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2015年7月23日木曜日

原作をみごとに映像化した良質なエンタメ作品


『ギヴァー』がすでに映画になっていることは、このブログでも何回か紹介してきました。

今回は、『ギヴァー』シリーズ訳者の島津やよいさんからのメッセージを紹介します。

昨年8月の全米公開以来、すでに世界約60カ国で封切られた映画『The Giver』。ようやく日本のギヴァー・ファンにも観る機会がめぐってきました。来る95日、渋谷HUMAXシネマを皮切りに、全国ロードショーが始まります!(上映館・各館公開日などの詳細は、近々アップされる予定の公式サイトgiver-movie.comでご確認下さい。本日7/23段階ではまだアップされておりません。)
ファンのみなさまには申しわけないのですが、日本側の配給会社さんが字幕付きDVDをご手配下さいましたので、一足お先に鑑賞させていただきました。
小説の映像化というのは、残念ながら原作の愛読者を幻滅させるケースが少なくないように思います。その点を肝に銘じて、期待しすぎないようにしました。それはけっして映像作品を軽んじるということではなくて、過剰な思い入れを排して、リラックスして楽しみたかったからです。ところが、あにはからんや大傑作で、約1時間40分、夢中で見入ってしまいました。細かいところでは原作の設定を逸脱している箇所もあるかもしれませんが、全体としては原作の魅力を損なうことなく「映像翻訳」した良質なエンタメ作品だと思います。これだけおもしろく仕上がっていれば、原作を知らずに映画を観た人も、まずは『ギヴァー』を、続いてシリーズ続刊を読みたくなるのではないかと期待しています。以下、どこがどう良かったのか、ネタバレに気をつけながら述べさせていただきます。
まず最大の特長は、映像化の困難を構成と脚本がみごとに解決している点です。たとえば「コミュニティ」「よそ」などに代表される独特の世界観や「色」の問題が、じつにうまく視覚化されています。これは原作の解釈に確信がなければできない仕事です。筋金入りの原作愛読者であるジェフ・ブリッジス(プロデューサーでもあり、〈ギヴァー〉役を演じました)の面目躍如というところでしょうか。作者ローリーさんが感激したのも当然かもしれません。
それから、人間関係を(原作のニュアンスを損ねないていどに)微妙に再編することで、映像化に必要な緊張感を生みだしている点も注目に値します。とくにローズマリー(テイラー・スウィフト)や〈最長老〉(メリル・ストリープ)が興味深いキャラクターとなっています。
そして、エンタメ作品としての完成度がきわめて高い! ややてんこ盛りの感はありますが、原作の静かで乾いた表現のなかから、みごとにクライマックスを創出しています。原作で消化不良だったいくつかの問題が、映像化によってひとつの解釈をあたえられているのも嬉しいおまけです。
もういちど、次はぜひ映画館の大スクリーンで観てみたいと思っております。
最後に、訳者として、「記憶を注ぐ者」「記憶の器」という邦訳の表現が字幕で踏襲されていることが、すごくうれしかったです。GiverReceiver の訳語にはずいぶん悩んだので、報われた心地がしました。
 みなさまもぜひぜひ、95日以降、お近くの劇場に足をお運びください!


写真は、ギヴァーとジョナス(ギヴァーは、オスカー俳優のジェフ・ブリッジス。今回は制作も)
写真のクレジットは、©2014 The Giver SPV,LLC. All Rights Reserved.

2015年7月19日日曜日

新国立の次は安保法案




すばらしい、新国立競技場と同じで、常識ではやっていけないことに「ノー」をつきつけました。
自民党と公明党だけでなく、基本的に政治家というよりも、国民と乖離している政治屋たちにより政治に「ノー」を突きつけた形です。

ちなみに、本来は、同じことが都政(県政)や市政で起こってもおかしくないのですが、争点がないようなことばかりをしているので、有権者の直接行動も起こらないという構造になっています。(そういえば、国政にも同じことがいえます。!)もちろん、有権者の直接行動ばかりがあることがいいのではありませんが、「選挙がすべての民主主義がおかしい」ということを、政治を担っている人たち(とそれを担っているというかサポートしている役所の職員)がわきまえて、違う方法を考え始めないとまずいです。
何もよくなっていかないことだけは、確かですから。宝の持ち腐れというか・・・・

