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2025年12月10日水曜日

今こそ、もう一度、読み直すべき本

今は東京と富山で二重生活を送っている『ギヴァー』の伝達者=普及協力者の伊藤さんが、以下の文章を送ってくれました!

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最近、「ギヴァー」4部作を読み直しました。

正確に言うと、「ギヴァー」は何度も読んでいるので、その他の3作を読み直したのですが。


私は約半世紀の間、学校での公教育の仕事に携わってきました。

ずっと大切にしてきたのは、「一人ひとりに必ずある可能性を見出し拓き育てる学び」、「自分の価値観を礎に得意なことや好きなことがライフワークになる学び」、「民主的で平和な社会の担い手になる学び」ということです。

そして人との関係においては、「異なる者との相互の理解と寛容と協働」です。

 

でも、最近の日本や世界の在り方に不安を感じるたび、なんとなくこれまでやってきた日本の公教育への無力感が襲ってきます。

 

相変わらず一人ひとりに必ずある何らかの才能を見出し拓こうとしない(利用しようとさえしない)学校、多様性への寛容を失いつつある政治、蔓延する暴力、激甚災害やクマ騒動などの自然からの脅威。私は里山に住んでいますが、大雨による遊歩道の決壊や熊への恐怖でもう家の前の森に入れなくなってしまい、耕作放棄地と空き家が増え柿の木が伐採されていくなどして失われていく里山の風景。

 

「ギャザリング・ブルー」で、才能を搾取されながらも残って闘おうとするキラたちを思い出し、「メッセンジャー」では、変わりゆく人々と社会へのジョナスたちの闘いを思い出します。もし私たちの世界にもヒーラーのマティがいるとしたら、それはいったい何なんだろう?

為政者からディールという言葉を聞くたび「トレード・マーケット」も思い出します。

最後にどうやってゲイブはトレードマスターを倒したんだっけ?

そんなことを思い出したくて、島津やよいさんの翻訳本を手に取りました。以前は原文で読んだため当時は理解がアヤフヤだったことがハッキリして、もう10年以上?の時が経ってから、改めて色々と考え直しています。

 

今だからこそ、もう一度、読み直すべき本であると思います。

 

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