★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2014年7月29日火曜日

うなぎ問題 → 持続可能なライフスタイルの問題



うなぎが絶滅の危機に瀕している、というニュースになってから、もうしばらく経ちます。
今日が、土用の丑の日ということで、NHKラジオの私も一言夕方ニュースの特集テーマでした。

「天然のニホンウナギの漁獲量は昭和36年のピーク時に比べて4%近くまで減少し、
稚魚のシラスウナギも、およそ1割にまで落ち込んでいます。
これを受けて、先月、世界の野生動物の専門家などで作るICUN=国際自然保護連合は、
ニホンウナギを、「近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの」として絶滅危惧種に指定しました。
これは、二番目に高いランクで、トキやジャイアントパンダ、アオウミガメなどが、このランクに指定されています。
今後、漁獲量の管理や、河川や沿岸の環境改善などが必要だとされていますが、取り組みはなかなか進んでいません。」                (以上、NHKラジオから引用)

ゲストが、生態についても、生態に影響を与える地球環境についても、漁獲量についても、わからないことだらけです、と言っていたのが印象的です。(あたかも、為す術がない、と言わんがごとくに。)「そして、これはうなぎという食べものの問題だけでなく、地球環境の問題であり、エネルギーの問題であり、私たちが持続可能な社会をどう築いていくかというライフスタイルの問題です」とも。

うなぎをこれらの問題と関連づけて考えていた人は、どれだけいるだろう。

『ギヴァー』のコミュニティでは、こういう問題は存在しないのだろうか??

2014年7月28日月曜日

司馬さん

 NHKの「知の巨人たち」の第4回は司馬遼太郎さんでした。司馬さんの本はほとんどすべて読んでいる私ですから、いまさらとは思いましたが、しばらくぶりに彼の話し振りや書いたものを見てみるとやはりよかったので、紹介することに。

「敗戦は、ショックでした。
 なんとくだらない戦争や、
くだらないことをいろいろしてきた
国に生まれたんだろう。
一体こういうばかなことをやる国というのは何だろう。
何のために死ぬのかに悩んでいた。
守るべきはずの国民を蹴散らしても守るべき国とはいったい何なのか?
終戦の放送を聴いた後、
なんと愚かな国に生まれたことかと思った。
(昔はそうではなかったのではないか、とも思った)」

  これが、22歳で敗戦を迎えた時の司馬さんの気持ち。それが、日本/日本人とは何かの疑問につながる。→ 22歳の自分への手紙として作品を書き続ける原動力に。

 上の文章もはじめてではありませんが、しばらくぶりに聞いて、新鮮でした。これは、やなり原点だな、と思います。なんと言っても、いまだにその「くだらないことをいろいろ」やり続けている国ですから。

 その司馬さんの『梟の城』、『竜馬がいく』『坂の上の雲』などを含めて多くが、高度成長を支えた企業戦士たちに見事なぐらいに受け入れられたのは、果たしていいことだったのか、どうなのか?

 雑誌『日本のなかの朝鮮文化』への協力を通して、日本/日本人の客観化・相対化も進めます。
 司馬さんが、日本が下降線をたどり始めたのは、日露戦争以降と繰り返し言っていたのは有名なことですが(なんといっても、それまでは坂の上の雲を眺めながらひたすら上り続けた時代だったという捉え方なので)、元京大教授の上田正昭さんは明治9年の江華島事件と主張して大議論を展開したそうです。確かに、西郷はじめ明治の元勲の中には征韓論を主張する人が多く、そうなっていた可能性はかなり高かったわけです。そして、実際に起きた事件が、あまり知る人も少ない江華島事件。日韓合併の素地は、日露戦争後というよりも、すでにこの時期にあったというのが上田さんの主張です。

 司馬さんが、22歳の自分への手紙の一環として構想を温め続けていたのは、日露から第二次世界大戦に到る時期の小説です。そして、1939年に満州とモンゴルとの国境付近でおきたノモンハン事件を題材にすることまで決め、取材もかなり行っていたのですが、結局、書くにたる主人公(登場人物たち)が見出せなかったというか、元気が出るようなストーリーは組み立てられないと判断して、構想は放棄しました。
 でも司馬さんは、くだらないことやばかなことの根元は「統帥権」にあったと踏んでいました。この大日本帝国憲法にあったインチキの理論を振りかざして、軍部は政府が反対できないようにしてしまったわけです。そして、何も責任を取らない「官僚」たち(軍部にもたくさんいたというか、充満していた!!)が組織を組織じゃなくしていったとも。 ~ 今の世の中にも、この「官僚」たちが充満している気がします。単に国レベルだけでなく、あらゆる組織に。

 そういうどうしようもない存在に対して、
 「知的で無私で情熱的な、持続力をもった面白がりが
  たくさん居れば、なるほどその社会は
  楽しくなるのではないか」
と司馬さんは言いました。