いつものことながら、自民党の広報部を自認している読売新聞は、上の情報は報道しません。自民党に不利なことは控えなければなりませんから。その代わり、自民党の広報部が流した情報は、
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150718-OYT1T50093.html?from=ytop_ylist
であり、国民の関心を新国立競技場問題に釘づけにしておこうと躍起なようです。安保(戦争)法案には飛び火しないように。
読売よりも保守的な産経は、無視です。
日経も、ダンマリを決め込んでいるようです。
それに対して、民主党の広報部(?)の朝日は、
http://www.asahi.com/articles/ASH7L7K7HH7LUTIL01N.html?iref=comtop_6_02

ちなみに、『ギヴァー』のコミュニティでは、国立競技場や安保の議論すらわかないと思います。 国の威信をかけて、というスケールではないので。 そういう小ささが大切だと思います。

2015年7月15日水曜日

シナリオどおり

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150715-OYT1T50043.html?from=ytop_main1

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89339690V10C15A7I00000/?dg=1

安倍さん自身が、言っていました。
これは、選挙公約だ、と。
そして、それ以上に、アメリカとの公約でもあります。

自民に投票した人たちは、これも予期して選挙をした人たちがどれだけいたでしょうか?安倍さん自身が認めるように、「国民の大多数には理解されていない」のが現状です。

いったいどこですれ違いが????

民主党よりはマシとか、経済政策で期待が持てるとか、とすべてはつながっています。
しかし、残念ながら今から巻きもどしはできません。

こんなことを、『ギヴァー』のコミュニティの長老たちはするかな? と考えました。
しないと思います。できないと思います。


2015年7月13日月曜日

新国立競技場

過去5大会のメイン・スタジアムの総工費が2480億円(要するに、1会場の平均は500億円)で、なんと東京の新国立は2520億円だそうです。
なぜ、5倍もの経費がかかるのか?
 
大阪市の橋下さんじゃなくても、この金額を見せられて非常識と思わない人はいるでしょうか?
2020年のオリンピック関係者および政府関係者以外は。
相当にマヒしているようです。

いまの日本(ニホン)に、これだけの財政力があると思っているのでしょうか?
いったい誰がこのお金を出すと考えているのでしょうか?
うまい汁を吸っている少数の人たちが!!
構造的には、昨日にエネルギーとは真逆です。



2015年7月12日日曜日

『地元で電気をつくる本』



「市民のエネルギーひろば・ねりま」編集の本というか、冊子です。
サブタイトルは、「市民発電所でエネルギーが変わる」。

とても大切なことだと思います。

特に印象に残ったのは、以下の3点でした。

① 日本における「民主主義の不足」と「市場の不足」 ~ 「不足」なんていう生易しいものではないと思います。「ほぼ欠如」という感じでしょうか?
エネルギーに関しては、まだ自由競争が許されていないようなところが多分にありますから。そして、日本の民主主義は名前だけです。「選挙」「表現の自由」は民主主義の大事な要素ですが、イコールではありませんから。自分たちでそれをつくり上げた/勝ち取った歴史がないことが「欠如」の理由なのかもしれません。

② コミュニティパワーの3原則
 これは、エネルギーに限らず、ほとんど何事にも言えることのような気がします。というか、実現していかないとまずいんじゃないかと!! 教育、福祉、環境、農業、経済、政治・・・・などでもです。しかし、現実は中央や国が握っています。

③ デンマークのほぼ中央に位置する人口約4千人のサムソ島が自然エネルギー100%を実現
  電力源は、風力(陸上と洋上の両方)、地域熱(地域の農業で出てくる麦わらなどを燃やして)、太陽熱など。
  島民による自然エネルギー設備のオーナーシップ
  国による固定価格買取制
  自治体による信用保証と地域金融機関による融資
 以上からも、単に地域だけでなく、国の協力も得ながら進めていることがわかります。キーパーソンが、ほとんどの大人に会って(必要に応じて繰り返し)話したことが、これを実現したベースにあるようです。

『ギヴァー』のコミュニティも、自然エネルギーかどうかは定かではありませんが、ほぼ100%を自活できている感じです。それは、サムソ島とほぼ同じ人口だからかもしれません。スケールはとても大切だと思います。

振り返ってみると、上記の3点は、すべて同じことを別な言葉や形で表現しているだけという気がします。

2015年7月11日土曜日

『ギヴァー』の中の戦争描写のシーン



わずか3500人のコミュニティが、本の中で描かれている戦争をしでかしていたとは思いにくいです。
ということは、コミュニティになる前の、人間の歴史として、ギヴァーにインプットされていることなのでしょうか?
(同じように、雪の中を橇で滑り降りるシーンも出てきますが、今のコミュニティには雪も坂もありません! 雪のほうは気象・天気を管理することでなくなっていますが、丘や山は整地してしまったのかな? でも、隣のコミュニティとの間に川はいまでも流れています!)

