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2013年2月26日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 89


 ジョン・ミュースの絵本『3つのなぞ』です。

 主人公は、「ぼくは、いい人間になりたいんだ」と言って、3つの質問

・ いつが いちばん だいじなときなんだろう?
・ だれが いちばん だいじな人なんだろう?
・ なにをすることが いちばん だいじなんだろう?

を友だちのサギ、サル、イヌ★に投げかけます。

彼らの答えに満足しなかったので、年を取ったカメのところに行きました。
カメの仕事を手伝ったりしたあとに、パンダの親子を助ける、というお話。

最後の言葉は、カメが締めくくっています。

「われらが こうして生きているのは、じつは、そのことを知るためなんじゃよ」

原作は、トルストイの『3つの疑問』だそうです。


『ギヴァー』の中で、ジョナスは3つの質問にどう答えたでしょうか?

あなたは?


★ そういえば、桃太郎の友だちは、キジとサルとイヌでしたね。
  そして、カメは浦島太郎に出てきました。
  ジョン・ミュースさんの他の作品もいいです。

2013年2月24日日曜日

コロンブスがはじめたことは、いまだに続いている・・・


 その4になる『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』の紹介ですが、最後はお父さんも湾岸戦争をしたブッシュさんの息子が在任期間中の約8分の7を費やし続けた間違った戦争ついて書くことで終わっています。(下巻)なんと、コロンバスから500年以上もの期間です!!! 

172 2001年の9.11の3年前の1998年8月、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が襲撃された報告に、ある元空軍将校が以下のように書いていました。

 <われわれが憎まれないのは、アメリカが民主主義を実践し、自由を尊重し、あるいは人権を擁護しているからだ。われわれが憎まれるのは、アメリカが、第三世界 ~ そこにはアメリカの多国籍企業が切望してやまない資源がある ~ の人々に、そうしたものを与えようとしないからである。アメリカがまいてきた憎悪という種子は、テロリズムという形でもどってきて、われわれから離れようとしない。>

→ ちょうど、ニューヨークのドレード・センター・ビル崩壊の映像が流された当日私は、スウェーデンにいたのですが、スウェーデン人たちはまさに上のような理由でこのようなことが起こってもおかしくないと見ていました。(世界をちゃんと知っていたということです。)それに対して、「教会、学校、企業、(マスコミ)そして政府は、現在の社会こそが正しいのだ」という情報操作をすることで、世界の現状を見ることのできないようにしていたので、多くのアメリカ人や日本人にとっては、寝耳に水の出来事と映ったと思います。★

 そして、その後に続く「テロとの戦い」も、見事なぐらいに政府を中心に、マスコミ、企業、教会、学校等の総動員で「アメリカが大好きな戦争」に突入していきました。

 日本を始め、ヨーロッパやオーストラリア・韓国・タイなどの国々もうまく丸め込まれる形で。

 それが生みだしものは、負の連鎖だけだったのではないでしょうか?


★ 周辺国というか、大国ではない世界の見方や、貧しい国々といわれる多くのアジア、アフリカ、中南米の国々の視点は、あらためて大切だと思いました。しかし、そういう見方や視点は極めて得にくいのが、アメリカであり日本の特徴です。ネットの時代ですから、自分さえ努力すれば、情報はいくらでも収集できます。

2013年2月23日土曜日

少数の富める指導者に牛耳られ続けているアメリカ


 『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』(その3)です。

 歴史は、いまの世の中のありようと深く結びついていることも気づかせてくれます。(逆に、それに気づかせてくれないようなものは、「歴史といえるのか」とさえ思ってしまうほどです。)

166 教会、学校、企業、そして政府は、現在の社会こそが正しいのだ、と説くことで、人々の考えを統制しようとした。貧困とは、個人的な怠慢の結果であり、裕福な者は裕福であるにふさわしいことをしている。そして資本主義体制は正しく、適切である、と教えたのだ。(これは、19世紀後半のアメリカの歴史の部分について記述についてです。もちろん、アメリカ史全体に対して、この考えは適用されます。)

→ そういえば、日本も、原発事故の際は、政府、企業、マスコミ、学校も(?)同じような対応をしたことは記憶に新しいです。

 そして何よりも、自由や民主主義よりも、「戦争大好きな国」というのが、コロンブスがカリブ海の島々でしたことに始まり、ブッシュさんがアフガニスタンやイラクでしたことまで、アメリカの中心的な歴史と言えるかもしれません。

