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2014年1月30日木曜日

時間と永遠を考える



2014年哲学連載17回目/『哲学してみる』の8回目。

 記憶や歴史と切り離せない、この時間と永遠について、『哲学してみる』の絵本では、
「時間
 それは、運動であり、ものやひとを変える出来事が連続して起きること。
 はじまりがあって終わりがあるもの、過ぎ去るすべてのもの。
 過去であり、現在であり、未来であるものです。」
と、
「永遠
 それは、持続するものであり、けっしてとどまることなく持続するようにみえるもの。
 変わらないもの、けっして変わらないであろうもの。
 時間に支配されないようなものです。」
と書いています。

 『ギヴァー』のコミュニティは後者(永遠)で、日本も含めた地球は前者(時間)の捉え方をしている??

 本では、この項目の最後に、「おそらくわたしたちは、永遠であるとともに死すべきものなのです」と結んでいますが、あなたは賛同しますか?

2014年1月28日火曜日

自然と文化を考える 2



2014年哲学連載16回目/絵本『哲学してみる』の7回目。

 「ひとは、自然の大きなサイクルのなかで生きていて、
  死を避けることができません。
  最先端の医療が死後を延ばしても、自分がいつか死ぬことを私たちは知っています。」~ 『ギヴァー』のコミュニティは、現在よりも進んだ科学技術をもっているかのようですが、この死に対する接し方はいさぎよいというか・・・・

 「自分が死ぬという確信は、わたしたちの存在に意味を与え、この地上を通過したことの痕跡を残すように促します。」 ~ この辺、記憶と歴史を放棄し、そして自分の子孫を残すという行為も放棄した『ギヴァー』のコミュニティでは、どういう形で意味を与えているのかが、イメージできません。

 「こうして、ひとは考え、芸術作品を創りだします。あらゆる種類のものを考案し、製作します。」 ~ 『ギヴァー』のコミュニティでは、あまり考えているようにも、創りだしているようにも見受けられません。そういったことには、触れられていないだけ?

 「世界を変え、空間を支配します」 ~ これは、それなりにはしていたと思いますが。

 「わたしたちの文化は、死すべきものとしてのひとの自然なあり方を変えないにしても、わたしたちに死を自覚させ、受容させ、乗り越えさせてくれるのです」 ~ この点についての『ギヴァー』のコミュニティの現状と日本の現状を比較することは面白いと思うのですが。

2014年1月27日月曜日

自然と文化を考える



 2014年哲学連載15回目/『哲学してみる』の6回目。

 これも『ギヴァー』の大切なテーマのひとつに含まれていた気がします。
 コミュニティが文化的な生活だとすれば、ジョナスが飛行機に追われ、そして入り込んだ林(森)は、植物や動物や鳥がいっぱい(=自然そのもの)のようなイメージを持ちました。

「自然
 それは、人間の能力のおよばないところにあるもの。
 植物や動物、岩や山、川や海、人間の体や頭脳といったもの。
 それはまた人生を導くものであり、人生に必要なすべてでもあります。」

 なんか、最後の行が特に響きます!! そして一方、

「文化
 それは、人間の知性がもたらしたもの。
 言語、思想、芸術、科学、技術といったもの。人間の知性から生まれ、
 その後、世界を変えていく作品や仕事になったものも文化です。
 おなじ社会の人間を結びつける習慣や儀礼や信仰もそうです。」

そして、以下のようにも書かれていました。

「私たちの文化は、死すべきものとしてのひとの自然なあり方を変えないにしても、わたしたちに死を自覚させ、受容させ、乗り越えさせてくれるのです。」

 これは宗教ということ??

2014年1月25日土曜日

理性と情動を考える



  2014年哲学連載14回目/『哲学してみる』の5回目。

「理性
 それは、行動するためによく考え、問い、なにがあるかを分析
 し、行為の結果をできるだけはっきり予測する能力。
 ものごとを理解し制御するために論理的な説明を与えようとする意志でもあります。」

 ジョナスの最後の行動は、どれだけ理性的だったでしょうか? それとも、

「情動
 それは、ひとが制御することも、抵抗することもできずに、
 ただ受けとるような心の動き。
 本能的にひとをひきつける力であり、私たちをなにかの方へ、
 だれかの方へと押しやり、ある考えの方へ、ある行為へと押しやります。」

 ジョナスは情動で動いていたのでしょうか??