 『21世紀を生きる君たちへ』は、これまで小説を書いてきた司馬さんが、子ども向けに書いた初の随筆で、大阪書籍「小学国語」に書き下ろしたもの。ある意味で、司馬さんの「遺言」です。
 その中で、以下の3つの言葉を大切にし、かつ訓練をして身につけてほしいと願っていました。これを書いたのは亡くなる10年前の1987年のですが、日本社会に決定的に欠落していると思っていたのではないでしょうか。(「官僚」たちは、確実にこれらを持ちません!)
 「いたわり」
 「他人の痛みを感じること」
 「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 それから30年近くが経とうとしています。司馬さんが願った訓練はしてきたでしょうか?

2014年7月27日日曜日

スタンレー・ミルグラムの業績



『スモールワールド・ネットワーク』ダンカン・ワッツ著を読んで、引っかかったところを2点。(数字は、ページ数)

51 社会学では、人間の行為あるいは「エージェンシー」(主体の自発性)は、政治・経済・文化といった制度(それらが社会環境を定義する)の中で人々が演じる役割によって、制限ないし決定されると考える傾向がある。マルクスが言ったように「人間は自分の歴史を作る、しかし、・・・・自分自身で選んだ状況の下で歴史を作るのではない」。したがって、社会学とは構造の学問なのだ。

 このエージェンシーという概念が、ずっと日本語にならなくて困っていました。どなたかスッキリ誰もが理解できる日本語をご存知の方、ぜひ教えてください。とても大切な概念なので。概念だけにしておかないで、それが実行されるようにしていかないといけないものなのですが・・・・

158~9 『服従の心理 アイヒマン★実験』スタンレー・ミルグラム/著 に描かれていることは・・・・実験の結果、40人中37人の参加者が、電圧を致死レベルにまで上げた。ここから、ミルグラムは、つぎのような身の凍るような結論に達成した。すなわち、自分の行動の最終的な結果から個人が引き離された官僚制では、人は残虐行為を実行しやすくなるというものだった。★★

 これから思い出したのは、政治家や官僚たちが国や大きな自治体レベルでしていることも似ているのでは、ということでした。ポジションのなせるわざ?
ある意味で、部活動に通じるところがあるような気もします。入部した1年の時は、「こんな理不尽なこと、自分が最終学年になったときは絶対やめてやる」と思っていても、悪習がなくなる気配はいっこうになく、延々と維持されています。

 そして、『ギヴァー』のコミュニティでも、これと同じことは行われているとも・・・ジョナスの父親が新生児をリリースする行為や、ガールフレンドのフィオナも老年の家で高齢者をリリースする行為を行っているんだろうな、と。


★アドルフ・オットー・アイヒマンは、ドイツの親衛隊の隊員。最終階級は親衛隊中佐。ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。19614月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された。
裁判中、自分の不利な証言を聞いている人物が小役人的な凡人であったことが、ふてぶてしい大悪人であると予想していた視聴者を戸惑わせた。裁判を通じてアイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。
また、この公判時にアイヒマンは「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を残した。     (以上、ウィキペディアより)

★★ この後のページに、ミルグラムが実施した調査は、何の疑問ももたれずに引用されることが多いが、その方法論や結果の導き方は、かなり眉唾物であることも期されています。権威にだまされないことが大切というか、なんでも疑ってみることが大切なようです。

2014年7月24日木曜日

朝日の記事「政党政治を問い直す」



これまでの丸山真男の連載との関連で、朝日新聞が7月9日と10日に載せた「政党政治を問い直す」がありました。でも、そもそもこの問題設定自体が、おかしいような気がします!! 「共通の理念や政策をもつ政治家が政党に集い、国民を代表して政治を行う。それが政党政治のはずだが、なんだか空々しく聞こえる。民意を映している気がしないからか」とテーマを設定した当人たちが言ってしまっているぐらいですから。(そして、そのマスコミの呼びかけに呼応する形で登場した「有識者」たち★の発言を読んでも「空々しく聞こえて」しまいました! マスコミも、有識者も、政治家や政党と同じレベルで機能していないことの表れでしょうか?)