 なんといっても、西部劇の国であり、いまだに銃の乱射事件がひっきりなしに起こるにもかかわらず、その規制にいっこうに乗り出す気配もない国です。

 そして本を通じて、ごく少数の富める指導者が建国の時から(実は、英国の植民地時代から)いままで、その他大勢の人たちを都合のいいように使い捨ててきた歴史(なんといっても、奴隷制が長年合法化されていた国ですし、非合法になったあともいまだに人種差別が延々と続いている国です。そして女性差別や貧困層への対応の仕方もうまい国とはいえません。ハリケーン・カトリーナで明らかになってしまった天災をはるかに上回る人災が平気で起こってしまうような国でもあります)だとも書いています。★

 また、民主党と共和党という大差のない選択肢(両方とも、アメリカを実際に動かしている大企業とつながっている)しか提供しないことで、資本主義と国家主義というアメリカの政治的伝統を建国以来守り続けているわけです。

 それに対して、ヘレン・ケラーは、<この国の民主主義は名ばかりのものです。わたしたち女性が投票権を与えられたとしても、だからなんだというのでしょう? 似たり寄ったりの候補者二人のどちらかから、選ぶしかないのですから。> (下巻・13ページ)

→ 政党数は増えてしまいましたが、日本の状況もまったく変わりありません!!


★ こういうふうに書くことで、自分の国が嫌いになるのでしょうか? それとも、何とかしなくちゃ、と思うでしょうか? 権力を持っている人たちの多くは前者の考え方ですから、見てもらっては困るところはできるだけ隠す努力をします。場合によっては、粉飾すらします。 しかし、それで本当にいい国にできるのでしょうか? 美しい国に? 尊敬される国に?

2013年2月22日金曜日

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』2


 この本は、第1章「コロンブスがはじめた征服の歴史」というタイトルで、これまで描かれていた英雄像★を打ち砕き、「欲深い残虐者」として描きはじめます。

 そして、それは500年後の1992年には、決定的になったことも書かれています。(下巻の144ページ)

 著者は、以下のような視点でアメリカの歴史を綴っていくと宣言しています。

20 歴史家は数ある事実のなかから、どれを自分の研究課題とし、どれを省略し、どれを話の中心にすえるかを選択して決定しなければならない。歴史家の考え方や信念は、その歴史家の歴史の描き方に示される。そして、いかに歴史が描かれるかによって、それを読む人の考えや信念も形づくられるのだ。

21 あらたな可能性を未来に探ろうというときには歴史が助けになってくれる、と私は信じている。歴史は、隠されていた過去のある部分、たとえば人々が権力者に抵抗し、あるいは団結したときの物語を明らかにして、ヒントを与えてくれるはずだ。わたしたちの未来は、延々と続く戦争史の中にではなく、思いやりと勇気にあふれた過去の出来事のなかに見いだされるにちがいない。これが、アメリカ合衆国の歴史への、私の接近方法である。そしてそれは、コロンブスとアラワク族との出会いからはじまるのだ。

→ 『ギヴァー』の中に、戦争についての歴史をジョナスに注入する場面が出てきます。それは、将軍や王様の場面ではなく、戦場の一兵卒が遭遇している場面として描かれています。ローリーさんは、いろいろな可能性の中から、選んでいたわけです。


★ ちなみに、コロンブスにはこれまで新大陸の発見者という称号が与えられていたわけですが、それより大分前に北欧バイキングが今のカナダ東部海岸地帯に遺跡を残していました。最近では、イギリス人のギャヴィン・メンジーズが『1421 中国が新大陸を発見した年』の中で、コロンブスに先立つこと約70年前に、すでに中国人が発見していたことを多様な史料と、自分が元潜水艦乗りであった体験を踏まえながら考証しています。そして、中国人が描いた新大陸の地図がヨーロッパにもたらされていたので、コロンブスはすでに潮に任せて西に向かうと、今の西インド諸島にぶつかることはすでに出発する前からわかっていた、というのです。

 ですから発見者でもなんでもなく、単なる「欲深い残虐者」だったということになります。でも、そこまで言い切ってしまうと、コロンブスが可哀想かもしれません。
 それでは、彼が存在し、したことにはどんなプラス面やメリットが考えられるのでしょうか?

