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2016年1月11日月曜日

『新しい風土記へ』鶴見俊輔座談

本のメモです。

51 戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であると知ると、「私は大学でたくさんのことを学んだが、そのあとたくさん、学びほぐさなければならなかった」といった。学び(ラーン)、のちに学びほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
 大学で学ぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それを学びほぐしたものが血となり肉となる。アンラーンの必要性はもっと考えられてよい。 ~ まったく!! なかなか、これを言える人は少ない。

55 「国家社会のためにがんばってください」というのを子どものころに聞いて、変な言葉だなと思っていました。これを英語でいうとものすごく変なんだ。国家と社会は対等の言葉ではないですから。動物にも社会があるけれど、国家はないでしょう。
 言葉を使う前提となる理解を欠いたまま言葉を使い続けているということが、日本の政治にすごく影響しています。国家の形成より先に社会はすでにあり、国家の中にいくつも社会があるのに、社会をつぶして何でも国家本位になると思っている。これが日本のインテリの伝統になっているんです。
 ぼくは「国益」という言葉があやしくて、ひっかかるんです。ニホンでもアメリカでも、何かつけ「国益のため」というようになりました。
 しかしふたを開けてみれば、一部の人の利益のためにみんなをこき使う口実が「国益」なんです。幻想にすぎません。
57 安倍首相がとなえる「美しい国」呪文も、同類項です。 ただし、ちょっと脱字があって、実際は「美しい属国」です。 ~ いまは、それが「一億総活躍」になっている!! 一億総玉砕や懺悔の現代版?  前政権時代に「美しい国」を連呼していたわけですが、「この人、道を歩いたことないんだ!」と思ったものです。タバコの吸殻でいっぱいですから。それを毎日見ていたら、とても「美しい国」なんて言えるはずもありません。

61 岸田吟香、丘浅次郎、梅棹忠夫、小沢信男、ナンシー関、金子文子

71 障害者運動を知って、介助されていても自立はできるんだと、「自立」の概念が変わりました。「老後の自立」なんてうそですよ。老後は自立できないということをいかに受け入れるか。衰え方の作法と技法と思想が必要だと思います。
  老いて覚悟を持って生きている女性は多いけれど、男は少ないね。私に理想はぐちをいわない老人。私の知っている人では加太こうじ、姉の鶴見和子がそうでした。
  短歌、俳句といった短詩型は、老いた人が自我を表現する補助具になるんじゃないでしょうか。定型であることが手助けになります。

75 公の問題と私の問題がつながるような、そういう問題の立て方が難しくなっていると思います。 ~ 『ギヴァー』でずっと試みているのは、まさにそれ! それが難しいで終わってしまっては、何もよくならない!!

社会が残ることに国家が気がつけば、社会は国境を超えます。

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