得るんだ」ということを考えるまたとないチャンスを提供してくれた、と書きました。

個人的には、その前からも、7年経たいまも同じ気分でいるのですが、日本人の多くは先日紹介した安倍さんのように記憶の中から消し去っています。(それは、すでに震災1年後ぐらいから起こりつつあったことのような気がします。) 経済成長路線以外に考えられないという選択のもとに。(経済成長路線というのは、どこかに必ず迷惑 ~確か、経済用語では「外部効果」といったはずです。プラスの場合もあり得ますが、マイナスのもののほうが多いですし、しかもそれは見えにくいという難しさもあります。さらには、時差もあります~ を撒き散らすことになります。)

ジョナスの行動も、もちろん選択の結果でした。


2017年3月13日月曜日

消し去っていい記憶 と 消し去ってはまずい記憶


記憶は、ギヴァーのテーマの一つです。それに関連して・・・

<福島知事>安倍首相式辞に違和感 「原発事故」文言使わず

国レベルと地域レベルの捉え方の違い??

原発推進派の安倍さんとしては、自分の記憶からはもちろん、国民の記憶からも原発事故は早く消し去りたいことなのでしょうが、福島県民をはじめ、それはあり得ないと思っている人は少なくありません。
福島県の事情は、他の被災地域に比べて、あまりにも違いすぎます。
それを、「東日本大震災」で全部同じ扱いにしてしまっていいのかというと、そういうわけにはいかないわけです。 
あくまでも、「大震災+原発事故」のダブルパンチなわけであり、後者の方が大きいのです。前者は天災だったのに対して、後者が人災だったという大きな違いもありました。
   
全国で、いまだに数十人の福島出身の子どもたちが原発事故を理由にいじめに合い続けているという被害も報じられました。同じことが、宮城や岩手の子どもたちに対してあったとは聞いたことがありません。子どもたちが犯しているこの過ちは、大人社会を映し出している鏡のように思います。子どもたちは、それを感じとってしまっているだけで・・・  
 <原発事故6年>牛舎に生きた証し 空腹乳牛が柱かじった跡 のアプローチとは対照的です。



2017年2月10日金曜日

「現代とはどういう時代か?」


友人から、
「現代とはどういう時代か?」「現代人の精神世界はどうなっているのか(何にどう影響を受けているのか)?」というテーマの本が読みたいです。オススメがありましたら、教えてください。
というメールをもらいました。

私の反応は:
トランプやブッシュ(父息子)が大統領になってしまうような状況ですから(半分は支持していますから)、悲劇的な時代であり世界です。(これは、アメリカの話ですが、現代の一部には変わりありません。)
日本は、自民党を支持するのが3分の2近くいるところです。(というよりは、それ以外の選択肢が提供されていない世界!)

何にどう影響を受けているのか? メディア。とくに、テレビではないでしょうか? 最近は、SNSも。
いずれも、自分では考えない、思考停止をもたらす媒体です。
日本は学校で、従順であることや、言われたことを大人しく聞くことを学び、学校以外でもその延長線上でメディアが存在しますから、極めて操作しやすい社会をつくり続けています。
「自ら考えて、判断して、行動する」という人間本来の機能を無視して。

推薦の本は、正直のところ思い浮かびません。
逆に、○○さんがリストアップした本を教えてほしいぐらいです。

石原 慎太郎の『天才』は、入るかもしれません。(私は読んでいませんが!)
あるいは、雑誌の文春を見れば、そういう本が見つかるかもしれません。

ちなみに、当選以来マスコミを賑わしている小池都知事ですが、東京オリンピック問題にしろ、築地の豊洲移転問題にしろ、すべては石原都政の尻拭いばかりです。(いずれも、本当に尻拭いをさせられているのは、都民ですが!)
石原都政は4期の悪政でしたが、都民の4分の3が支持し続けました。
彼がしたことは新銀行東京など、ある意味ではめちゃくちゃでした。(いろいろな意味で今のトランプ現象に酷似!?)
しかし、それを支えていたのは選挙民でした。(これも、アメリカの今と同じ!)
これほど、「現代とはどういう時代か。」「現代人の精神世界はどうなっているのか(何にどう影響を受けているのか)」にぴったりしたテーマはないのではないでしょうか?
そして、大なり小なり、この構造が日本中に散らばっている時代だと思います。東京だけが特別なのではなく。
のように。