「ひとはみな理性と情動のあいだでゆれ動いています」

とのことです。そして、

「創造や革新は理性と情動の組み合わせによって生じます」

とあります。

日本の政治には、理性と情動はあるのでしょうか? あるとしたら、あまりに低次元なものでしょうか?

『ギヴァー』のコミュニティは、創造も革新も選択的に放棄した社会ですから、理性や情動も廃した社会です。

2014年1月23日木曜日

自由と必然を考える



 2014年哲学連載13回目/『哲学してみる』の4回目。

 「自由
 それは、自分自身による選択の可能性。
 なにを考えるか、なにをするか、なにを愛するか、どこへ行くか、どのようにふるまうか・・・・。」

 なんか、ジョナスのことを書いているよう!!

それに対して、

 「必然
 それは選択の余地のないもの。
 わたしたちに課せられ、わたしたちを拘束するもの。
 したがわねばならないものです。」

 ジョナス以外のすべての人たち?

 私、日本人のどれだけが「必然」ではなく「自由」に生きているでしょうか?


そして、こうも書かれています。

「必然を考えることなしに、自由は存在するのでしょうか?」

2014年1月22日水曜日

存在と外見を考える



 2014年哲学連載12回目/『哲学してみる』の3回目。

 「ものごとは、しばしば外見で判断されます。

 わたしはごく小さな胚としてこの世に誕生し、やがて成長しておとなになり、最後には灰になってしまいます。どれがほんとうのわたしなのか、どうすれば知ることができるのでしょうか?」

 ウ~ン、すごい文章。
 ひとつの文章で書くと、確かにそういうこと。
 胚から灰へ。
 
 『ギヴァー』のコミュニティなら、ニューベービーからリリースされて死へ。

2014年1月21日火曜日

有限と無限を考える



 2014年哲学連載11回目/『哲学してみる』の2回目。

 有限なもの
 それは、はじまりと終わりがわかるもの。

 無限なもの
 それは、始点や終点、大きさがわからないもの。

 『ギヴァー』のコミュニティには記憶(歴史)を葬り去っているので、はじまりと終わりが分かりません。ということは、無限な社会?
 でも、ギヴァーとレシーヴァーのみは知っている!!

  私たちの社会には、はじまりと終わりがある? それともない?

2014年1月20日月曜日

哲学してみる



 2010年の4月~5月にかけて哲学を書いて以来、第2回目の哲学シリーズを年明け早々続けています。2014年連載10回目。

 「はじめての哲学」シリーズの最初の本に位置づけられるのが、こちらの『哲学してみる』だったようなのですが、先に、『よいこと・わるいこと』の方を紹介してしまいました。(『神様のこと』も読んだのですが、ピンと来ませんでした。それは、『ギヴァー』のコミュニティにも、いまの日本にも関連づけられないから?)

 その1ページ目に、「どうして反対を考えるのでしょうか?
 あれこれ立ち止まって考える哲学は、反対語なしにはできないのです。
 この哲学の本は、そうした考え方にもとづいています」
と書かれています。

 この本で扱われているのは、12の対立する捉え方です。

まずは、『ギヴァー』のテーマでもある「一と多を考える」

「単一性
それは、集まりをひとまとまりのものとしてみること。
たとえば学校のクラス。生徒が何人いても、
分かれられないひとつの全体であるかのように語ることができます。」

