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2015年7月5日日曜日

再び、習慣について



習慣がすべてとは言いませんが、4割というのも、少なすぎる気がします。

学校や職場、そして家の中でしていることの圧倒的な部分は習慣(要するに、考えなくてすむ状態)だと思うからです。考えているなら、「もっとマシになってもおかしくないんじゃない」という期待もあります。

特に、学校の中で起きていることは、習慣尽くめという気すらします。
それも、何十年も。
すべてが悪いことばかりではありませんが、見直した方がいいのがとても多いことは否定できないと思います。

習慣に浸って入れば、安心です。それに反して、変わったことをしようものなら、「波風を立てる」とイヤな目で見られます。それがイヤで、習慣には納得できなくても、仕方なくお付き合いしている人たちのいかに多いことか!!

別に学校や授業の中が特殊なわけではありません。
会社や社会の縮図なだけです。狭い分だけ、いろいろなことが濃厚に出てしまうだけです。
学校の中だけがおかしなことをやり続けているはずがありません。
外でもおかしなことをやり続けているので、気がつかない(つけない)だけです。

『ギヴァー』のコミュニティも、同じ状況にあります。
自分たちのしていることに、何のおかしさも気づけません。(習慣/洗脳の恐ろしさ!)
その意味で、私たちの社会やしくみとまったく同じです。

しかし、きっかけがあって、ジョナスがこれまでの習慣を変える行動に出ました。そして、それは自分だけに影響があるのではなく、コミュニティ全体に影響を及ぼしてしまう可能性があります。全員に記憶が戻ってしまうからです。
その意味では、記憶と習慣というのは密接な関係にあるようです。
私たちの社会では、記憶はあるはずなのですが、あたかもほとんどないがごとく扱われている気がしないではありません。

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