★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2012年10月29日月曜日

『時代を変えた科学者の名言』 3



99 アレクサンダー・グラハム・ベル (スコットランド→米国 電話機の発明)
・ 一つのドアが閉まると、別のドアが開く。しかし私たちは閉まったドアをずっと後悔して見つめているので、新しいドアがすでに開いていることに気づかない。
・ 生きていることは素晴らしい。この世界は面白いことでいっぱいだ。
・ 時には踏みならされた道を離れ、森の中に入ってみなさい。そこでは、きっとあなたがこれまで見たこともない何か新しいものを見出すに違いありません。

101 トーマス・エジソン
・ どんな機械でも同じだが、具合が悪くなったときに、無理やり油を注いでも効果はない。悪くなった油を全部出してしまうのが先だ。

115 マリー・キュリー
・ 希望は人を成功に導く信仰である。
・ 一人ひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能です。
・ 私どもはただ一つの関心、むしろただ一つの夢の中に生きております。

126 アルベルト・アインシュタイン
・ 過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことです。
・ 成功という理想は、そろそろ奉仕という理想に、取って替わられてしかるべき時だ。

149 レイチェル・カーソン
・ 私たちは、いまや分かれ道にいる。
・ 長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。
・ もう一つの道は、あまり「人も行かない」が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。
・ 地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
・ 自然がくりかえすリフレイン
“夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ”のなかには、限りなく私たちを癒してくれる何かがあるのです。

157 エリザベス・キューブラー=ロス
・ 自分自身の「やり残した仕事」を片付けること、それが世界に変化をもたらす唯一の方法です。

165 スティーブン・ホーキング
・ 期待値が「ゼロ」まで下がれば、自分にいまあるものすべてに、間違いなく感謝の念が湧く。
・ 今の仕事を好きになって一生懸命やったとき、次なる道が見えてくるものだ。

2012年10月27日土曜日

『時代を変えた科学者の名言』 2



53 ベンジャミン・フランクリン
・仕事を追え。仕事に追われるな。

64 ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ
・ 青年は教えられることよりも、刺激されることを浴す。
・ 自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人でも持ち上がらない。
・ お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じて出来ない。
・ 行動がすべてだ。栄誉に価値はない。

78 チャールズ・ダーウィン
・ 原因を探求し続ける力が、人を発見者にする。
・ たとえ自分ではどんなに気に入っている仮説でも、それに反する事実が明らかになれば、すぐにその仮説をすてられるよう、つねに心を自由にしておく努力を重ねてきた。
・ 1時間の浪費を何とも思わない人は、まだ、人生の価値を何も見つけていない。
・ もしミミズがこの世からいなくなったら、植物は滅亡に瀕するだろう。 → 人間も!?

82 フローレンス・ナイチンゲール
・進歩のない組織でもちこたえたものはない。

87 ルイ・パスルール
・ 若者は、自分達が教えを受ける教師の光輝に駆り立てられ、鼓舞されるものだ。
・ 青年に神聖な火を伝えるためには、自分自身が聖なる火に充ちていなければならない。

88 アンリ・ファーブル
・ 見ることは、知ることだ。
・ まず考えること、辛抱強く考えつくすこと。人間は自分で探し求め、発見したことしかよく覚えていることはできない。

2012年10月26日金曜日

『時代を変えた科学者の名言』 1

『時代を変えた科学者の名言』藤嶋昭著の中から『ギヴァー』との関連(というか、私がおもしろいと思ったもの)を3回の連載で紹介します。

17 ヒポクラテス
・ 知りながら害をなすな。

19 プラトン
・ 自分の人生の主人公になりなさい。あなたは人生で自分の臨むどんなことでも出来るのです。

24 アルキメデス
・ 生きる、それは自分の運命を発見することである。

32 レオナルド・ダ・ヴィンチ
・ どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体がよく眺められるようになります。

39 ガリレオ・ガリレイ
・ 人にものを教えることはできない。できることは、相手の中にすでにある力を見出すこと、その手助けである。

42 デカルト
・ 信じなさい。あなたの人生は、あなたの思い描いたとおりになると。
・ すべてよき書物を読むことは、過去のもっともすぐれた人々と会話をかわすようなものである。

44 ブレーズ・パスカル
・ 無知を恐れるな、偽りの知識を恐れよ。
・ 想像力は万事を左右する。
・ 隠れた高潔な行いは、最も尊敬されるべき行為である。

2012年10月23日火曜日

『ギヴァー』のコミュニティにおける評価と選考



 「選ぶ・選ばれる・選ばない」の続きです。
 このテーマは、私たちの社会の評価と選考と同じレベルで面白いと思います。
 基本的には、社会というのは評価と選考/選択で成り立っていると思わされます。

 前にも書いたように、「ギヴァー」のコミュニティは一つの年齢は50人しかいません。したがって、評価と選考もそれだけの規模が対象で成り立っています。長老たちの観察が行き届いたなかで行われているさまが、12歳の儀式の選考結果でよく伝わってきます。

 それに対して、私たちの社会(日本レベルであろうと、世界レベルであろうと)は自由な選択があるようで、実際は果たしてどれだけの選択が提供されているでしょうか? 自分がやりたいことを、どれだけやれているでしょうか? 夢見た結婚/家族生活が、どれだけおくれているでしょうか?


