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2023年6月23日金曜日

「『任意』とは、国は責任を取らんということ!」

https://news.yahoo.co.jp/articles/bbae763d4f4dd134dfe4d84d0e071409dbc70b28

以下は、明石市長の連載記事の一部です。

   「マイナ保険証に別人の情報の誤登録7372件」、「別人のマイナンバーに公金受取口座の誤登録748件」、「マイナ保険証で医療費を10割負担させられた例533件」……。マイナンバーをめぐるトラブルが後を絶たない。岸田文雄首相は6月12日、国民に陳謝しましたが、それで済む話やない。 

 要は、本人と別人を間違えたという話ばかりで、“イロハのイ”やないかい! 

  私はマイナンバー制度に、絶対に反対というわけではありません。あえていえば「中立」のスタンス。個人情報が漏れないように対策を万全にするという条件つきで、マイナンバーにはプラスの面もあると思う。  

 国はマイナンバーカードを普及させる理由として、「ほかの国も実施している」と説明しています。しかし、アメリカやフランスは、社会保障目的に限定しているんです。  

 日本みたいに、運転免許証や健康保険証、母子手帳までぶち込んでしまおうという国は珍しい。あれもこれも一緒にすると、情報が漏れるリスクが高まるし、すべて紐づけるメリットもわからない。  

 だって、身分証明のためなら、すでに運転免許証があるし、健康保険証だって、なんで作り直さなあかんねん。お年寄りが困るだけですやん。それに、なんで行政情報に民間の情報まで紐づける必要があるん? そもそも“マイナンバー”という言葉がおかしい。国が勝手に数字を決めるから、「私の数字」ちゃいますやん。  

 この制度をおこなうことで国民が幸せになれるのか、いままでの不利益が解消されるのか……。議論がほとんどないまま導入されてしまったのが、最大の問題やと思います。

2023年6月17日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 136 

 しばらくぶりの『ギヴァー』と関連ある本です。それは、梨木香歩著の『ほんとうのリーダーのみつけかた』。以下、私が関連があると思ったところを、本からピックアップして(左の数字は、本のページ数)紹介します。

 

31 あなたの、ほんとうのリーダーは、その人(自分自身)なんです。

   それは・・・「自分のなかの目」、でもあります。同じひとです。・・・自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす・・・チーム・自分・・・これは、個人、ということです。

32 そして、群れというのは本来、そういう個人が一人ひとりの考えで集まってできるものであるべきだと思っています・・・さまざまな群れがありますが、それに所属する前に、個人として存在すること。盲目的に相手に自分を明け渡さず、考えることができる個人。

   じゃあ、どうやったら個人でいつづけられるか。自分のなかに自分のリーダーを掘り起こすって、どうやって?

 

 この後、「批判的精神」の大切さを説明してくれていますが、私は、「批判」を使った(と訳した)瞬間に違ったイメージをもたれてしまうと思っているので、使わなくなっています。英語では、critical thinkingです。直訳すると、確かに批判的思考ないし批判精神なのですが、それはあくまでも「直訳」であって、その言葉の本質部分をついていません。この言葉と40年近く格闘してきた経験★からいうと、現時点でベストの訳は「大切なものを見極める力と、その反対の大切でないものを排除する力」です。

 

37 そのためには、まずは自分自身で考える、ということが大切です。

 自分で考えるためには、そのための材料が必要です。その材料となる情報をまず、摂取しなければなりません。でも、その情報もすべて鵜呑みにするのではなく、自分で真剣に向きって、おかしいと思ったら、これはおかしいんじゃないか、と、疑問に思わなければならない、そういう時代になりました。つまり、その情報ができたところの事情を想像する力もつけなければならない。

 

 この後、マスコミも大切な情報を伝えてくれるわけではない事例を紹介しています。

 

44 「え? そうかな?」と思ったことを大切にする。それが、あなたらしさを保っていく。

 

56 『君たちはどう生きるか』が広く受け入れられている理由は、大まかに言って二つ。一つは客観視と、それに伴う主体性の「揺らがなさ」にまつわること。

 

 ここでは、「揺らがなさ」がカッコになっていますが、より大切なのは主体性(agency)★★のほうです。それがないというか、育む努力がなされていないところでは、「揺らぎ」自体も存在しませんから。

 この後、石川さつき著の『村八分の記』について考察しています。日本は、いまだに村社会のままではないか、と。

 

91 石川さんの、民主主義を渇望するが故の行動は、図らずも、この国は全体として、本当に民主主義を欲しているか、そもそもこの国の土壌にそれは根付くのかという、それこそ根深い問題をも浮き彫りにした。

 

94 日常のなかで、ふとそれまで一般には疑問視されてこなかったことに「引っ掛かる」ことがある。(グレタ・トゥーンベリさんや石川さつきさんの行動が紹介された後で)たいていの人間は・・・疑問をもったことすら忘れてしまう。けれど、彼女たちは言いくるめられない・・・そういう引っ掛かる力が、社会全体を牽引していくのだろう。

