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2019年12月28日土曜日

「スウェーデンの民主主義」に学ぶ


前回の3つよりも、大切かもしれない2つです。

・地方レベルの政治家はもちろん、国家レベルの政治家も「普通の人」
~ 特別な車、お雇い運転手、その他いろいろな特権は与えられていません。
  普通の人でないと社会が必要なことを認識できなくなるから。
  その意味では、日本の国会議員の多くを「普通の人」と捉えている有権者はどれだけいるでしょうか? 「先生」という名前が象徴するように、「普通の人」ではないことを当人も、周りも意識しています。

・地方レベルも、国家レベルも、男女ほぼ同数。
~ 日本がスウェーデンのレベルになるのは、あと何十年かかるでしょうか?
  20年、30年では確実に無理で、100年でも半分も無理でしょうか?
  これだけを考えても、とても悲しいですし、真の民主主義が存在しないことのバロメーターとも言えると思います。

2019年12月27日金曜日

日本の民主主義とスウェーデンの民主主義


 『あなたの知らない政治家の世界 ~ スウェーデンに学ぶ民主主義』を読んで、改めて同じ「民主主義」という言葉では語れないと思ってしまいました。
 片や、試行錯誤の末にベストを模索し続ける社会であり、片や、机上の空論としてしかそれが存在しない社会です。
 主には、3つの点で学びたいです。
 ・情報公開 ~ ここ数年、日本国民は安倍さんの情報隠しに嫌気がさしています。自分に都合の悪い情報は、官僚を巻き込んで開示しません。それでは、まともな政治などが行われようがないのに。日本社会は「従順/服従/忖度」社会であること証明しただけでなく、それをより強固にした方がいいということをモデルで示しているようなものです。(民主主義社会とは逆さまな状況です!)
 ・オンブズマン制度 ~ これが、国レベルでも地方レベルでも機能しているとは言い難い状況が続いています。
 ・地方議員のほとんどはボランティア ~ これは、本からではなく、実際に90年代にスウェーデンを訪ねて知ったことでしたが、別な観点からの情報を得られました。今の日本では地方議員のなり手が急激に減少していると言います。職業議員ではなくて、ボランティア議員制に転換すれば、誰にとってもいいのではないかと、この制度を知った20年以上前から思っています!(国政も、日本の議員たちが大したことがやれているとはまったく思えませんから、あの井上ひさしさんが提案した「タッチ制」でいいと思っているぐらいです! https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=%E5%90%89%E9%87%8C%E5%90%89%E9%87%8C で関連記事が。

 でも、政治家と一般市民との関係は、会社等の組織の重役と社員、学校の管理職と生徒(教師は、どっちに入る?)、家庭や地域の中の人間関係と構造的に同じということです。別に、日本の政治家だけが突出しておかしいのではなく! ぜひ、この本を読みながら、ありたい姿/あるべき姿を考えてみてください。


2019年12月23日月曜日

極めて黒い(東京)オリンピック


これまでも東京オリンピックについては、何度も書きました。

そして、最新は

ようするには、政治家、企業、マスコミがすべてグルになっています。
ある意味では、大学入試の茶番=黒い教育も含めて、どの分野も同じということです。
かなり高価な代償を払わされた上で、踊らされるだけなのが声なき民であり続けます。

声がもてるようにするには、どうしたらいいのでしょうか?

2019年12月10日火曜日

世間とは?


今回のタイトルは、「安倍さんの世間 それとも、単なる私物化?」でいこうと思いましたが、後者は除くことにしました。でも、それがメインのテーマであることには変わりありません。
日本に数多く存在する学者の中で、ほとんど唯一、私が人に紹介したいと思えるのは中世ヨーロッパ史の研究者で一橋大学の学長もした阿部謹也という人です。『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』に1980年ぐらいに出合って、その後、中世ヨーロッパについて書いているほとんどの本を読みました。
その彼が、自分の人生の最後の10年ぐらいを費やしたのが、「世間」の研究というか解明と紹介だったのです。「社会」と「世間」は同じようでまったく違います。片方は開いていますが、もう一方は閉じています。閉じているがゆえに、大きな問題も抱えています。阿部さんは、主には大学ないし学会という世間を中心に論じていました。なんとか改善させたいと! しかし、閉じていますから、阿部さんも太刀打ちできませんでした。
安倍さんにまつわる諸々の問題も、その「世間」が巻き起こしている問題と言えます。安倍さんは日本の首相という立場でありながら、実は彼の中では自分を取り巻く「世間」のことしか考えていないことがよくわかります。彼の世間の内側の人と、外側の人とで明快な区別が行われています。日本の政治とは、そういうものと言ってしまえば、それまでですが・・・・しかし、リーダーたるもの、それを貫き通していいのかとなると、まずいに決まっています。歴代首相の中で、安倍さんはその線引きが最も弱い人なのかもしれません。(ちなみに、「民主主義」について、日本の住民はそれを紙の上で知っているだけで、体験を通してしりません。そんな国が、改憲をしてしまうと、何も止めるものがなくなってしまう可能性が大です! もちろん、安倍さんの独裁的ともいえる物事の進め方の問題は大きいですが、それに対してまったくチェック機能を果たせない野党の非力は自分たちの存在感を無に等しい状態にしています。)
 この辺のことは、『ギヴァー』のコミュニティーのリーダーシップのあり方と対比して考え続けています。