2013年2月21日木曜日

歴史の見方・とらえ方



 黒澤明監督の映画「羅生門」を観た方は少ないことと思います。
 あるひとつの事件が、異なる数人の人たちの視点から語られます。
 同じものはないのです。

 歴史学の世界では、この「羅生門現象」はすでに明確に認められています。
 それこそ誰の視点で見るかで、語る歴史はまったく違ったものになってしまうからです。

 でも、私たちが学ぶ学校での歴史には依然として、唯一絶対というか、正解の見方が存在するがごとく書かれています。

 私はそれが大分前からおかしいと思っていたので、梅原猛さんの『隠された十字架』や『水底の歌』などが出たときは興奮して読みましたし、井沢元彦さんの『逆説の日本史』も全部読んでいます。

 アメリカでも似たようなというか、もっとすごい歴史観が提示されていました。(梅原さんや井沢さんのアプローチは、依然として歴史上に名を残している権力者に対してこれまでとは異なる視点を提供しているレベルですから。)
 ハワード・ジン著の『民衆のアメリカ史』です。私が読んだのはそのヤングアダルト向けの『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』上・下巻でした。★

 『ギヴァー』の中では、その歴史にかかわれる存在としてギヴァーとジョナス(レシヴァー)の二人がいます。二人だけというのは、根本的におかしいのですが。しかし、たとえ二人だけだろうと、アメリカや、そして日本が抱えているのと同じ問題 ~ 何をどう伝えていくか ~  は、同じレベルで大切なはずです。


★ この『民衆のアメリカ史』に最も近いアプローチを日本でしたのは、宮本常一さんだったような気がしています。他にいいのをご存知の方は、ぜひご紹介ください。

2013年2月18日月曜日

『赤いクリップで家を手に入れた男』


 昨日の『スリー・カップス・オブ・ティー』で思い出したのが、『赤いクリップで家を手に入れた男』(カイル・マクドナルド著)です。

 ひたすら人の明るさと良さが印象的なストーリーです。

 まさに、タイトルのとおり、赤いちっぽけなクリップから物と物を物々交換し続けて最終的には一軒の家をゲットしてしまったというサクセス(ラッキー)・ストーリーです。最初と最後はカナダ(主人公も、カナダ人)ですが、物々交換が行われたほとんどはアメリカでした。

 これを日本でやれるかな?
 これを『ギヴァー』のコミュニティでやれるかな?

2013年2月17日日曜日

道徳の教科化 と ギヴァーの感情共有


 「心のノート」の次は、「道徳を正規教科に」提言へ…教育再生会議 だそうです。

 『ギヴァー』のコミュニティが毎晩やっている「感情共有」(9ページ他)と同じレベルか、それ以下の効果しかないことはわかっているのに・・・・

 教育界がしていることの中には、他にも似たようなのがたくさんあります。

教員免許更新制度 → 教員の資質向上
学力テスト       → 学力向上
教員評価        → 教員の資質向上
研究授業        → 実施した教師の資質の向上
指導案検討      → 授業の改善
校内研修       → 教員の資質向上
教育センター/教育委員会での研修 → 教員の資質向上 等々

上の中でイコールな関係で結ばれるものはあるでしょうか? ★

何%の教師が、期待を持って取り組んでいるでしょうか?

担い手たちを中心に据えない限りは、本来うまくいくことも、ずれたままが続きます


★ いまのやられ方が続く限り、プラス面よりも、マイナス面のほうが多いものばかりをリストアップしました。その中には、もちろん心のノートも、道徳の正規教科化も含まれます。

『スリー・カップス・オブ・ティー』

 『スリー・カップス・オブ・ティー(3杯の紅茶)』は、グレッグ・モーテンソン著★の本のタイトルです。

 アメリカは、何ごとも最良のものから最悪のものまでもっている幅の広い社会です。
 頻繁に起こる銃の乱射事件、ハリケーン・カトリーナの被害、そして「テロとの戦い」を掲げたイラクやアフガン戦争が記憶に当たらしところです。
 最後のアフガン戦争が最悪の一つなら、今回紹介する本の主人公がアフガニスタンとパキスタンでしていることは最良の一つでしょう。

 本のタイトルは、主人公がパキスタンのカラコルム山脈の中にあるコルフェ村で最初の学校を作っている最中に、村の村長から言われたことに由来しています。

「ここでうまくやっていきたいとお思いなら、我々のやり方を重んじてくだされ。バルティ族の人間と初めていっしょにお茶を飲むとき。その人はまだよそ者だ。2杯目のお茶を飲む。尊敬すべき客人となる。3杯目のお茶をわかちあう。そうすれば家族の一員となる。家族のためには、我々はどんなことでもする。命だって捨てる。グレッグ先生。3杯のお茶をわかちあうまで、じっくり時間をかけることだ。たしかに、我々は無学かもしれん。だが、愚かではない。この地で長いこと生きのびてきたのだから」