2012年10月21日日曜日

日本の入試のおそろしさ



前回の「選ぶ・選ばれる・選ばない」の関連で、『待つしかない、か。二十一世紀身体と哲学』(木田元&竹内敏晴)の中に、日本の大学(院?)入試のおそろしい光景が描写されています。(128~129ページ)

竹内さんは、演劇家だった人が請われて宮城教育大学の先生になった人です。

演劇も、教育も、人間関係が極めて大事だと思っていた竹内さんは、教育界の人たちが人間関係を無視していることを知って愕然としているのです。

もちろん、これは教育学部に限定されず、医学部をはじめ他の学部でも同じことが言えてしまうと思います。人を選考する際の極めて大切な要素を、まったく見ることなく、目をつむってしまうというか、テストの点数だけで評価するという習慣が根強い証拠でもあります。 (下の画像をクリックすると、少しは読みやすくなります。)



 
他の教員たちの「教育者になるならそれは欠かせないだろうが、研究者なら必要な能力ではないだろう」という説得に、竹内さんは「オレは責任取らんけど認める」と折れたそうです。
日本の入社試験では、どれだけ人間関係を重視しているでしょうか? 少なくとも、大学入試のようなことはないと思います。


『ギヴァー』のコミュニティも、人間関係を含めてよりトータルに選考しているように思われます。アッシャーですら、それなりに適材適所のポジションを得ているのですから。

でも、選考で何か欠けている部分/おかしな部分はあるでしょうか?

2012年10月18日木曜日

選ぶ・選ばれる・選ばない


Tさんとのやりとりが続いています。

◆Tさんからのメール:

「選ぶ」という行為は難しいな~と最近思っています。
私は優柔不断なので、食事のメニューを選ぶときなど
「おすすめ」とか「本日の日替わり」などをつい選んで
しまいます。
すべてのメニューから選ぶのが面倒なので。
私の今の人生もそんな感じで選んできたようで、
何かぞっとします。


◆私からのメール:

「選ぶ」「選ばれる」「選ばない」は、『ギヴァー』の
テーマのような気がしますので、私も考え続けたいと思います。

幼稚園・保育園や小学校時代から、選ぶ練習というのは
ほとんどしないのが、日本の学校の一大特徴だと思います。

たとえば、書く時や読む時も、作文のテーマは先生から
提示されるし、何を読むべきかも先生から提示されます
(教科書教材や課題図書の形で)。
作家のサイクルや読書のサイクルで、一番大切なのは、
最初の題材選びや選書(自分が読みたい本を選ぶ)なの
ですが、日本ではこの書き手や読み手が自分で選ぶ練習
というのは一切やりません。
これらが書く時や読む時の8~9割を占める大事な能力
なのに。

まさに、『ギヴァー』のコミュニティと同じ?!

2012年10月17日水曜日

生と死を考える 2+

Tさんから、以下のようなメールをもらいました。


10月15日のブログを拝見して思い出しました。

1ヶ月くらい前にNHKのテレビドキュメンタリーで
出生前診断の事が取り上げられているのを見ました。
何気なく眺めていましたが、出生前診断をして
障害の疑いがあると診断された子どものお父さんが
産むかどうかの判断を強いられていて
「(障害があるから)産むかどうかを選べるのが不思議だ」
と言っていました。
要するに生まれて来て障害があればそれはそれで
受け入れられるのに、生まれる前に「選択する」という
状況?行為?に違和感を感じていたのだと思います。

それを見て私は、『ギヴァー』でジョナスが「着る服を
選びたい」と言っていて、さらに「自分達で選んで間違った
判断をしては大変だ」というような事も言っていたのを
思い出したんです。

ジョナスが言っていたのはこういうことかな~と。

でも間違った判断かどうかの判断もできないよな、と。

そのお父さんは結局、お母さんと話し合って生む判断を
していました。
テレビで取り上げていた夫婦はみんな産みました。
でも、産まない判断をする夫婦の方が数は多いそうです。

