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2024年4月24日水曜日

マサイの意外な死生観

 縄文時代関連の本を、ここ3か月ほど読み続けています。

 その関連で、国家やお金が意味をもつ前の社会について、これからの世界を考えるために読みました(これは、どうやら中沢新一さんの「カイエ・ソバージュ(野生のノートという意味)」の5冊シリーズを執筆する動機だったようです!)。

 そういう方向に私の頭が向かっているからなのか、ケニアとタンザニアで暮らすマサイの人々の生き方(と死に方)に興味をもちました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7797611fcf94e7ac21539a524f02d519fb356c68

 結構、ギヴァーで描かれていることが、いわゆる未開社会と言われるところで暮らす人々の生き方・死に方と共通点があるからです。著者のロイス・ローリーはそんなことを考えていたのかな~(続編の『ギャザリング・ブルー』や『メッセンジャー』は、そういう雰囲気が一層増している気がします!)。

2024年4月7日日曜日

『一人ひとりを大切にする学校』

 このデニス・リトキー著(築地書館、2022年)によって書かれた「生徒・教師・保護者・地域がつくる学びの場」というサブタイトルがついた本は、日本の学校教育にとっては50年ぐらい先を行っている試みがいろいろ紹介されています。(原書は、2004年に出ていますから、すでに20年経っていますが!)

 本では、高校レベルの実践が紹介されていますが、このMET Schoolという学校を運営しているBig Pictureという組織は、すでに小学校も運営していますし、そのコンセプトに則った学校を世界中で50校ぐらいの運営しています。https://www.bigpicture.org/schools

 学校が実施しているキーワードには、アドバイザリー、インターンシップとメンター、エキシビション、ポートフォリオ、ナラティブ、保護者と地域のコミットメントなどがあります。

 アドバイザリーは、ホームルームがすでに機能していないということで、一人の学校のスタッフが15人の9~12年生(アメリカの高校は4年間)と過ごすグループのことです。これによって、学校のなかに家族的なものをつくりだしています。

 インターンシップとメンターは、学校の外で生徒が過ごす時間が少なくとも年間の3分の1ぐらいはあるので、その働き口の組織と担当者にアドバイザー役を担ってもらう仕組みです。

 エキシビションとポートフォリオおよびナラティブは、全部、評価に関係します。この学校には、テストらしきものはありません。その効果に疑問をもっているからです。生徒が知ったり、できるようになったことは、それを証明する手段として。より効果的なのがエキシビションとポートフォリオというわけです。ポートフォリオは、生徒が日々つける記録で、エキシビションは年の最後にする博士論文の口頭試問のようなものです。20分ぐらいの発表の後に、40~60分の質疑応答の時間がもたれます。質問をするのは、同級生、上級生、下級生、教師、メンター、保護者などです。ナラティブは、教師が生徒の出来具合やこれからすべきことなどを文章の形で生徒と親に向かって(結構長く)綴ったもののことです。

 Met Schoolをはじめ、Big Picture Learningネットワークの学校は、いわゆる学校らしい建物や敷地はもっていません。保護者はもちろんのこと、地域の団体や会社までを含めたスペースを学校と捉えているからです。生徒に真剣にいろいろ尋ねられたら、それに応えない大人はいるでしょうか? 多くの地域の大人がボランティアで生徒たちの教育にコミットしています。

 本の内容というか、Big Pictureの紹介が長くなりましたが、『ギヴァー』のジョナスたちが生徒時代の最後の数年間していたことも、インターンシップだったことを覚えていますか? そして、かなりの確率でインターンシップで体験した職に、12歳以降(若すぎる!)はついていました。

 こんなところでも(老後の過ごし方や死に方なども?)、『ギヴァー』は時代を先取りしています。

2024年2月2日金曜日

的を射ている小泉今日子さん?!

小泉今日子“クイズ番組で霜降り牛肉もらう”おかしさを指摘…「バラエティくだらない」はテレビへの苦言(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/a5a62e10a95bf263a3a5db554bcce3df72743e9d

 これはテレビ業界の話ですが・・・同じことはテレビ産業を含めた産業界全体にも、政治の世界にも、そして教育の世界にも言えてしまうことなのですが・・・彼女みたいに言う人がいない? 言われても気づけない・・・気づいても無視・・・

2024年1月12日金曜日

“政治はカネがかかる”を許してはいけない!

 昨年からの「パーティー券」問題を受けて、ようやく岸田さんが重い腰を上げて「政治刷新本部」を立ち上げましたが、それに期待をもてている人はどれくらいいるでしょうか? 何と言っても、自民党の議員38人だけですから。

少なくとも、自浄作用を失っていることは、誰の目にも明らかなのですから、自民党の議員以外の人たちに判断を委ねるぐらいの方法をとらないと無理だと思っている国民/有権者は多いと思います。しかも、今回も「トカゲのしっぽ切り」で終わってしまうとも思っています!

この点に、元政治家で具体的な提言をした人がいたので、紹介します。

「“政治はカネがかかる”に反論する」をテーマに、田中秀征(福山大学客員教授・元経済企画庁長官)が2024年1月11日 NHKラジオ「マイあさ!」木曜7時台けさの“聞きたい”で話した内容です。(これは、1週間後まで「聞き逃し」で聴けます。)


今回の「政治とカネ」の問題の特徴は、違法性を知りながら、集団で長期間にわたって行っていた。非常に悪質。

今までの責任の取り方とは違う必要がある。

岸田さんが「政治刷新本部」を立ち上げた。その論点として掲げたのは、

・再発の防止

・透明性の拡大

・派閥をどうするか の3つ。

一番大事なものが欠けている。それは、党(とかかわった政治家)は、どのような責任を(国民/有権者に対して)取るのか。「これからはやらないようにします」ではすまない。

「辞職します」を含めて、個々の政治家も、党も責任をとらないと、前に進めない。

その議論が含まれていない。

 

自分自身、自民党時代に一回、新党さきがけ時代に一回、パーティー(講演会)でお金をとったことは記憶しているが、それだけ。(それほどお金は必要なかったのか?)お金をかけないでやろうとすれば、できる。

有権者の責任ということからすれば、「選挙や政治にはカネがかかる」と政治家が言ったら、それを認めてはいけない!

政党助成金の制度(300数十億円)もある! それにもかかわらず、さらに金がかかっているのはなぜか?

印刷費、人件費、飲食費(凄まじい金額を使っている)等。

しかし現実は、飲食交際費に多額のお金を使いながら、日本の政治も経済も劣化してきたんじゃないですか。

いま、こんな大きな転機はない!

党より人という発想がない。見識のある個人が一人でも二人でも議会に送れるような仕組みになっていない。いまあるのは、政党に飲まれる制度。