 

 以上メモしたことのほとんどは、『ギヴァー』のなかでジョナスが考えた結果、アクションとして起こしたことと同じというように、私には取れたので紹介しました。

 

★1885年頃に最初に私がcritical thinkingに出会ったのは、カナダのグローバル教育を実践している先生たちが最も大切なことをcritical thinkingだと答えているアンケート結果を見たからです。日本では、そんなふうに答えられる教育関係者はほぼいないと思い、実際に調査をしてみたところ、その通りの結果が出ました(ちなみに、日本での断然トップは「思いやり」です。38年後の今同じ調査をしても、ほぼ同じような結果が両国で出るのではないかと思います!)

 次の出会いは、critical friendをテーマにした丸3日間の研修会に参加しました。そのやり方は、『学びの中心はやっぱり生徒だ!』の240~241ページで紹介されています。あるいは、https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.html で読めます。次は、『「考える力」はこうしてつける』がcritical friendの存在で書かれた本ということでした!

 知ってから、最初の20年ぐらいはcritical thinkingは「批判的だが温かく」とか「批判的だが、建設的に」と、そしてcritical friendは「批判的な友だち」と訳していました。

 しかし、2006年ぐらいに、国語の作文指導のあり方を改善しようという「作家の時間」のなかで「批判的な友だち」を子どもたちにやってもらおうとしたのですが、誰も批判的になりたくないので、せっかくいい方法なのに使われませんでした。

 そこで、もがいた末にcriticalには「重要な、大切な」という意味もあることを思いだし、「大切な友だち」に名称を代えたところ、嬉々としてやり出してくれました。誰も、ファンレターをもらって、それほどうれしいことはありませんから。(でも、批判するのは嫌いです! 「大切な友だち」のなかでは批判はしません! 質問の形に変えて投げかけますが。)

 そして、ここ10年ぐらいは「大切なものを選び取る力/大切でないものを排除する力」を使っています。これなら、ほぼ40年前にカナダの先生たちがダントツで最も大切にしたいと言っていたのが、分かる気がしませんか?

 なお、クリティカルな思考は、「21世紀型スキルの4C」の一つとだいぶ前から言われていますが、ほかの3つ(コミュニケーション、コラボレーション=協働する力、クリエイティビティー=創造力)はそれなりに受け入れられても、クリティカルな思考はほとんど全く認知されていない状況が続いています。「批判的思考力」では、子どもたちが証明しているように、だれも批判はしたくないので受け入れられないでしょう。また、具体的にそれを磨くために練習する方法も、ほとんど紹介されないままが続いています。

 

★★『言葉を選ぶ、授業が変わる!』および『オープニングマインド』のなかで紹介されている、identity, agency, social imagination, 「それを考えるほかのほうほうはありますか?」「一緒に考え、力を合わせて取り組む」「世界を選択する」などの言葉や章立てで面白い内容が書かれている2冊の本です!

2023年5月20日土曜日

「車椅子やベビーカーユーザーの優先/専用エレベーター問題」

  さきほど、別に書いているブログhttps://selnewsletter.blogspot.com/2023/05/sel.htmlに、上のテーマで書き込みました。

 当初は、こちらのブログ用に書き始めたのですが・・・・

 これを『ギヴァー』の関連で見ると、そもそも問題として存在しません。https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=3500

 人口が最大で3500人を超えるとは思えないコミュニティーに、3階以上の建物があるとも、必要とも思えません。たとえあったとして、それにたくさんの人が同時に乗り合わせる状況があったとしても、すべての人はお互いを知っているような関係ですから、車椅子の人やベビーカーの人を無視して、自分たちが先に乗ってしまうということはありえません。

2023年4月26日水曜日

日本の公共空間の貧しさ

 海外のストリート・ピアノ(『駅ピアノ』、『空港ピアノ』、『街角ピアノ』)は、どれも様になっています。日本では、同じようにならないだろうと思っていたら、挑戦した例があるそうです。https://news.yahoo.co.jp/articles/481b87e9632d7b20ad0ccad0060c4d56095e7b33

 いったい何が違うのか?

 公共スペースの捉え方、そこでの振舞い方、そこでのコミュニケーション(関係)の取り方などの違いです。

 

 なぜ、今そのことを書く気になったかというと、先週、車や路上でマイクをがなり立てる選挙があったからです。これも、完全に公共空間の使い方を知らない表れです。

常人であれば、ああいうやり方はおかしいと思えますが、それをやり続ける(マイクを大声を出す)人たちは「異常」なので(あるいは、その期間だけは、「何でもあり」と錯覚しているのか)人の迷惑を考えずに、やりたい放題です。(お騒がせして申し訳ありませんが、という人もなかにはいますが、言い続けながら、やめないということは、言わないのと同じです! 他の方法を思いつかないので、やり続けます、と宣言しています。)

 

 この選挙でがなり立てることが許されること/やめられないことと、ストリート・ピアノが機能しないことは、私たちが公共スペースの使い方という観点で問題を抱えているだけでなく、コミュニケーションの取り方(人間関係の築き方)でも問題を抱えていることを表しています。そんな状態で、世の中よくなっていくでしょうか?