いずれにしても、この戦争に関連したシーンを12歳の子どもの戦争体験(しかも、少年兵士となって、たくさんの人を殺した経験も含めた)をまとめた自伝を読みました。
日本の長老たちが、ひょっとしたら日本の子どもたちにも同じことをさせることにつながるようなことを論じている今、読んでおく価値があると思いました。
「自分」を、「自分の家族」を、あるいはもっとイメージのつきにくい「自分の国」を守るための戦争とはいったいどういうものかを理解するために。

『ギヴァー』の戦争シーンと併せて、ぜひ。
『戦場から生きのびて ~ ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア


★ そういえば、似たタイトルの本を思い出しました。『ぴいちゃぁしゃん―ある少年兵のたたかい』です。こちらは、日本が中国の満州でしでかしていた戦争に巻き込まれた少年のお話。書いたのは、児童文学や反戦文学のはしり的存在の乙骨淑子という人。ぜひ、図書館でチェックしてみてください。

2015年7月9日木曜日

痴呆症(アルツハイマー病)に光明が!



『ギヴァー』誕生のきっかけについては、すでに紹介しました
老人ホームに、両親を見舞うことだったのです。

お母さんは、記憶がハッキリしていましたが、からだを動かすことができませんでした。
お父さんはその逆で、からだは元気なのに、記憶がなくなって(弱って)いました。

著者のロイス・ローリーが、『ギヴァー』を書いた段階では、記憶喪失を止めるための方法は明らかにされていませんでしたが、いまはかなり可能性がでてきています!!

65歳以上の4人に1人が認知症とその予備軍と言われている今、とてもいい取り組みがあちらこちらで行われています。

まず、認知症は、25年ぐらい前から発症しているという事実。
それには、生活習慣病への対策が、とても効果があることが紹介されていました。
日本に比べると、イギリスが過去10年ぐらい、官・医・産と連携して取り組んでいることが大きな成果を上げているそうです。(要するには、血圧を上げない取り組みです。なんと医者は、予防することがポイントになってもらえる報酬が上がるのです。それに対して、日本は結果でしかポイント=報酬になりません。★)その結果、発症する割合を半分に抑えているというのです。

発症段階では、糖尿病の薬が、認知症の進行を抑えるのにとても役立っていることがすでにわかっています。

そして、発症後は、「見つめて 触れて 語りかけて 立つ」をベースにしたユマニチュードという方法(フランス人のロゼット・マレスコッティ氏が開発)がとても効果を上げています。要するに、患者に物として接するのではなく、(ケアが必要な)人間として接することだと理解しました。


★ 日本は、相変わらずGNPを上げるための政策を、官僚も、医者たちも、産業界もとり続けているとしか言いようがありません。官僚は予防を重視しないこと、医者は大量の薬を出すこと、産業界は必要もない塩分を過剰に使うことなどで。結果的に、患者/消費者が高いコストを支払う仕組みになっています。(さらには、日本では、いつからか薬屋で薬を購入することになり、二重三重にコストがアップしています!)
  ちなみに、政治家の「政」は、最初から無視しました。書いたところで、何も期待できる存在ではありませんから。

2015年7月7日火曜日

裸の王様




やっぱり、この国の長老たち(ごく一部の長老たちだけ?)は、おかしいです。
自分に都合のいいと思うことはやり、都合が悪いと排除する(できる)と思っているようです。それが、政治権力を握るということだと思っているようです。

でも、長老がそう思っているということは、そういう考え方が社会の端々まで浸透していることの表れでしょうか? 要するに、問題は私たちの中にあるという。

『ギヴァー』のコミュニティも同じかな? 政治権力をもっているという感覚はないように思うのですが・・・・


2015年7月5日日曜日

再び、習慣について



習慣がすべてとは言いませんが、4割というのも、少なすぎる気がします。

学校や職場、そして家の中でしていることの圧倒的な部分は習慣(要するに、考えなくてすむ状態)だと思うからです。考えているなら、「もっとマシになってもおかしくないんじゃない」という期待もあります。

特に、学校の中で起きていることは、習慣尽くめという気すらします。
それも、何十年も。
すべてが悪いことばかりではありませんが、見直した方がいいのがとても多いことは否定できないと思います。

習慣に浸って入れば、安心です。それに反して、変わったことをしようものなら、「波風を立てる」とイヤな目で見られます。それがイヤで、習慣には納得できなくても、仕方なくお付き合いしている人たちのいかに多いことか!!