2019年12月8日日曜日

開戦記念日


終戦記念日は、その1週間とか2週間前から、毎年いろいろ報道され続けています。
ヒロシマ・ナガサキがありますから、当然な流れと言えますが。

マスコミで「開戦」に触れるところは、ほとんどなくなっています(あったとしても、気がつかないような扱い!)。

しかし、より大事(なレベルではなく、はるかに大事)なのは被害者意識が詰まった終戦ではなくて、開戦のほうです。そこに焦点を当てない限りは、「二度と繰り返しません」と言っても、かなり疑わしいです。原因なしで、結果だけが存在するわけはありませんから。

開戦記念日を考えることは、それに至る日華事変、満州事変、韓国併合、日露戦争、日清戦争等を考えることになりますが(突発的に真珠湾攻撃が行われたわけではありませんから!)、終戦記念日から、はたしてそれらを考えることはあるでしょうか?

「記憶」は、『ギヴァー』の大切なテーマの一つです。

2019年12月6日金曜日

4姉妹の集合写真を40年間も撮り続ける!


 1975年、ニコラス・ニクソンは、43年に渡って4姉妹の写真を毎年撮影し始めました。ニコラス・ニクソンは、4姉妹のうちの一人であるベベと結婚しましたが、ニクソンの写真のシリーズは家族アルバム以上の記録になりました。この白黒写真のコレクションは、多くのギャラリーや博物館で展示され、本としても出版されました(Nicholas Nixon: The Brown Sisters. Forty Years)  

https://www.soolide.com/ja/67815 

2019年12月4日水曜日

ネガティブ・ケイパビリティ―


 ある本を読んでいたら、この言葉が出てきました。
 検索して見ると、


ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)は、詩人ジョン・キーツが 不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する。『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』によると、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことであり、この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ。(Wikipediaより)

  ここで引用されている、帚木蓬生著(2017)『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)を早速借りてきて読みました。こちらでは、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」と定義していました。(左の数字は、この本のページ数です。カッコ斜体は、私のコメントです。)

  9 私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。

  でも、ネガティブ・ケイパビリティは、その逆の能力(つまり、ポジティブ・ケイパビリティ)なのです。


10 帚木さんは、この能力を知って以来、生きることがずいぶん楽になりました、と書いています。「いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています」

76 キーツとネガティブ・ケイパビリティ―を蘇らせたビオンによると、「答えは好奇心にとって不幸であり、病気なのです。<答えは好奇心を殺す>

141 創造(ラテン語でcreatio)の原義はto bring into beingで、「(無からこの世に)存在させる」です。つまり創造行為は、人間が神の位置に立って、無から有を生じさせる鋭意なのです。だからこそ、通常の能力ではなく、ネガティブ・ケイパビリティ―が介在しなければならないのだとも考えられます。

 第9章は、「ネガティブ・ケイパビリティ―が失われ、殺伐としてしまった教育」に特化した章です。

186 幼稚園から大学に至るまでの教育に共通しているのは、問題の設定とそれに対する解答につきます。(要するに、「正解あてっこゲーム」という名の「学校ごっこ」をやり続けます。させ続けます。それを勉強することと誤解して。)その教育が目指しているのは、ポジティブ・ケイパビリティ―の養成です。平たい言い方をすれば、問題解決のための教育です。しかも、問題解決に時間を費やしては、賞讃されません。なるべくなら電光石火の解決が推賞されます。この「早く早く」は学校だけでなく、家庭にも浸透しています。(そして、社会全体にも!
 問題解決があまりに強調されると、まず問題設定のときに、問題そのものを平易化してしまう傾向が生まれます。単純な問題なら解決も早いからです。このときの問題は、複雑さをそぎ落しているので、現実の世界から遊離したものになりがちです。言い換えると、問題を設定した土俵自体、現実を踏まえていないケースが出てきます。こうなると解答は、そもそも机上の空論になります。
 教育とは、本来、もっと未知なものへの畏怖を伴うものであるべきでしょう。この世で知られていることより、知られていないことの方が多いはずだからです。
 著者は、この後、江戸時代の漢籍の教え方について紹介してくれています。ある意味で、いま学校や大学で行われている学びの対極にあったものとして。そこには「土俵としての問題設定」自体がなかったものとして。

