★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2015年10月26日月曜日

『マシューのゆめ』(レオ・レオーニ作) その2



前回は書きませんでしたが、マシューが美術館の中を歩いていた時に出会ったニコレッタの存在です。
彼女が、抽象的な絵がたくさん飾ってある部屋で、「ここに ある え、みんな すきじゃない?」と、マシューに言ったのです。(マシューは、この路線でその後絵を描き続けます。)

その晩、マシューが見た夢は、ニコレッタといっしょに、楽しそうにいろんな色が重なり合い、音楽にのってゆっくりと動いていくところでした。
そして、「こんな しあわせは はじめてだった」ので、マシューはニコレッタを抱きしめ、こう言ったのです。「いつまでも ここに いよう」と。

そしてその後、彼は夢で見たことをすべて実現させたのです。

ニコレッタの「ここに ある え、みんな すきじゃない?」が出発点でした。
(それとも、この発言はマシューのだったのでしょうか? あるいは、『てん』の中でワシテの先生がチッポケナ点にサインさせ、額縁に飾った代わりに、マシューが通っていた学校のクラスのみんなと美術館に連れて行かれたのが、すべての出発点だったかもしれません。)

もう一点は、(この上のことと関連することかもしれませんが、)同じものでも見方が変りえる、ということ。
「きたない ごみの やまの あせた いろは、かがやいた。
くしゃくしゃに なった しんぶんさえ、やわらかく なめらかに みえた」
そして
「とおくから、みみなれた おんがくが きこえる ような きが した」

この最後のところなんて、『ギヴァー』のラストシーンを思わせませんか?

すでに、夢(記憶?)の中で見ていたから、これらを想像できたのでしょうか?
夢を見ていなかったら/記憶がなかったら、できないことを意味するのでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