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2013年12月31日火曜日

自立した主体を育てない日本の教育


 それは、経済や政治と密接に関係していた!!
 企業も、政治も、それを望んでいないから。
  しかし、第二次世界大戦後、それこそが求められた一時期もあった。一部の学者や文人のみによって? これで、国家から解放されて、「自由で、自立した主体」による社会形成が可能になったと。しかし、それが単なる夢であり続けているこの摩訶不思議な国。「幻想としての民主主義」しか存在しない国。

 というような内容のことが、「近代的人間類型の創出 ~ 政治的主体の民衆的基盤の問題」(169~175ページ)と「自由と独立」(176~186ページ)ともに『大塚久雄著作集』第8巻に書かれていた。

 「親心」「家族の関係」までもが「自由で、自立した主体」を形成する阻害要因になっているのだから、ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。「自発性、合理性、社会連帯性への自覚的」なものが芽生える素地が極めて薄いということ。(宮本常一さんが描く民衆にも、そういう要素は皆無かな?)


福沢諭吉に目をつけた丸山真男、ベンジャミン・フランクリンに目をつけた大塚久雄。


 これが今年最後の書き込みです。

 日本の社会、経済、政治の問題は、大きいです。
 そして、その根底にある教育の問題を無視し続けていることも。

 さて、明日からの来年に、『ギヴァー』という視点が何を見させてくれるのか楽しみにして、2013年の書き込みを終わりにします。

 よいお年をお迎えください。

2013年12月30日月曜日

子育てと介護



 前回、二世代ぐらい前までの子育ては「大家族で、おばあちゃん、おじいちゃん、おねえちゃん、おにいちゃんが、お母さん以外にも存在していた」中で行われたということを書きました。
そういえば、この同じ状況はおじいちゃん・おばあちゃんの介護にも当てはまっていたのでした。
 しかし、その大家族というかコミュニティが崩壊したことで、最初(?)に切り捨てられたのが、年齢的には両端だったというか、弱い立場にあるものだった、ということだと思います。
 『ギヴァー』の作者のローリーさんは、記憶がなくてもいい社会と同時に、誰にもやさしい社会を過去に戻るのではなく、未来に作り出さなければならなかったので、ああいう設定しか選択肢がなかった(思いつかなかった?)のかな、と思うのです。

 私たちも、それがいやで壊したものに、今問題が多いからと、単純に戻るわけにはいきません。子育ても介護も二昔前ぐらいまでは、「施設」でするものではなかったのです。それが、家族や地域の崩壊によって、「施設」でするものに転換しました。しかし、その問題点に、ローリーさんは20年前に気づいてしまったようです。

 ちなみに、この両端の間にある問題の一つが、部活の体罰だと思うのですが、国民的英雄の王さんの言葉を返すようで申し訳ないのですが、単に「古き良き日本が失われた」と嘆いても、どうしようもありません。単純に、今となっては戻れるわけもないのですから。また、それがベストの方法だったわけでもないですし。

 このように、生まれてから死ぬまでに遭遇するさまざまな仕組みが変わってしまったのに、私たちがそれにうまく対応しきれていない問題があまりにもたくさんあります。(要するに、世の社会・経済・政治問題すべて、です。)それらに、「古き良き」に戻るのではない第三の方法を編み出していく必要が求められているんだと思います。それは、過去数十年抱え続けた問題ですが、新年を含めた未来も抱え続ける問題です。

2013年12月29日日曜日

生まれてから最初の1~2年が大切



 前回の年をとって死を迎える場面と表裏一体(?)の関係にある生まれたての頃についても、ここ数週間考え続けています。
最近読んだある教育書の中で、生まれてから最初の1~2年間にどういうふうに保護者に接せられたかが、単に人格(性格)を決定づける上で大切なだけでなく、学力にも大きな影響を及ぼすということが書いてありました。

 日本でも昨今、学級崩壊が日常化したり、問題を抱えた子どもが増えていることを、先生をしている友人たちからよく聞きます。要するには、落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたちの増加です。(学校はこれを、幼稚園や保育園のせいにし、幼稚園や保育園はこれを、家庭のせいにする形で、行き着く先は家庭問題になっています。)
 この問題に、より早くから、しかも日本よりもはるかに大きなスケールで遭遇しているアメリカの状況はどんなもので、そしてどういう対処が行われているのかを紹介している本です。
 その結果が、最初の1~2歳の段階でどれだけストレスをもつことなく、温かく接してもらえるかが大きなポイントの一つになります。接するのは、もちろん母親だけの必要はないわけです。昔は、大家族で、おばあちゃん、おじいちゃん、おねえちゃん、おにいちゃんが、お母さん以外にも存在していたことが、「落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたち/問題児」の誕生を防いでいたような気がします。しかし、核家族化が進み、地域性も弱くなり、一人の保護者への依存が高まるに従って、「落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたち/問題を起こす子どもたち」問題が誕生したように思います。要するには、この辺のことを踏まえることなく、ライフスタイルを変えてしまったことで必然的に起こった問題と言えるのかもしれません。