こちらについている絵は、色がなく、先生以外はみんな同じ形、大きさ、色をしています。

それに対して、

「多様性
 それは、あるひとつのものを多数の要素に分けること。
 ひとつのクラスではなく、
 あらゆるタイプのちがった生徒が多数いると考えることです。」

 子どもたちの目と鼻の口の形は同じなのですが、顔の大きさ、髪の毛の色、中には眼鏡をかけている子もいたりして、多様さが伝わってくる絵になっています。

 さて、日本のクラスや学校や、そして社会はどっち?
 『ギヴァー』のコミュニティでは?
 基本的には、全部灰色で、服装も年代毎に同じでした。
 映画では、どういう形で提示してくれるのか、楽しみです。

2014年1月19日日曜日

テレビを見ない若者



 http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishimorimichiyo/20140113-00031521/

 つい最近までは、テレビを見すぎる若者と批判されていたというか、社会問題化されていたぐらいですから、いいことかと思いきや・・・・

 少なくとも、バラエティ番組などの常連にとっては、危機的な状況のようです。

 要するには、テレビはコミュニケーションの媒体ではない、というのが最大のポイントのようです。それよりも20代以下の若者たちは、自分が主役になれるTwitterLINEFacebookの方に流れがちだと。(私など、そのいずれもやっていませんから、これからのコミュニケーションはいったいどうなっていくのかと、心配でもありますが・・・、もちろん、テレビがコミュニケーションの媒体とは思っていませんし。)

 『ギヴァー』のコミュニティでは、テレビはありませんし、TwitterLINEFacebookなどのネット社会になっているようにも思えません。いったい彼らのコミュニケーション手段は何なのでしょうか? 

2014年1月18日土曜日

「そざい」から「そうざい」へ



 食べ物つづきです。




 私が日ごろ使っているスーパー2つでは大分前から「そうざい」コーナーは結構広いスペース★でしたが、最後まで「そざい」重視で一番利用している生協もついに昨年末「そうざい」重視の方向に転換しました。(おかげで、そざいの棚はその分カットされ(?)、しかもそうざい作りに一人張り付くことになりますから、レジでの待ち時間が増えました。★)

 世の中の動きを身をもって体験させられました。

 ある意味、『ギヴァー』のコミュニティは、それを先取りしているわけです。
 残念ながら、選択は許してくれない形ですが。


★ 惣菜を買うことは3~4か月に一回もないぐらいなので、どれだけ充実されても、こちらには何のメリットもありません。

2014年1月17日金曜日

給食



 そういえば、『ギヴァー』のコミュニティの住人は、食べるものはどこか一箇所でつくられ、それが配布されて、全員が同じものを食べる仕組みになっていると思われます。

 著者のローリーさんは、日本の給食のことを知っていたのでしょうか? 

 そういえば、高齢者や障害者用の宅配食サービスは日本で始まったのではなく、欧米の方が先でした。

 これもかなりの程度、スケールがポイントだと思います。3500人のコミュニティだからこそできること。なかなか数万の都市の規模ではできません。というか、もれが出てしまいます。

2014年1月16日木曜日

東北もう忘れたか byドナルド・キーンさん



 東日本大震災の直後、日本に移住した日本文学者のドナルド・キーンさんがインタビューに応えて

 「本来のオリンピック精神からかけ離れ、極端に多額のお金を使って人々をびっくりさせるイベントになっています。どうしても日本でやりたいなら、東北でやればいい。東北なら意味があるでしょう」 ~ 東京では意味がない、ということ。

 「景気がよくなっていく裏側で、憲法を変えよう、原発を進めようという動きがあります・・・・世界で最もすばらしい憲法を日本は捨てるのでしょうか」

 「被災地ではまだ仮設住宅で生活している人がいます。仕事場のない人が大勢います。東北の人々がどんどん減っている。その一方で東京の街は明るい。みなさん、東北を忘れているのではないでしょうか?」
            (朝日新聞、2014年1月15日朝刊)

 こういう考えと、自民党を中心とした動きとはかけ離れています。

 よくわからないのは、2人の元首相経験者の動きです。

2014年1月15日水曜日

よいこと・わるいこと 最終回



 絵本『よいこと・わるいこと』の最終回です。

 「よいことはわることの反対で、ふたつは はっきりと区別することができると考えるひとがいます。
 他のひとは、よいこととわるいことの境界線はかなりあいまいで、わるいことも かんたんによいことになってしまうと思っています」