2023年4月18日火曜日

4年に一度の騒音公害の1週間

窓を閉めていても、騒音が押し寄せてきます。(耳栓をしても、逃れられません!)

 

国会や都知事・議会選、そして市区町村の首長選は、カバーしなければならない広さが壁となっているのでほとんど騒音の被害はありませんが、市区町村の議会選挙だけはこの問題にさらされ続けます。

この騒音公害といい政治が行われることには、何らかの相関関係があるのでしょうか?

もしあるのなら、我慢もできますが、まったくないのではないでしょうか?

決め方が他の方法であれ、現状が大して変わるとは思えません。

何よりも、投じている税金はバカになりません! その税金を使っている人たちや選挙に関わっている人たちで、それが無駄金だと思っている人は、果たしてどれだけいるでしょうか?

いい政治をもたらすために機能していないのであれば、他の方法を真剣に考えられないものでしょうか? 無駄金を使わない静かな方法を。

毎度のことながら、そういうことを考えさせられる「騒音公害」の1週間です。

ちなみに、騒音公害を垂れ流す候補者は、バツを付けて私のリストから消えます。人への迷惑を考えられない人が、いい政治をやれるとは思えませんから。

 

ギヴァーのコミュニティーには、こういうことは起きません!

顔の見える関係なので「近所迷惑」は、許されませんから。

うーん、でも、スピーカーで流れる有線放送はありました。(あれも、いまの時代にはなんとかできそうな気がします! 何せ、30年前の作品ですから!!)わが市でもいまだに2時半の子どもの見守り有線放送は続いています。効果を考えると、この官製騒音公害も早くやめるべきです。)

こういう「偽りの見守り」や「偽りの民主主義」を変えていかないと、と強く思います。

2023年4月3日月曜日

お金が存在しない、ギヴァーのコミュニティー

 前回(エイプリル・フール)の書き込みについて考えていたら、これまで15年ぐらいこの本について考え続けていたのに初めて気づいたことがありました。

きわめて単純なことなのですが、ギヴァーのコミュニティーにはお金も、お店も存在しないということです。

 なにせ、総住民の数が3500人ぐらいに限定されていますから、それらの必要性がないのでしょう。

あるいは、それら(貨幣経済という商業ベースの社会構造)がいかに悪いことを起こすのかという反省の上で、葬り去った(リリースした)のかもしれません。

 あなたは、この点についてどう思いますか?

2023年4月1日土曜日

エイプリルフールから「クリティカルな思考」について考えた

いまとなっては、ハロウィンやヴァレンタインデーなどと比べると、エイプリルフールはマイナーな存在になっているでしょうか?(私が小学生だった頃~60年前は、輸入物のイベントはエイプリルフールぐらいしか知られていませんでしたから、けっこうみんなで噓の付き合いをしていました! そういえば、クリスマスはありましたが、いまほど商業的ではなかった気が・・・ということは、すたれるか栄えるかの分かれ目は商業的に取り上げられるか否かということ?)

 それでは、かなりまずいと思うのですが、クリティカルな思考を大事にしない日本社会では、誰かに頼る部分が大きく、商業資本の力が大きいままが続きます★。クリティカルな思考は、「批判的思考」と日本では訳されがちですが、それでは2~3割しか当たっていません。残りの部分は「大切なものを見極める力と、その逆の大切ではないものも見極める力」が占めています。

 この思考法というか能力は、人が生きていく際のすべてに関係しています。選択のことですから。何の昼食を摂って、何は摂らないのか。どのルートを通って何時までに通勤(通学)するのか、それともいつもと同じルートと時間のままか。誰とは話をして、誰とは話さないのか。どの本は読んで、どれは読まないのか。どの候補者(政党)を選んで、どれは選ばないのか・・・・などなど。http://thegiverisreborn.blogspot.com/2011/04/blog-post.htmlと深く関連します。

 クリティカルな思考は、21世紀に不可欠な「4つのC」の能力といわれて久しいのですが、日本では他の3つ(コミュニケーション力、コラボレーション=協働する力、クリエイティブ=創造力)ほど脚光を浴びることがありません。(中身を理解していないこと=訳語の誤りと、それの育て方が分からないことが原因にありそうです!)

 

★この要素を見事に描き出した図があります(出典:『あなたの授業が子どもと世界を変える』)

ほかには、ユーモアをどれだけ大事にするかとか、ユーモアが分かるのかとも関係すると思います。そのほかに考えられる要素には、どんなものがあるでしょうか?