 8人の「有識者」の発言が要約される形で載っていたが、唯一コメントしがいがあると思えたのは、唯一の女性代表の阿部彩さんかな?
 女性を「忘れられたマジョリティー」と表現していたのですが、それを言うなら「忘れられた高齢者や若者」、そして「わすれられた国民の大半」??
 「近所のおばさん」たちが国会や地方議会に普通にいる状態にはなくなってほしい、とも言っていたが、スウェーデン等の北欧では、すでに大分前に実現しています。要するに、税金の無駄遣いにしかならない現行の職業議員制ではなく、した仕事分だけの「見返り」制度にすればいい。(基本的には、フリーター/アルバイト並の報酬制度です。)
 でも、ここ1か月の間だけでもマスコミを賑わした東京都や国会の女性差別的なヤジ問題や、兵庫県議会のカラ出張議員の問題等など、女性が半分いれば、起こらない/起こりにくそうな気はします。

 いずれにしても、自分たちこそが国(や地域)を動かしていると思い込んでいる政治家(や官僚)がいる一方で、そういう人たちをまったく見放しているというか、期待していない国民が存在しているという大きな問題があると思います。

 これは、まさに丸山さんが主張していた国民によるチェック機能がまったく存在せず、 独裁化/ボス化/形骸化が維持されている現状です。民主主義は制度としては存在しているのでしょうが、機能はしていない、ということです。あるのは、独裁化/ボス化/形骸化だけですから。でも、この状態から抜け出せるのは誰の力かというと、職業政治家(や官僚)たち自身でないことだけは確かなことも、すでにわかっていますから、市民/国民しかないわけです。ジョナスが一人で、『ギヴァー』のコミュニティに対して行動をとったように!?

 そして、マスコミもこのような企画によって、その独裁化/ボス化を維持する側に立っているのでしょうか? それともチェックする機能を果しているのでしょうか?

 ジョナスのコミュニティでの情報源は、いったい何なのでしょうか? 口コミ?


★ この人選が、そもそも間違っている気がしました。(問題設定自体がおかしいのですが。)基本的には、政党政治擁護派みたいな人たちのオンパレードで、それを超えるものを描き出すのは最初から無理だろうな~、民意を反映する政治のあり方を模索するための視点は、提供してくれないだろうな~、と思わざるを得ないのです。結局、マスコミも空しさの上塗りをしているだけ??

2014年7月23日水曜日

朝鮮戦争、安保、そして高度成長が丸山さんの期待を阻む



丸山真男さんの4回目(最終回)です。

1945年秋に解放され、5年足らずのうちに、戻ってしまった!!!
と丸山さんは嘆いた。
丸山さんは、
日本の議会制民主主義が
朝鮮戦争を契機に危機に当面したと感じた。
多数派支配という日本の民主主義の伝統を
新たな観点から見直していく必要がある。
少数者の権利というところから
民主主義というものを組み替えていく必要がある。
能動的人民をどうやってつくっていくか
日本のおかれている現状の中で、どうやって新しい民主主義をつくっていくかを考えていた。

いまの日本で、「能動的人民」「新しい民主主義」を模索している人は、いったいどれだけいるのかな? 少なくとも、議員、官僚、マスコミ関係者の中には見当たらない?
『ギヴァー』のコミュニティも、この状況は同じ? そもそも、民主主義を志向していない?

民主主義は制度としてではなく、
プロセスとして
永遠の運動としてのみ現実的なのである。 → まったく、その通りだと思います。しかし、圧倒的多数の国民は、所得倍増計画=豊かな生活を選択。永遠の運動への参加を拒否!! それは、福島原発事故以降も変わらず。

丸山さんが1945年に講師として通った静岡県・三島市民大学の受講者が中心に、国や県や産業界を相手に、石油コンビーナート反対運動を起こし、実現した。

デモクラシーの考え方は、パートタイム政治参加です。 → スウェーデンなど北欧では十分にこのパートタイム政治でできている。スケールの違い?? 人間関係のつくり方の違い? 社会の成熟度の違い?
つまり大部分は職業政治家じゃない国民が
政治について最後の発言権を持つという考え方。 ~ 最初も、最後も、まったく発言権を持っていない日本!
アマチュアが政治なんか関係ねえやということになったら
民主主義はおしまいです。  ~ この「おしまいの状態」が、ひょっとしたら最初から? 住民運動/反対運動は、少なくとも議会制民主主義じゃない!
少しの時間をかけて職業政治家を監視しないといけない → マスコミの役割だが、日本では政治家や官僚、場合によっては産業界と「癒着」
やっかいなんです。
やっかいなことによって、デモクラシーは成り立つ。そういう政治の仕組みなんです。

高度成長は決まったレールの上を進むだけ。
民主主義は多様な選択肢がある。 ← その選択肢が提供できない日本の政治(民主主義)。ひょっとしたら、最初から提供するつもりもない? 統治する側に、そういう意識はないでしょう。そうなると、国民のサイドの意識が問われる、ということ。オランダあたりも含めた北欧等の国民と社会の成熟度から学べることは???

結局、戦後日本にあったのは、経済成長だけで、政治の進歩はまったく見られなかった? 政治の進歩のために政治家になっている人は一人もいないから?? しくみが、それを可能にするものになっていないから? 参加の制度というよりは、あくまでも統治の制度として機能している??