 ジョナスとの関連も感じさせてくれるグレッグ先生の行動です。
 ぜひ読んでみてください。

 ちなみに、グレッグ先生が大事にしているのは、どちらかといえば女の子たちの教育でした。男は教育を受けると村を出て行ってしまうのに対して、女の子たちが村に残る確率ははるかに高いからです。


★ 本の著者は、グレッグ・モーテンソンとしましたが、実際彼は書いていません。そんな興味も、能力(?)もありません。たとえ、あったとしても本を書くための時間よりも、はるかに有効な時間の使い方があると思っている人だと思います。
  実際に取材して書いたのは、書くことが専門のデイヴィッド・オリバー・レーリンという人です。(だから読める/読ませる内容になっているような気がします。)

★★ 日本には、1983年からパキスタン(ペシャワール)やアフガニスタンで医療、水源確保、農業支援の活動をしている中村哲さんというお医者さんがいます。
 中村さんの場合は、最初から医療支援が目的で行かれたと思うのですが、グレッグ先生の場合はK2に登ることが目的でした。その目的に失敗して、山を下り、たまたま迷い込んだ村がコルフェ村だったのです。
 中村さん関連の本を目を通したら、中村さんとパキスタンやアフガニスタンとの最初の関わりは、グレッグ先生と同じ山登りだったそうです。ヒンズークシュ山脈に登る登山隊の同行医師として。
 ちなみに、グレッグ先生のもともとの職業は看護士でした。

2013年2月13日水曜日

『E=mc²』

 今回も、昨日紹介した『ヒットラーの娘』に匹敵するような「変な」というか「理解しがたい」、それでいて「おもしろく」「不思議な」本です。


  タイトルは、『E=mc²』。サブタイトルは、『世界一有名な方程式の「自伝」』。書いた人は、デイヴィッド・ボダニス。

  アインシュタインの自伝ではありません。

  多くの人がその式は知っていても、それが何を意味しているのか分からないその式が、いかに誕生して、どのような影響を与え(例えば、原爆や水爆など)、どのようなことを人間にわからせているのか(太陽の機能、地球と宇宙の成り立ちと運命)などを教えてくれる本です。

  1回読んだだけでは、まだE=mc²を完全に理解できたとは言えませんが、私たちと同じように、『ギヴァー』のコミュニティも、確実にE=mc²に影響されている存在です。★

  特に、『ギヴァー』のストーリーと関連して面白かったのは以下の点(86ページ)でした。

  アインシュタインを導いたものは何だったのかというと、当時20代の半ばにして、彼は未知のものにひじょうに引きつけられたということである。彼は、「偉大なる長老」(彼は神のことをこのように呼んでいた)が人間たちの住む宇宙をどのような意図で造ったのかを理解することは、自分に課せられた義務だと考えていたのだ。

  のちにアインシュタインは、次のように説明している。「私たちは、壁という壁がすべて天井までびっしりと、さまざま言語で書かれた書物で埋め尽くされている巨大な図書室に足を踏み入れた小さな子どものようなものです。この子どもは、これらの書物が何者かによって書かれたものだということを知っています。だが、誰がどのように書いたのかは知りません。これらの書物が書かれているさまざまな言語も知らない。しかしこの子どもは、これらの書物の配列のなかに、厳然たる計画、謎に満ちた秩序が存在することに気づきます。それはこの子どもの理解を越えたものですが、それでもこの子どもは、そのようなものがあるはずであると、漠然とではあるが感じているのです」


  なんかちょっと、ジョナスのおかれた境遇に似ていると思われませんか?


★ 私は、『ギヴァー』のコミュニティのエネルギー源は、原子力ではないかと思っています。水力、火力、太陽光、風力、地熱などの可能性は極めて少ないと思わざるを得ないからです。

2013年2月12日火曜日

『ヒットラーのむすめ』

 おもしろいタイトルの『ヒットラーのむすめ』(ジャッキー・フレンチ著)という本の紹介です。

 ヒットラーの娘のストーリーを友だち(女)のアンナが「お話ゲーム」として話し続けるのを、その友だち(男)のマークが、間に受けて、「どうしたら善悪の違いはわかるのだろう?」「ほとんどの人が、ある人のことを正しいと思ってて、でも自分はその人が間違ってると思ったとしたら、どうすればいいのだろう?」「自分のまわりの人たちがみんな間違っていたら、自分はどうしたらいいのか?」「自分のお父さんが極悪人だったらどうしたらいいんだろう?」と考え続ける物語です。

 その意味で、ジョナスの頭の中を渦巻いていたことに、ちょっと関連すると思いました。

 実際にヒットラーの娘のお話をしていたアンナは、いったい何を考えていたのかな?