 という2つの見方からすると、後者の方がウェートが大きいでしょうか?
 『ギヴァー』のコミュニティも、そして日本も。

2014年1月13日月曜日

よいこと・わるいこと その8



「ある人は、自分のことを思ってくれる人を信頼し、面倒をみてくれたり助言をくれたりすることにたいていありがたいと思います。
 他の人は、自分に行為的な人を警戒する傾向があります。何がよいかを私たちよりもよくわかっていると思って、考えを押しつけようとするからです。」

 これについて、私たちの社会や『ギヴァー』のコミュニティではどう捉えているでしょうか?
 単純に、人さまざま、あるいは場面に応じて違うということでしょうか?

2014年1月9日木曜日

よいこと・わるいこと その7



「生きていくうえでは、自由、真実、喜び あるいは平穏 がどれも同じくらい意味のあることだ」と、『よいこと・わるいこと』の中には書かれていたのですが、『ギヴァー』のコミュニティでは、それら4つは同じウェートで大切にされているのかな、と考えてしまいました。

 どうでしょうか?

 平穏だけが突出して大切にされていて、その他の3つはないがしろにされている、という印象なのですが・・・・

2014年1月7日火曜日

ジョナスの妹リリーにとっての「よいこと・わるいこと」



よいこと・わるいこと その6 です。

『よいこと・わるいこと』の中に書かれていた
「よいことやわるいことは、国や地域が違ってもほとんど同じで、よいこととわるいことの定義については、みんなの意見は一致していると考える人がいます。
 他の人は、よいことやわるいことのとらえ方は、文化やひとりひとりによって異なり、ときにはその振る舞いに驚いたり、ショックを受けたりするほど違うと思っています」を読んで思い出しました。

 隣のコミュニティから来た子どもたちの振る舞いに腹を立ててしまい、そのことを毎晩行われる「感情共有」の時に紹介していたことが、まさに上のことではないかと。

 首相の靖国参拝が、依然として尾を引いています。
 そういえば、天皇の靖国参拝というのは、問題になったことがありません。単純に、行っていないのでしょうか? それとも報道されないだけなのでしょうか? そのことを、首相の靖国参拝に圧力をかけている人たちはどう思っているのでしょうか?

 首相の靖国参拝から、脱線してしまいました。

 いいこと・わるいことの捉え方の違いは、異なる国や地域の間だけでなく、同じ国の中にも存在しています。
 「身近な異文化」といいましょうか。

2014年1月5日日曜日

ジョナスのお父さんにとっての「よいこと・わるいこと」



 よいこと・わるいこと その5 です。

① ギヴァーがビデオを再生して、お父さんが双子の一人を解放しているシーンをジョナスに見せる場面は衝撃的です。ジョナスが、コミュニティを去る決断を下した一員にもなっていると思うぐらいに。 これは、「よいこと・わるいこと」を超越した機械的な作業としか捉えられません。

② 一方で、発育が遅くて解放される危機にあったゲイブリエルを家に連れてきて、夜も面倒見ようとしているのは、どういうこと???

 ちなみに、罪でない解放のケースは2つしかなかった。一つは歳をとった人の解放で、人生をまっとうしたことへの祝福として行われる。もう一つがニュー・チャイルドの解放で、こちらはいつでも「なんとかできたのではないか」という気持ちがつきまとう。これはとりわけ父たち<養育係>の永遠の悩みで、実行すれば必ず敗北感にさいなまれるのだった。(14ページ)
 と書いてあったが、①の行為をしていた父親は敗北感の片鱗も見せていなかった。

 いったい「よいこと・わるいこと」の基準がどうなっているのかな、と思わされる!!