2012年10月15日月曜日

生と死を考える 2



 『ギヴァー』と『往復エッセイ「いのち」についての60の手紙 ~ 十代の君たちへ』(山折哲雄+中村桂子著)の関連するところの続きです。

 子どもは「授かるもの」と長年思われてきたが、近年は「作るもの」と思われ始めています(58ページ)。しかし、男女を選べたり、健常児と障害児を選べたり、さらには自分達が作れない場合は「代理母」に依頼したり、と言った具合でもあります。

 一方で、「先祖」が死語になりつつもあります(158ページ)

 

2012年10月6日土曜日

生と死を考える 1



『往復エッセイ「いのち」についての60の手紙 ~ 十代の君たちへ』山折哲雄+中村桂子著を読み、『ギヴァー』と関連すると思ったところを紹介します。

この中に、幼稚園の子で草は生き物じゃない、と言い張る子が紹介され、でも引き抜いて根から何か汁みたいなものが出てきて、生き物だったのか、とこぼすシーンや、

    散る桜 のこる桜も 散る桜

の俳句を紹介しながら、咲く桜を見るときと散る桜を見るときのいずれもが桜を一番感じさせてくれる時であることを思い出させてくれますと書いた後で、

それは、「無常」の2つの意味につながっていきます。(山折:44ページ)

 一つは、形あるものすべて滅すということです。この世に永遠なものは一つもないという原理ですね。ところが、この無情にはもう一つ、それにもかかわらずすべてのものは蘇る、という考え方も同時に含まれているということにご注意いただきたいのです。
 たとえば、植物は冬に枯れはてて花や葉を落としても、翌年の春を迎えるとふたたび花や実をつけ、葉を茂らせます。人もまたこの世に死んで、つぎの世に子孫をのこします。
 仏教の無常観は、そういう自然の摂理と人間の運命を見据えたところに生まれた知恵だったと思うのです。

これに対して、中村さん(47ページ)は、以下のように反応しています。

 植物の場合、鉱物ほど生と死の区別がはっきりしていません。山折先生が、無情のもつ二つの意味としておっしゃった、形あるものはすべて滅するということと、すべてのものは蘇るということとは、まったく反対のことですから、それを一つの言葉の中に入れてしまうのは矛盾以外のなにものでもないわけですが、植物を見ていると何のふしぎもなく、この二つが一つのこととして受け入れられます。
 一方、動物の場合、確かに子孫に続いてはいきますが、死んでしまったイヌやネコが蘇ってきてという気持ちは持ちにくいのではないでしょうか。ですから、もう一度あの可愛い私のネコを取り戻したいと思うと、クローンをつくりたいという気持ちの方へ動きがちです。しかしこれは、すべて滅するという生きものの本質を否定することになり、結局、本当の意味の生を楽しむのとは違うことになってしまうと思います。

2012年10月4日木曜日

月島



 先日、二十数年ぶりで、月島(東京都中央区)を訪ねてきました。

 1984年まで約5年間、田町(港区)に住んでいたことがあるので、自転車でよく通っていました。「この姿は、いつまでもつかな?」と、当時から心配していましたが、その変わりようにビックリしました。

 前と同じように勝鬨橋から渡って行ったのですが、すでにその時点で高層マンション群が目の前にたくさん見えました。以前は、佃島の先に二~三棟あっただけでした。

 商店街は残っていましたが、シャッターで閉じられているか、もんじゃ屋になっているかのいずれか、という感じです。(もちろん、昔ながらの店もチラホラ残っていました。こういう店が残れるには、コミュニティの存在が不可欠なのですが、それが確実に崩壊しているとしか思えません。)

 商店街から入るとあった長屋は、まだ残っているといっていいのか、お店屋さんに変わっていると言ったらいいのか、それとも、3階建てぐらいの新居も建ち始めていると言ったらいいのか、変化は確実に起こり始めています。

 たまたま高齢化社会におけるサービスのあり方についてのワークショップを開くためにアメリカから来日していた2人を案内していたので、テーマと訪問した場所がピッタリあっていて、よかったかもしれません。

 月島と『ギヴァー』に共通点が多いかなと思い、このブログでも紹介する気になりました。でも、月島で起こりつつあることは、日本中で起こっている気はします。

2012年10月1日月曜日

Alone



Alone ひとりぼっち
もともとは、All + one の合成語。
すべてと一つであること。
背景に何かに包まれている感覚がある。
たんにひとりという「孤立」とは違う感覚。


まさに、ジョナスがコミュニティを抜け出してからの感覚。
でも、ジョナスにはゲイブリエルが常に一緒にいましたが。

Understandと同じ出典の『日常を変える! クリエイティヴ・アクション』プラクティカ・ネットワーク編(フィルムアート社)、p.61でした。