 主には、スクールバスを待っている小さな待合小屋の中で行なわれた話なのですが、本の中では雨降りの日がやたらと多いのです。オーストラリアで、こんなに雨ばかりが降ることはほとんど考えられないのに。

 従って、この雨に込められている意味は?

 晴では、生まれないような話ということ?


 そういえば、ジョナスのコミュニティでは晴れも雨もなく、いつも曇なのでしょうか?

2013年2月11日月曜日

続『リキシャ・ガール』


 先日紹介した『リキシャ・ガール』ですが、リキシャは人力車のことです。今は観光地でしか走っていません。明治の初めに普及しましたが、それがアジアに広がっていったのです。

 タイトルは、そのリキシャになっていますが、この物語の背景には、バングラデシュやインドなどの女性を中心にお金を貸し付けるマイクロファイナンス(マイクロクレジットともいう)という制度があります。

 これは、1970年代の終わりぐらいから、途上国の貧しい人たちを助ける一つの方法として考えられました。それまでは、どちらかといえば援助を与える方法が中心だったのですが、それではいっこうに状況がよくなりませんでした。主体性をもってもらわないとまずいということで、いろいろ試された中の一つです。

 これは、主に女性たちを対象にしていることも特徴の一つですし、援助(施し)ではなく、あくまでも「貸し付け」であるのもポイントです。従って、返済しなければなりませんから、責任を伴います。あくまでもビジネスなのです。それに耐えうるのは、男性よりも女性の方が、返済確率がはるかに高いということが実験の結果からも明らかになりました。

 主人公のナイマが出会ったリキシャ修理店の女主人は、その融資を受けて、お父さんの店を再建したのです。そして、ナイマは女性にも仕事ができることに気づけたのです。

 習慣の中には、大切なこともあります。しかし、一方で私たちを縛り続けるものもあります。習慣だからと、間に受けて、そのままやり続けるのではなく、しっかり考えて、いいことはいいでやり続け、改善できるものは改善していく。それが、人間が長年やり続けてきたことのような気がします。それなくして、進歩はありませんから。

2013年2月8日金曜日

『ギヴァー』に関連する英語の詩 3



今回、Aさんが紹介してくれた最後の詩は、Autobiography in Five Short Chaptersです。

探してみたら、日本語バージョンを見つけました。


2013年2月7日木曜日

『ギヴァー』に関連する英語の詩 2


昨日の詩と関連して、A Little Boyという詩も紹介してくれました。

これには、original versionrevised versionの2つがあるようです。

どっちがオリジナルで、どっちが修正バージョンでしょうね?

ちょっと長いですが、やさしい英語で書かれていますから、訳さなくとも理解できると思います。


あなたは、教育/学校のマイナス面、どう思われますか?


『ギヴァー』の中の学校は、どんなだと思われましたか?



ある意味で、学校は社会の象徴 ~ 少なくとも一部 ~ ですから、学校の中でしていることと、外でしていることが、そう異なるはずはありません!!

2013年2月6日水曜日

『ギヴァー』に関連する英語の詩


これまでも、英語と日本語の詩を紹介してきましたが、
協力者のAさんが、詩を送ってくれました。


Aliteracy Poem

Mrs. Thompson's second graders are amazing!
The principal says they can comprehend anything--
Even a medical textbook.

Mrs. Thompson's second graders are incredible!
The superintendent says their oral reading is completely seamless--
Like the gentle flow of an eternal spring.

Mrs. Thompson's second graders are fantastic!
The P.T.A. president says they finished the reading workbook and
the phonics workbook before the end of the Third Quarter.

Mrs. Thompson's second graders worry me.
You see, I'm the aide who works in Mrs. Thompson's classroom,
And I know something that the others don't.

Mrs. Thompson's second graders don't like to read.

(Layne 2001)

From Life's Literacy Lessons: Poems for Teachers by Steven L. Layne. Copyright 2001 by the International Reading Association. www.reading. org.

この詩と上の情報は、Steven L. Layne著のIgniting a Passion for Reading: Successful Strategies for Building Lifetime Readers, Stenhouse,2009 の1ページ目に出ていました。


私たちも、似たようなことをしていると思いませんか?