2014年1月4日土曜日

ジョナスのお母さんにとっての「よいこと・わるいこと」



よいこと・わるいこと その4 です。

①(15~16ページ)、司法局に勤めていて、一人の再犯者をしかるべき罪を与えて更生することを望んだが、それなのに、「その人物が再び舞い戻ってきたのだ。母はひどい失意と怒りにうちのめされた。彼の人生を変えられなかったことに罪悪感すら覚えた」
 「あのひとの将来を考えたら怖くなったわ」母は気持ちを明かした。
 「だって、三度目はないのよ。規則では、三度目の違反はただちに解放、とされているわ」
 解放されるということは、口にできないほどの不名誉であり、想像すらしにくいことなのだ。

②(33~34ページ)娘のリリーが出産母になりたいな、と言ったのを受けて、
 「そんなことを言ってはいけません。<出産母>はね、敬意を払われることがとても少ないのよ。三回出産して、それで終わりなの。その後は<老年の家>に入る日までずっと、<労働者>として人生を送るの。そんなふうになりたいの? リリー。三年間の無気力な日々、そしてその後はずっと、老人になるまで、つらい肉体労働が続くのよ」
 これは、完全に就職差別の発言!? それとも、歴然とした事実?!

2014年1月3日金曜日

よいこと・わるいこと その3



 人の命を奪うことは、わるいこと。

 しかし、その人の命をあえて奪う解放(リリース)が当たり前のように組み込まれているのが、このコミュニティの大きな特徴。
 それを悪いこととは思っておらず、至極当然なものとして受け入れられている。

 みんなにとって、その方がいいことだから??

 愛とか悲しいという感情がないから?

 感情がないと、「よいこと・わるいこと」という判断もできない、ということ?

 記憶がないと、「よいこと・わるいこと」という判断もできない、ということ?

2014年1月2日木曜日

よいこと・わるいこと その2



『よいこと・わるいこと』の中に書いてある
「よい行いの源は、人間に生まれながらにそなわっていて、よい行いのためには、本能に導かれるままにすればいいと考える人がいます。
 他の人は、よい行いをするためには、努力が必要で自分自身の欲求に耳を傾けていてはだめだと思っています」という文章に触発されて・・・・

 ギヴァーは、ジョナスと同じようなこと(=コミュニティを抜け出すこと)を考えたことがあるのかな?
 その前のギヴァーは?

 ローズマリーは? 彼女が実はジョナスの前に次期ギヴァーとして選ばれ、そして実際にトレーニング期間にはいっていた!! そして、自らを解放(リリース)する選択を選んだ。原作には、ローズマリーは登場しませんが、今年の8月に封切り予定の映画の方では、歌手として有名なテイラー・スウィフトが彼女役として登場することになっています。すでに、彼女が登場すること自体、賛否両論あるようですが・・・)

 記憶を持つと、必然的に起こしたくなるアクションなのかな、コミュニティを抜け出すということは? 自分だけですべての過去を背負っていることのおかしさに気づいて。

 それとも、ジョナスには特別な何かがそなわっていたから、起こせたアクションなのかな?? ゲイブの存在?

2014年1月1日水曜日

「はじめての哲学」シリーズ



 新年早々、哲学でスタートです。

 以前に、オスカー・ブルニフィエの「こども哲学」のシリーズ(朝日出版社)のタイトルだけは紹介したことがありますが、正直、内容はあまり好きにはなれませんでした。
 同じ著者のこっちの方がおすすめできるかな、と思います。
 今度のは、世界文化社から出ている「はじめての哲学」シリーズです。

 たとえば、その1冊の『よいこと わるいこと』に触発されて考えたことは・・・・
 ジョナスがギヴァー以外の誰にも言わずに、ゲイブとコミュニティを抜け出したことは、よいことだったでしょうか? それとも、わるいこと??

 あなたは、どう思いますか?

 見る人によって違う?

 ギヴァーにとっては?
 家族にとっては?
 フィオナやアーチャーなどの友だちにとっては?
 ジョナスを次期のギヴァーに選出した長老たちにとっては?
 その他のコミュニティの人たちにとっては?
 コミュニティ以外の人にとっては? たとえば、ゲイブと橇で行き着いた先の人たちにとっては?
  当事者であるジョナスにとっては?
 そして、読者であるあなたにとっては?