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2011年1月22日土曜日

ゾウの死、人の死

 141ページに書いてあるゾウのしたことは、いまや人間があまりやらないからかな~、と。少なくとも、ジョナスの世界ではやりませんし、私たちの世界でも死への接し方はこれまでとは大分違ったものになってきています。

 先日、『武士の家計簿』(磯田道史著)を読んでいたのですが、彼らは冠婚葬祭の(主に、生と死というか、家族を維持する)ために生きていたようなところがあります。

 以下は、その本からのメモです。(数字は、ページ数)


77 自分の知行地を知らなかった/知る必要もなかった武士たち。土地と切り離された存在だった武士たち。

78~84 親戚付き合い(=冠婚葬祭)が極めて大きなウェート(=出費)を占めていた武士たち

92~3 武士の離婚率は極めて高かった。財布も別だった。必ずしも、家に嫁いだわけではなかった。実家への帰属意識の方が強かったよう。

171 「明治新政府を自立した人々は、お手盛りで超高給をもらう仕組みをつくって、さんざんに利を得たのである。官僚が税金から自分の利益を得るため、好き勝手に制度をつくり、それに対して国民がチェックできないというこの国の病理はすでに、この頃にはじまっている。」 ~ 著者の官僚観というか、制度の見方が伝わってきますね。

218 家計簿等の記録から著者が教わったことは、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわける、ということ。

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