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2010年3月28日日曜日

コミュニティについて 4の3

NAVET(車輪の軸)というスウェーデンのオレブロ市内にある公立学校の紹介の続きです。 今回は、学校のソフト、つまりプログラム面です。


朝、学校に到着して、建物に入ったときから驚きました。受付にいるのが生徒なのです。約30分の校内のガイドをしてくれたのも生徒でしたし、とにかく最上級生が、いろいろな仕事(本来は教師がするようなこと)を担っているのです。それらをすること自体が、重要な学びと位置づけられているからです。生徒たちも学校の運営も含めて、自分が学ぶということに受身的にではなく、積極的にかかわるべきであるということ(あるいは、それが「義務」ということ)で、実行しているそうです。何を、どのように学ぶのかは、生徒たちにとって極めて重要だ、と思わされました。 基本的に、「生徒たちができることを、教師がするのはおかしい」という考え方に基づいて学校が運営されています。あるいは、その考えは親との関係にも反映しています。


学校は、6つのユニットにわかれて運営されています。


ユニット      ①   ②   ③   ④    ⑤    ⑥
生徒の年齢  13-15  13-15  13-14  10-12   6-9    6-9
グループ数    3    4     2    3     4         4
生徒数       74  73   45   68  59   56
教師数        6   6    4    6   6   6


このユニットは、ある意味で学校の中の「学校」になっており、いろいろな話は、まずユニットで行われるそうです。校長が言っていた「私たちは、絶えず“学び合う組織”(Learning Organization)であることを目指しています」という起点になっているのが、このユニットなわけです。
生徒も、教師も、このユニットのレベルで、学校の様々な運営に参加していきます。学校の施設をどう使うか、予算をどう使うなども含めて、まずはユニットで話し合い、決定したことを校長と個別に、ないしユニットの代表が集まって全体で話し合うそうです。例えば、教員研修も、このユニットにある程度の決定権が与えられており、予算をどう使うかも含めて話し合われます。(教員には、1年間を通じて5日間の、夏休みには8日間の研修日が保障されているとのことでしたが、どのようなコースを取るかで若干予算がかかってくる場合があるからです。) まさに、デューイが言った「民主主義の練習の場としての学校」を実践している!と思わされました。


学び合う組織を目指して、もう一つ重視していることは教師がしっかり自分のしていること(教え方)を「研究者」として客観的にみられるようにしていくことです。これも欧米ではよく言われ、かつかなりの実践が行われてきている分野のアクション・リサーチ(つまり、教えながら、いろいろなデータを集め、自分の教え方を評価し、振り返り、さらに練り直して教える。このサイクルでクラスの中での実践が向上していく、というアプローチ)などが導入されています。


その表れとして、子どもの世界は学校だけではないし、学びの場も学校だけではないので、積極的に学校の外に出て、実際に見たり、体験したりすることが奨励されています。しかし、ただ学校の外に出ればいいというわけではないので、プロジェクトとして、つまりある特定のテーマが設定されて、それを調べるために出て行くことになります。もちろん、調べたままで終わりではなく、クラスの中で発表するところまでするのがプロジェクト・アプローチです。教科の枠を越えて、生徒たちの関心に合わせて設定されたテーマについて学習するアプローチで、1週間全部をこれに使うこともあるそうです。これをするには、当然教師同士の連携・協力が不可欠です。テーマは、学年に応じていろいろですが、その時々の社会の関心事が扱われることも多いそうです。例えば、エリトリアや脳死など。(ちなみに、日本でも「総合的な学習の時間」として導入されましたが、導入した側(文科省)も、やらされる側(学校、教師、生徒)も、何がなんだかわからないままに過ぎ去ろうとしています。とてももったいないことです。発想は全然間違っていないのですが、導入のされ方がおかしかったので、価値のあることをやれないまま葬り去られようとしています。) 


2001年に再びこの学校を訪問した時は、廊下のアチコチにマルチ能力のポスターが貼ってありました。マルチ能力は、人の能力を多様に捉えようとする教育理論であると同時に実践です。少なくとも、①言語能力、②論理的・数学的能力、③空間能力、④身体・運動能力、⑤音感能力、⑥人間関係形成能力、⑦自己観察・管理能力、⑧自然との共生能力です。子どもたちにわかりやすい言葉でいうと、①ことばが得意、②数字が得意、③絵が得意、④からだを使うのが得意、⑤音楽が得意、⑥人と接するのが得意、⑦自分のことが得意、⑧自然が得意、です。


能力をこういうふうに多様に捉えることができると、すくわれる子がたくさんいます。なんといってもいまの学校で認められているのは圧倒的に①と②が中心ですから。そして、絵や音楽や体育は付け足しです。しかし、これらの能力は、そのまま教科に置き換えて考えることが目的ではありません。例えば、私のように空間認識能力の高いものにとっては、地理や歴史が得意でいいですね、で終わらせてはもったいないのです。場所に関連づけてくれれば、ほぼ何でも苦労することなく頭に入る脳の構造をしているようなので、国語、算数、理科等の教科も場所に関連づける形で提示されれば、得意科目になるわけです。
同じようなことは、からだを使うのが得意な子は体育や技術や家庭科で際立つだけではなく、動くことを国語、算数、理科、社会に導入することで光れるようになるわけです。同じことは、音楽や人間関係等、すべてに言えるわけです。
能力を狭く捉えてしまうことの弊害に気づいていただけたでしょうか。 絶版になってしまいましたが、興味のある方は『マルチ能力が育むこどもの生きる力』(トーマス・アームストロング著、小学館)を図書館で借りて読んでみてください。多くの子どもたちが救われる方法がたくさん紹介されています。


『ギヴァー』の中の職業(係)の割り当ては、この辺のことをどう踏まえていたのかな、と思ってしまいます。

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