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2011年11月8日火曜日

過去・現在・未来

 これまでも、ネイティブ・アメリカンやアボリジニについては紹介したことがありますが(『ギヴァー』と関連のある本51、52、53、55など)、今回は先月紹介した「記憶と歴史」との関連を感じた『インディアンの夢のあと』(徳井いつこ著)の紹介です。



7 アメリカ・インディアンの遺跡に惹かれ始めたとき、呼びかけてきたのは何だったろうか? 認識されることを待っていた他人の古い記憶? いやそれは私自身の記憶ではなかったかと思い始めている。 → でも、彼女が訪ねていたのは、まだ北米大陸の原住民が、アメリカ・インディアンと言われる前の時代の遺跡!

8 旅が「知らないことを知っていく」プロセスならば、書くことも、そして読むことも、ひとつの旅にちがいない。

25 彼らにとって「過去」というのはどれも最近の出来事なのだ。プエブロの人々が歴史に抱いている近しさは、われわれが自分自身の過去に抱く感覚に似ているかもしれない。部族の系譜、先祖について知らないというのは、記憶喪失者に近い。記憶を失っては一歩も前進できない、と信じているかのように、多くのプエブロは過去に精通しているのである。

93 「自分が誰であるかなど、知ることができるでしょうか。私は、自分が何者であるかを知りません。デキストラは知っていますか?」と著者が尋ねると、

 「自分が何者であるかを知るということは、自分自身をいつも油断なく見張っている、ということ。<周囲で起こっていることのなかに没入してしまわないように注意しなさい!>と先祖は言った。<起こっていることから距離をとって、ひとりで歩むこと>と。

 「若い人たちは、ホピにおいてさえ、まったく過去を敬おうとしない。私にとって過去は、かけがえのないもの。価値あるもの。古い時代の古い人々の生き方のなかには、多くの真実が含まれている。昔から人々は<大地のめんどうを見るように。世話をするように>と言い伝えてきた。<自然を壊すことがあれば、必ず何かが起こる>と。それがいま起こっている」

94 「プエブロには昔からストーリーテラーと呼ばれる役目の人がいて、物語り続けることで、“古きもの”に結びつけられた人間の姿を繰り返し確認するという機能を果たしてきた。物語を失ったわれわれは、自然との絆、過去との絆を失って、風のまにまに漂っているわけです」

   「私が子どものころ、まわりにいる大人は誰でも物語を話してくれた。冬は暖炉のまわりで、夏は屋根の上に寝そべって・・・落ちていきそうに深い夜空を覗きこみながら、たくさんの話を聴いた。この世界のありとあらゆるものについての物語。太陽、月、鹿、蛇、蟻、鷲・・・・・悲しくて泣いてしまう物語もあった」

96 「将来に絶望している?」
   「絶望はできない。あきらめることはできないのよ。われわれは子どもたちに伝え続けなければならない。しかるべき年齢になれば、たぶん、気づくときがくる。われわれにできるのは、話すことだけ。人生をつくるのはお前たち。お前たち自身の選択なんだよと」

97 祭はいわば、人々が集合的記憶をとりもどすための再生装置のようだ。人々は自在に過去にさかのぼり、この世界が出現する以前のことまで思いだす。

→  『司馬遼太郎の風景』①(NHKスペシャル)~特に、パートⅢ、144ページ、142ページの最後の行は「司馬遼太郎の悲劇」である以上に「日本人/日本の悲劇」

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