2013年2月5日火曜日

長崎県波佐見町


今日もラジオ番組からです。
紹介されていたのは、長崎県波佐見町(はさみちょう)です。
主に、全国的に有名な和食器の陶磁器産地としてです。日本で使われている日常食器の10数%を占めているそうです。
申し訳ありませんが、名前を知りませんでした。その理由は、伊万里港や、鉄道が発達してからは、有田から発送していたために、伊万里焼や有田焼として取り扱われたためだそうです。

大量生産できる理由は、世界的にもNo.1~3に大きな(長い)窯が波佐見町にあるのだそうです。なんと、170メートル台、160メートル台、150メートル台が一つずつ。

何のためにこの話を紹介しているのか?

最後に、「陶磁器がなかなか大変なご時世に、なぜ元気にやっていられるのですか?」というアナウンサーの質問に対する答えでした。

「変わり続けることです。簡単ではありませんが、変わり続けることしかありません」

ウ~ン、これ何の分野にでも言えることではないでしょうか?
特に、止まっているとしか思えない教育では !!

そういえば、『ギヴァー』の世界は、あまり変わっているようには見えません。
日本は大丈夫でしょうか?

「変わり続けることです」しか、選択肢はないように思いますが。

2013年2月4日月曜日

スポーツの世界も

忘れるところでした。

スポーツの世界も、まったく同じ構造でした。

認知症対策

数日前に「認知症対策考える国際シンポジウム」が行われ、その内容紹介をしていたのをラジオで聞きました。

認知症患者数は、すでに65歳以上人口の約10%(242万人程度)に達していると言われており、2020年には325万人まで増加すると予想されています。

これは、大きな社会問題です。

そのシンポジウムで海外の事例で紹介された中から日本の参考になることをまとめると:

・ 複数で診断すること
・ ケアマネージャー的な人一人が継続的に寄り添い続けること
・ 介護者(家族)のケアを患者と同じレベル(セット)ですること
・ 患者と家族が政策やサービスの中心に据えること

だそうです。
これって、認知症対策に限らず、福祉や医療全般に言えることだと思いますし、原発事故、環境、教育、農業、政治などあらゆる分野に共通することだと言えるのではないでしょうか

3.11で、その方向に歩み始めるのかと期待をしましたが、ほぼ2年経とうとする今、3.11以前よりもひどくなっている気さえします。

上の海外から学べることを紹介していた人が最後に言っていたことは、「地域の中で何がやれるかを考えて、動き出してください」でした。

2013年2月3日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 88

『ギヴァー』協力者のSさんが、送ってくれました。

ミタリ・パーキンスの『リキシャガール』についてです。

男性が外で働き、女性は家のことを行うのが当たり前になっているバングラデシュの社会。(この本の中ではそのように書かれている。)
父親は、リキシャという乗り物にお客を乗せることで家族を養っている。
しかし、たくさん働いているにもかかわらず、その日暮らしがやっとの状況。
子どもは女の子が二人なので、父親の仕事を手伝うことができない。
長女のナイマが得意なことは、アルポナという模様をかくことなのだが、
絵が得意なだけでは、家族を助けることはできない。

「女の子のできることといえば、料理、そうじ、せんたく、そしてかざりつけです。お金をかせげるような仕事は、させてもらえないのです。」25〜26ページ

となりのサリームは男の子で、父親のリキシャの仕事を手伝っている。

「ナイマは女の子じゃないか。女の子は家にいて、お母さんをてつだうもんだろ。男はお父さんといっしょに働いて、金をかせぐ。そういうもんだよ。」32ページ

ナイマは考える。自分が父を助けることはできないかと。

「わたしが男の子に生まれてたらなあ。そしたら、お金をかせげるのに。ほんのちょっとでも助けになるのに!」29ページ

考え続けたナイマはある行動に出るのだが・・・


この物語が『ギヴァ―』と重なると感じた点は、
人々の価値観が固定化した社会の中で生きる少女が、自らの信念に基づいた行動をとることによって運命を切りひらいていくところ。

2013年2月2日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 87



 タイトルは、『ジェンナ~奇跡を生きる少女』(メアリ・E・ピアソン著)です。

 人口細胞や遺伝子工学等の進歩と生命倫理がぶつかる内容なのですが、扱っているテーマは、『ギヴァー』と似たような、真実、ウソ、アイデンティティー、記憶、つながり、友だち、家族などです。