189 本来、教育というのはそれ(個人差があるので、落第や飛び級)が本当のありからではないでしょうか。
 ところが、今日の教育は画一的です。横並びで一年一年を足並揃えて、上級学年に上がっていく体制になっています。
 その結果、採用されたのが到達目標とその達成度です。その到達目標も、個々人に合った目標ではありません。あくまで一年毎の建前としての到達目標です。私は学校教育が到達目標を設定したときから、学校が変質したような気がします。
190 これでは、毎年落ちこぼれる/学校学業の場となる子どもが出ても仕方がありません。このところてん式の進級と進学に輪をかけているのが、試験です。この試験突破こそが、学習の最終目標と化してしまうと、たしなみ、素養としての教育ではなくなります。問題解決のための学習、勉強になってしまうのです。

 こうした教育の現場に働いているのは、教える側の思惑です。もっと端的に言えば「欲望」です。教える側が、一定の物差しを用いて教え、生徒を導くのです。物差しが基準ですから、そこから逸したさまざまな事柄は、切り捨てられます。何よりも、教える側が、問題を狭く設定してしまっています。そのほうが「解答」を手早く教えられるからです。

191 しかしここには、何かが決定的に抜け落ちています。世の中には、そう簡単には解決できない問題が満ち満ちているという事実が、伝達されていないのです。前述したように、むしろ人が生きていくうえでは、解決できる問題よりも解決できない問題のほうが、何倍も多いのです。
 そこで教える側も、教えられる側も視野狭窄に陥ってしまっています。無限の可能性を秘めているはずの教育が、ちっぽけなものになっていきます。もう素養とか、たしなみでもなくなってしまいます。
 ・・・教育者のほうが、教育の先に広がっている無限の可能性を忘れ去っているので、教育される側は、閉塞感ばかりを感じ取ってしまいがちです。学習の面白さではなく、白々しさばかりを感じて、学びへの興味を失うのです。
 学べば学ぶほど、未知の世界が広がっていく。学習すればするほど、その道がどこまでも続いているのが分かる。あれが峠だと思って坂を登りつめても、またその後ろに、もうひとつ高い山が見える。そこで登るのをやめてもいいのですが、見たからにはあの峰に辿りついてみたい。それが人の心の常であり、学びの力でしょう。つまり、答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう。
192 学習といえば、学校の課題、塾の課題をこなすことだと、早合点してしまいがちです。世の中には、もっと他に学ぶべきものがあるのに、親はそれを子どもに伝えるのさえも忘れてしまいます。(自然、アートなど。)
193 問題設定が可能で、解答がすぐに出るような事柄は、人生のほんの一部でしょう。残りの大部分は、わけが分からないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯かけて何かを掴み取るものです。それまでは耐え続けなければならないのです。
195 不登校の子が発揮するネガティブ・ケイパビリティ―

200 解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく、消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。
 どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。人間には底知れぬ「知恵」が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来ます。
 「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実な能力の一つなんだよ」ということを、子どもにも教えてやる必要があるのではないかと思います。


2019年12月3日火曜日

ドクター・スースの名言


 ドクター・スースは、私が大好きな絵本作家の一人です。
 すでに、このブログで『きみの行く道』 を中心に、何冊か紹介しています。

 今日は、彼の名言をいくつか紹介したくなりました。
(もちろん、『ギヴァー』というか、ジョナスとの関連で)

今日という日、君はだった。これは真実よりも確かなこと。
君よりも君らしい人なんて、この世には存在しないんだよ
Today you are You, that is truer than true. There is no one alive who is Youer than You

時として問題は複雑であり、答えは簡単である
Sometimes the questions are complicated and the answers are simple

●向こうからここまで、ここから向こうまで、面白いことはどこにでもある
From there to here, from here to there, funny things are everywhere!

●際立つように生まれついたのに、なぜ周りに合わせようとするの?
Why fit in when you were born to stand out?

●あなたこそが、行くべきところを決める人物なのです
You are the guy who’ll decide where to go