 この辺の『ギヴァー』での対処の仕方は参考になるかもしれません。
 出産母とは別に、<養育係>という存在をおいているのです。ジョナスの父がその一人です。双子の一人を平気で殺してしまうぐらいですから、大丈夫なの、と言いたくもなってしまいますが、そういうことも含めて(?)、有能な養育係なのかもしれません。
 そして、1年+αか月すると「最適の家族」のメンバーになるという仕組みです。おそらく、日中は核家族のおとうさんとおかあさんは働いていますから、子どもたちは保育園的なところに預けられているのでしょう。

2013年12月28日土曜日

年をとる、ということ



 『ギヴァー』誕生のきっかけを著者本人が語るビデオを見てから、ずっと考え続けています。
著者自身が語っていたように、この物語は記憶をコントロールできたらどんなかを中心に設定されたと思うのですが、<老年者>の家で描いたことは、ひょっとしたら著者の理想ではなかったのか、と。それは、<リリース(解放)>することも含めてです。

私の親の世代には、子どもたちの世話になりたくない、と思う人たちが少なくありません。(豊かになったからできることだとも思いますが。)しかし、実際に施設を訪ねて、話を聞くと、出てくることは愚痴ばかりです。決して、ハッピーではありません。
いまの介護(+医療)政策は、お年寄りをできるだけ長生きさせることが、主目的になっているようです。(そのことによる経済効果は計り知れないものがありますから!)しかし、心のこもったサービスが提供されているかというと、はなはだ疑問です。もちろん、人手が十分でないことや、長く居つけない職場であることが、そうしているのかもしれません。
こういう日本の介護現場や状況を見ていると、私自身、子どもの世話になりたいとは思いませんし、無駄なお金を使って(税金も含めて)社会に貢献できない状態では生き延びたいとも思えません。
そんなことを、ローリーさんも20年前に同じように考えていたのではないか、と。

 生まれてから社会に出るまでは、社会に直接的に貢献をしているわけではありません。最初と最後は、別に貢献ということは考えなくてもいいではないか。生を全うすれば、という考え方が主流だとは思いますが、私はリリース(解放)=尊厳死を選びたいという思いが強くあります。(そんなこともあって、パブロ・カザルスの言葉も紹介しました。)

 ということで、ローリーさんが『ギヴァー』の中で提示してくれている考えに大賛成なわけです。誰がどういう基準や、当事者がどこまで関与できるのかなど知りたいことは何点かありますが・・・・これらを明らかにすることは、近い将来日本でも必要なことなのかも・・・・いまのままでいいはずないと・・・・

 以上は、『ギヴァー』の主なターゲットである小学校高学年~高校生には、ちょっと考えも及ばないし、考える必要もないテーマだと思います。50代までの私ですら考えなかったぐらいですから。そして、単に著者自身の当時の切実なこだわり(?)と、一読者である私のこだわりでしかありませんから。

2013年12月27日金曜日

歴史から学ぶことの難しさ

いま、仮説実験授業の板倉さんの本を、読み漁っています。

その中に、こんなのが・・・・(出典:板倉聖宣セレクション1『いま、民主主義とは』の139ページ) 

  2005815日の毎日新聞の一面トップ記事
 日本が米国や中国などと戦った戦争について尋ねたところ、<間違った戦争だった>と答えた人は43%で、<やむを得ない戦争だった>という人が29%もいた。26%は分からない。
70代、60代の方が、肯定派が多いという結果。

同じアンケートをいましたら、どういう結果になるでしょうね?

過去の記憶を持たないギヴァーのコミュニティの人たちは、過去・歴史から学ぶという発想自体を放棄したわけですが・・・・

2013年12月2日月曜日

石破氏の「デモはテロ」発言


 本音が、ついペロッと出てしまいました。

 見事なぐらいの自民党の体質と言えると思います。

 自分たちにとって都合の悪い言動は、テロで片付けてしまう。

 彼らに言わせると「本来あるべき民主主義の手法」とは選挙ということになるのだと思いますが(そのためには、手段は選ばずで)★★、そうなると、前回の選挙で自民党に投票した人たちは、こういうことも含めて、投票していたと認識する必要があることを意味します。(それもこれも、民主党の不甲斐なさのなせる技から始まったことではありますが・・・)

 いずれにしても、感じるのは「おごり」と独裁的な匂いばかりです。

 そうでもありませんか?

 ギヴァーのコミュニティーの長老たちも、こういう発言はしてしまうと思いますか?

 来年の8月に封切られる映画で、メリル・ストリープさん扮する最長老に注目です。

 例によって、この件については、伊藤和子さんがうまくまとめてくれています



★ この類の失言・暴言は、自民および維新の党の議員が多いですね。選挙民の感覚とは、相当にずれている、と思わされる発言が。他の政党は、まだ少ない気がしますが、単純に、脚光を浴びる度合いが少ないだけ??

★★ 絶叫調のデモはダメで、選挙期間中の絶叫調の連呼はいいのでしょうか? 常人にとっては、前者の被害は皆無に等しいですが、後者1年おきぐらいに必ずあります。平和を乱す(=官製騒音公害の)最たるもので、ぜひやめてほしいです!!