2017年2月7日火曜日

新刊案内


ギヴァーのコミュニティーに住む人たち=日本社会に住む人たち に送る本です。

ギヴァーのコミュニティーには、記憶、愛、動物、色などがありません。家族のコミュニケーションも、型どおりの反省会的なものがあるだけです。家族の絆があるとは思えません。

私たちの社会には、記憶や愛や動物や色はありますが、コミュニケーションはギヴァーのコミュニティーと同じぐらいに、悩んでいるのではないでしょうか?
職場で、家庭で、友人関係で。(そして、そのレベルの練習がなされないので、「体制」というか社会とのコミュニケーションも極めて貧弱です。)

「好奇心あふれたオープンな質問」がカギという点では、一昨年の『たった一つを変えるだけ』の続編的な位置づけです。

本のタイトルは、『好奇心のパワー』
副題は、ずばり「コミュニケーションが変わる」

 (ギヴァーの読者には、割引がありますので、giverprojectjapan@gmail.comへ連絡ください。)

2017年1月28日土曜日

世界の最強コーチによる奇跡のレッスン ~ ハンドボール編


前回紹介したのは、スウェーデンの教科書でしたが、
今回は、デンマークのハンドボール(+教育)です。
両者の間には、共通点ばかりです。

ポイントは、「楽しい」と「自分で考える」と「コミュニケーション」と「質問する」。
これらが、日本の授業にはもちろん、スポーツ(部活)にもないのです。

これまでたくさんの競技でのコーチが登場しましたが、今回ほど授業との関連を意識したコーチはいませんでした。
実際に中学校の授業参観をし、教えている先生たちに質問までしてしまいました!!

基本的には、部活で子どもたちがしている体験=授業の体験であることが鮮明にわかります。
そして、残念ながら、日本における両者でいいところを見つけること自体が難しいこともわかります。

NHK 世界の最強コーチによる奇跡のレッスン ~ ハンドボール編は、必見です。
(特に、前編の3日目に授業参観が紹介されています。)

2017年1月15日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 117


『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』ヨーラン・スバネリッド著を読みました。

 社会とは何か? そしてその中の自分とは何で、どういうふうに行動するのがいいのかを考えさせてくれます。★ 

それに対して、日本の社会科の教科書は、知識のオンパレードだけで、考えさせるということは皆無です。(サブタイトルに、「日本の大学生は何を感じたのか」とあり、その大学生たちが言っていることですから、間違いありません!) 

考えさせない教育があり、その結果としての社会がある、へんに納得してしまいます。 

別な言い方をすれば、教えるべきことを教える国と、教えるべきことをあえて教えない国の違い、ということになります。   



★ そこには、必ずしも正解はないかもしれません。(ない方が多いと思います。)しかし、考えることこそが大切なんだと思います。しかし、日本の教育では「正解のないものは教えられません」ということになっています。すべてがすべて、試験を中心に教育が行われているとことの結果です。


2017年1月12日木曜日

『ムハマド・ユヌス自伝』を読む


友人の高校の先生・吉沢郁生さんが、『ムハマド・ユヌス自伝』を読んだ感想を送ってくれたので紹介します。私がグラミン銀行のことを知ったのは、1980年代の半ばでした。そのころは開発NGOに関わっていたからです。コミュニティづくり(国づくり)を考える上で、とても参考になるのではないかと思います。

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 私が子供のころ、家は雑貨商と不動産業を営む商店でした。店を大きくするにはお金が必要です。父は毎月まとまった金額を銀行に預金しつづけていました。どうしてそんなことをするのか父に聞くと、「信用を作るためだよ。お金を借りるには信用がいるからね。銀行はお金のある人にお金を貸すんだ」と父は答えました。
 銀行はお金がある人にお金を貸す。お金がない人にはお金を貸さない。幼い私にはこの理屈が腑に落ちませんでした。なのに、大人になって、いつしかこの理屈を常識として受け入れ、慣れ親しんでしまっています。
 この常識に挑戦したのが、ムハマド・ユヌスでした。『ムハマド・ユヌス自伝(上)(下)』(ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳、ハヤカワノンフィクション文庫, 2015)はそんな彼の思想と行動を伝えてくれます。
 米国の大学で博士号を取り、故国バングラデシュに戻って大学の教職についたユヌスが目にしたのは、飢餓と貧困にあえぐおびただしい人々の現実でした。ユヌスは経済学の理論が、目の前の貧しい人々を救うのに何の役にも立たないことに無力感を覚えます。ユヌスは村に入り、村人たちの現実を知ることから始めます。そして、貧しい人々に少額の融資を行なう試みを始めます。これがやがてグラミン銀行の創設につながります。
 今日マイクロクレジットと呼ばれて世界に広まっているシステムを開発したヌユスの業績はすばらしいものですが、私がこの本を読んで感銘を受けたのは、その業績の底にある人間に対する洞察力、人間を信じる力です。具体的に二つのことを取り上げましょう。

