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2015年12月24日木曜日

ウ~ン、まったく国際貢献度が弱い、ニホン!



確か、どこかの国の首相は、国際貢献こそがニホンの生きる道、のように言ってませんでしたか??

2015年12月6日日曜日

チャールズ・ディケンズの『二都物語』の書き出し


そうです、あの有名なやつです。初版は1859年です。

●まずは、英語バージョン
It was the best of times, it was the worst of times, it was the age of wisdom, it was the age of foolishness, it was the epoch of belief, it was the epoch of incredulity, it was the season of Light, it was the season of Darkness, it was the spring of hope, it was the winter of despair, we had everything before us, we had nothing before us

以下の2つは、どなたの訳だか控えておくのを忘れました。(教えていただけたら、クレジットを入れます。)

●和訳 1
「それはすべての時代の中で、最良の時代であり、最悪の時代でもあった。英知の時代であるとともに、愚鈍の時代であり、信念の時代でもあったし、不信の時代でもあった。それは光の季節でもあれば、暗闇の季節でもあったし、希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。」

●和訳 2
それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった。
知恵の時代であるとともに、愚痴の時代でもあった。
信念の時代でもあれば、不信の時代でもあった。
光明の時でもあれば、暗黒の時でもあった。
希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。
前途はすべて洋々たる希望にあふれているようであれば、また前途はいっさいの暗黒、虚無とも見えた。
人々は真一文字に天国を指しているかのようでもあれば、また一路その逆を歩んでいるかのようにも見えた。
要するに、すべてはあまりにも現代に似ていたのだ。


 いずれにしても、150年以上たった今も、同じことが言えてしまうのですからスゴイです。私たちは進歩しているのでしょうか?


 ギヴァーのコミュニティは、ジョナスのアクションで前に進むことができたのでしょうか?


2015年12月4日金曜日

「市議会だより」の全戸配布

 私が住んでいる市では「市議会だより」を、「より多くの市民の皆様に議会の活動状況をお知らせするために、平成27年4月から、各家庭の郵便受け等に直接投函する方法での配布をしています。配布につきましては、市議会の予算で、配布業者に委託をしており、その予算は800万円以上が計上されています。」(こんな無駄をあえてしている議会は、全国にどのくらいあるのでしょうか? ぜひご存知の方は教えてください。)

 それを知った私の反応は・・・(以下は、議会担当者へのメールのコピーです。)

一桁違っていたら、妥当かな、と思えますが、
中身のないものに、800万円をかけても、中身が濃くなるものではありませんから、税金の無駄遣いの一言です。(←これは、○○さんの責任ではありません。議員たちの責任です。半分か3分の1は役所サイドにも責任があるかもしれませんが・・・・

もし、お疑いになるようでしたら、市民アンケートないし抽出して市民に対してアンケートなりインタビューなりをしてみたら、明らかになると思います。

費用対効果には、ぜひ敏感になってください。お願いします。


 さらには、市民・国民=有権者の責任も忘れるわけにはいきません。
   選ばれている議員の質やレベルと選ぶ側の市民・国民/有権者の質やレベルは、みごとなぐらいに比例関係にあるわけでしょうから。
  しかし、一方で、仕組み/制度が機能していないとも思わざるを得ません。
  半分前後の人は、毎回の選挙で投票に行かないことを選択し続いていますから。
  以下は、その辺に関する関連情報です。

  質やレベルのどうしようもなく低い市議会だよりを出す(いまの議会を維持する)ことよりも、議会や議員の質・レベルをはるかに向上させることこそが、議会事務局の最大の役割の気がします。(そのために、800万円強の予算を効果的に使えば、議員の質や議会の質は飛躍的に向上する可能性があります。) そんな先行事例は日本にあるはずがないので、ぜひ海外の議会・政治家のあり方に目を向けてください。ひょっとしたら、いまの地方自治で一番大切なことだと思います。日本中を被っている政治・政治家・議会に対する不満を改善することになりますから。

  少なくとも、ギヴァーのコミュニティでこういうことが起こることはないでしょう。日本の政治は、コミュニケーションが取れていないがゆえの無駄。
  ウ~ン、でも、ギヴァーのコミュニティはいまいち意思疎通が取れていない? ジョナスがコミュニティを飛び出さざるを得なかったわけですから。 表面的にはすべてOKな社会ではあっても、矛盾を抱えていた。話し合いではとても解決しないレベルの。


2015年12月3日木曜日

ギヴァーのコミュニティでのコミュニケーション


前回の「アサーティブ」を書いてから、ギヴァーのコミュニティでのコミュニケーションについて考えていました。

 映画では、メリル・ストリープが務めた最長老の独裁的なイメージが強い感じがしないではありませんでしたが(従ってアグレッシブ!)、本の中では最長老の存在感はほとんどないので、宮本常一の『忘れられた日本人』に収録されている極めて古風な「村の寄合」の意思決定方法に似ている感じをもちます。

少ない人数の人たちが、そこで住み続けることを前提にした意思決定だからだと思います。勝ち・負けをつくらない意思決定法と言えるかもしれません。(ギヴァーのコミュニティも、人口約3500人程度の小さなコミュニティです。)時間は掛かるのですが、これの良さはあると思います。

 しかし、そのやり方が今の日本で通じるかというと・・・・

 そこで参考になるのは、私が15年前に書いた『会議の技法』ではないかと思いました。多様な方法を紹介しています。それ以降、たくさんの(大量の?)会議関係の本が出ました。それほど、誰もが会議では苦労し続けている証しだと思います。そして、確実にアグレッシブ(攻撃的)とノン・アサーティブ(非主張的)しか存在せず、アサーティブ(自分も相手も大切にした自己表現)にはなれていないという実情も続いています。(そういえば、『会議の技法』はアサーティブという言葉を使わずに、それへの糸口もちゃんと紹介している本でした。)国会議員や地方議員には読んでもらって、自分の役割(仕事)を磨くきっかけにしてほしいです。