別に学校や授業の中が特殊なわけではありません。
会社や社会の縮図なだけです。狭い分だけ、いろいろなことが濃厚に出てしまうだけです。
学校の中だけがおかしなことをやり続けているはずがありません。
外でもおかしなことをやり続けているので、気がつかない(つけない)だけです。

『ギヴァー』のコミュニティも、同じ状況にあります。
自分たちのしていることに、何のおかしさも気づけません。(習慣/洗脳の恐ろしさ!)
その意味で、私たちの社会やしくみとまったく同じです。

しかし、きっかけがあって、ジョナスがこれまでの習慣を変える行動に出ました。そして、それは自分だけに影響があるのではなく、コミュニティ全体に影響を及ぼしてしまう可能性があります。全員に記憶が戻ってしまうからです。
その意味では、記憶と習慣というのは密接な関係にあるようです。
私たちの社会では、記憶はあるはずなのですが、あたかもほとんどないがごとく扱われている気がしないではありません。

2015年7月4日土曜日

習慣について



『習慣の力』チャールズ・デュヒッグ著を読んで考えたことです。

「私たちの生活はすべて、習慣の集まりにすぎない」
1982年にウィリアム・ジェームズはそう書いている。私たちが毎日行っている選択は、よく考えた末の意思決定だと思えるかもしれないが、実はそうではない。それらは習慣なのだ。一つ一つの習慣はそれほど重要ではない。しかし長期的に見ると、食事で何を注文する、毎晩子どもたちに何を言うか、お金を貯めるか使うか、運動をどのくらいするか、考えをどうやってまとめるか、そしてどんな手順で仕事をしているかといったことが、その人の健康や効率、経済的安定、幸福感などに大きく影響を与えている。デューク大学の学者が2006年に発表した論文によると、毎日の人の行動の、じつに40%以上が、「その場の決定」ではなく「習慣」だという。(7~8ページ=エピローグの一部)

この本では、習慣を以下の図で表わしています。




そして、マクドナルドなどのファーストフードや、コンビニなどは、このループを巧妙に使いこなしているのです。
たとえば、こんな具合です。

長い一日が終わり、空腹の子どもを車に乗せて家に帰ろうとしている途中、マクドナルドやバーガーキングに寄りたくなるのはわかる。値段はそれほど高くないし味もまあまあ。加工肉(以下、52ページのコピーに続く)




自分が巧妙に習慣化されていることに気づいている消費者は、どれほどいるでしょうか?

でも、次に書いてあるように、そしてジョナスが体験したように、習慣から脱することも、そう難しくはないのです。きっかけ次第で。




最初に紹介した引用は、プロローグからでしたが、最後はエピローグです。








ちなみに、ジェームズは、このブログでは何回か登場している鶴見俊輔さんが研究していたプラグマティズムの第一人者の一人です。

2015年7月2日木曜日

絵本『あそこへ There』



ジョナスは、自分のコミュニティとは違う「あそこ」へ向かって旅立ちました。

表題の絵本(マリー・ルイーズ・フィッツパトリックさく)を訳した「日本の老子」の加島祥造さんが「あとがき」で、以下のように書いています。

There」という謎めいた題名のこの絵本は、不思議な暗示にいろどられています。
「あそこ」がどこにあるのか、遠いのか、近いのか、楽しい場所なのか、こわい場所なのか、それさえも、はっきりとはわかりません。けれどページをめくってゆくと、この女の子と同じように、「ここ」とはちがう場所を思う気持ちが心にわいてくるのではないでしょうか。
今いる「ここ」とはちがう場所に行くのは、とても楽しみなことであり、
同時に、不安になることでもあります。けれど、ひとは、ずっと同じ場所にいることはできません。
子どもであれば、成長し体も大きくなるし、学校へ、社会へと環境も変わります。
おとなであっても、同じです。思いがけないことが起こって、
人生が思いがけない方向にいくのは、しばしばあることです。
人生とは、まだ知らない「あそこ」への旅だということもできるでしょう。
見知らぬ「あそこ」に行くことを楽しむか、こわがるか。どちらでもよいと、私は思います。
「ここ」ではない「あそこ」があるのだと想像し、流れにのっていれば
いつか自分も「あそこ」に行くのだ、と心に感じている、
そのことが大切なのだと思います。