 一つは、お金を借りる側の人たちの自立に関わっています。ユヌスは次のように言います。(注1

 私たちはゆっくりと、独自の貸付―回収メカニズムを作り上げた。(中略)私たちは、事業を成功させるための鍵は、借りる人々にグループを組んでもらうことであるとわかった。
 貧しい人々は一人だと、あらゆる種類の危険にさらされていると感じてしまう。だがグループの一員になることで、守られているという感覚を得られるのだ。個人として見ると、気まぐれで、態度がはっきりしない人もいる。しかし、グループの一員になれば、グループの支援が得られ、同時にグループからの圧力も受ける。
さまざまな仲間からの圧力を受けながら、グループの一人ひとりは、クレジット・プログラムのより大きな目標に向かって、仲間と同調して歩んでいけるのだ。
  (中略)
 グループの力学というのは重要だ。というのも、ローンが認められるためにはグループの全メンバーの賛成が必要であり、その仮定で、グループはローンに対する道徳的責任を感じるようになるからだ。だから、グループの中で問題に直面したメンバーが現れたら、そのグループは一丸となって、その人の問題を前向きに解決しようとするようになる。
  (中略)
 そして借り手のグループというのは、こちらでメンバーを決めて組んでやるのではなく、自分で探してきたメンバーと組むようにすることも決めた。そこで話し合いが行われれば、グループの連帯責任もより強くなるだろう。

 グラミン銀行からお金を借りるには、グループを組んでくれる人を探してこなければならない。こんな高いハードルを設けて大丈夫なのか、と思ってしまいます。しかしユヌスは安易にだれかれとなくクレジットを与えることはしません。ゆっくりと、このハードルを越えてグラミンに参加する人たちを育てていくのです。
 ヌユスは言います。「私たちは女性たちが自らグループを組織し、自らの手でローン計画をたてることこそ大切だと考えている。私たちは自覚を強めたり、リーダーシップを育てるというようなことが、クレジットを交付するよりも先に行なわれるべきだと思っている。」

 もう一つは、お金を貸す側、つまりグラミン銀行のスタッフがどのように村人の信頼を得るかに関わっています。ユヌスは、グラミンの職員は、「勤勉で献身的な銀行員」でなければならないと言います。その言葉だけ聞くと、がむしゃらに働く銀行マンを想像してしまいますが、ユヌスの発想はまったく違います。 
 まず、ある村にグラミン銀行の支店を出すことが決まると、その支店長となる人は、アソシエイト・マネージャー(新しい支店を設立する権限をもった訓練中のスタッフ)と一緒に、その村に行きます。しかし、二人のためのオフィスや泊まる場所があらかじめあるわけではありません。知り合いも紹介者もいません。二人は廃屋や学校の寮、地方議会の事務室などにすみかを見つけます。食事は自分たちで作り、村人から食事の提供はうけません。そして毎日その地域を何マイルも歩き回り、村人に話しかけ、グラミン銀行のシステムについて説明し、村人の疑問に答えます。
 最初のうち、村人たちはそんな二人が銀行の幹部だとは思いません。ところが、二人が修士号を持っている人物で、貧しい村に喜んで住み着き、地元のことを深く理解していることに次第に気づいていきます。そして、二人が個人の利益のためではなく、貧しい人々を助けるために来たのだと認めるようになります。(注2

 支店を出すことを急がないのです。支店を出す前に、その村にグラミンのスタッフが受け入れられること。そのために、勤勉で献身的な姿を見せること。そして村人たちとつながること。それが大切なのだというのがユヌスの信念です。
 人は人とのつながりの中で生きています。人とのつながりの中で、個としての責任があり、連帯することの意味があり、信頼が生まれます。それが社会を支えていく最も根源的な力なのだということを、教えられました。


注1 『ムハマド・ユヌス自伝(上)』230231ページ
注2 『ムハマド・ユヌス自伝(下)』3135ページ