丸山さんから学んだこと:
● 他者感覚=他者への共感の大切さ
● 自分は正しいと思っていることを相対化すること

2014年7月22日火曜日

丸山さんの戦争体験

丸山真男の3回目です。

丸山さんの功績の一つは、「無責任の構造」を明らかにしたことです。 ~ 誰も第二次世界大戦に突入していったことへの責任を感じていない状況。極めて異常な状態!! これが日本社会や組織を長年(現在も含めて?)覆いつくしている構造のような気がします。

それには、以下のような個人的な体験も含まれていました。
1945年(昭和20年)3月に再召集を受け、広島市宇品の陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆。「上官の意向をうかがう軍隊生活は(大奥の)『御殿女中』のようだった」と座談会で述べたことがある。この経験が、戦後、「自立した個人」を目指す丸山の思想を生んだという指摘がある。  ウィキペディアより

広島でしていたことは、欧米が流す情報収集活動。中でも、「ポツダム宣言」★の内容をいち早く知り、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること」が含まれていたことに、いたく感動したらしいです。そういう発想が、戦前・戦中の日本にまったくなかったのですから。この点に関しても、日本は進歩しているといえるでしょうか?

★1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言。(ウィキペディアより)

2014年7月21日月曜日

丸山真男 2



政治に対して無関心や嫌悪の支配するところでは
民主主義の実質が否定され
政治家は独裁化し、ボス化する。 ~ 日本の政治そのもの?
独裁者は民主主義の敵であり
政治は形骸化される。 ~ ずっと、この状態が続いている
民主主義の実態は
プロセスを重視するのである。
討論が重視されるのである。
権力に対して常に
問いかけること
問いかけ続けることである。
         信濃教育会での講演より

 なんと、70年近くたっても、何ら変わっていない日本の政治!!!

『ギヴァー』のコミュニティでは、政治というか、コミュニティの意思決定は長老会に委ねられている。しかし、長老会のメンバーは聞くこと、見ること、そして話し合うことに重きをおいていることは伝わってくる。自分たちだけで決められない時は、過去のあらゆる事例に精通しているギヴァーのアドバイスを聞くことを含めて。
でも、彼らの決定を問いかける存在はいない!!

安保への政府の対応 を認めるならば、それは
権力がもし欲すれば、何事でも強行できること
つまり万能であることを認めることになります。
権力が万能であることを認めながら
同時に民主主義を求めることはできません。
                「選択のとき」より

 こちらも、55年何も変わっていない!

 そもそも、『ギヴァー』のコミュニティは民主主義を志向した社会なのかな?

2014年7月20日日曜日

NHKの「知の巨人たち」第3回



「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」の第3回です。前の2回も面白かったですし、この後の1回(7/26)もおそらく面白いでしょう。

今回の主役は、丸山真男でした。
以下、丸山氏自身の発言を中心に数回に分けて紹介していきます。

  デモクラシーの精神的構造 ~ 福澤諭吉の『学問のすすめ』の影響
  まず一人ひとりの人間が独立した人間になること
  他人の作った型に入りこむのではなく
  自分で思考の型を作っていくこと
  間違っていると思うことには、まっすぐノーということ

いったい「独立した人間 」とは、どんな人間のこと??

『ギヴァー』のコミュニティに、独立した人間はいるかな?

みんな他人の作った型に入り込んでいるかな?
そして、ノーと言って、唯一拒否したのはジョナス(とローズマリー)?

2014年7月8日火曜日

コンビニ「飽和」指摘も5万店



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140707-00000006-mai-bus_all

このブログでも、すでに何回か扱ったテーマです。
果たして、コンビニが横行する社会はいい社会なのか、そうでないのか?

東京は、なんと2千人強の人口で1軒のコンビニを支えている計算になります。
それほど価値のあるもの?
価値があるから、それだけ存在するわけですが。
基本的には、ファースト・フードやスーパーのチェーンも同じ構造だと思います。

店の店員と会話というかコミュニケーションは成立しません。
買う者・売る者相互の無名性こそに価値がある店舗形態なわけですから。

でも、最近は宅配サービスなどもやり始めているそうなので、将来的には福祉の一端を担う可能性もあるのでしょうか?

ギヴァーのコミュニティには、一軒もコンビニはありません。
消費を煽る必要のない社会です。

2014年7月1日火曜日

映画の予告編 第2弾


最新の予告編です。
これで、見たくなりますか?

上映開始は、8月15日になっていますが、これはアメリカの話です。
日本はいつ??

本を読んだ時に、最長老の女性をメリル・ストリープがするとは想像していませんでした。

この映画で認知度が上がり、本を読む人が増えてくれればと思っています。
(ですから、ぜひ映画の紹介をお願いします。日本の上映が決まったら、またお知らせします。)
http://eiga-movie.com/%E6%98%A0%E7%94%BB/the-giver/

こちらは、映画のオフィシャル・サイト。(全部、英語ですが!)