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2010年9月25日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 44

 前回の「詩」の後は、「音楽」です。
 本のタイトルは、『魂のランドスケープ』。書いた人は、日本を代表する作曲家の細川俊夫さん。
 この本を最初に手にしたときに、『ギヴァー』との接点がこんなに見出せる本とは思っていませんでした。メモを取った量もかなりなので、関連するところに切り詰めたうえで、5回ぐらいに分けて紹介していきます。(数字は、ページ数です)
 詩の本との違いは、詩の本の方はなんとか読んだり、書き始める動機づけになっていますが、音楽の方は私にとってははるかにハードルが高いです。でも、聴くこと、観ることはやっていこうと思います。

12 世界の中で日本人ほど、自然への畏敬を失い、自然を無神経に破壊していく民族も少ないだろう。自然を大切にしない民族は、文化を大切にしない。現在の日本にあって、音と自然、そして人間と音との豊かなあり方を追究していくのは難しい。
16~7 「さわり」「触る」「障り」の排除。人間のもつ自然さ、野生、弱さ、障害、困難、ノイズを切り捨ててきた。そしてその結果、科学の進歩と共に人間社会はさまざまな便利さと合理化を獲得したと同時に、自然破壊や公害、人間の疎外といった問題を抱えるようになった。

→ 大切なものを失っているのは、ジョナスのコミュニティだけでなくて、すでに日本、そして世界も同じのようです。


28 景色は、当然絵に影響を及ぼす。 しかし、音楽にも影響を及ぼす。
33 空間の質 ~ 住む人の精神 ニューヨークの街中で修道女たちが住む空間 = 別世界

→ 視覚や聴覚だけでなく、あらゆる感覚に言えること。その意味では、色のないジョナスのコミュニティでは絵画や音楽をはじめ多くの芸術と共に、感覚的なもののほとんどをすでに失っている気がします。
 「精神」という言葉が、相変わらず分からないままが続いています。「こころ」と置き換えると、分かったような気にはなれますが、ピシャッとはまる感じはしません。

44 自分自身の音楽への取り組みについて ~ 「私の音楽の出発点は、日本で禅を学んでおられる神父さんにこんなヒントをいただいたことから始まった。それは、書道をするとき、彼はいきなり白い紙に線を描くことをせずに虚空の一点に焦点を定め、その一点から運動を起こし、そして紙の上を通ってまたその一点に帰ってくる。そのとき、目に見える白紙に残された「線」は全体の線運動の一部にすぎない。目に見える世界、耳に聴こえる世界は、世界の一パートにすぎない。私の音楽は空間への、また時間への書道(カリグラフィー)であり、聴こえてくる音は、その目に見える「線」の部分だろう。そして聴こえる世界は、聴こえない世界の一部分にすぎない。そのような音楽を創りたいと思っている。」
45 「またそのことは、私のものの捉え方のすべてにかかわってくる。私がここに生きているということは、私の力では動かしがたい目に見えない力が私の背景で私を支えているということだろう。私は、いつもその力を感じて生きていきたい。そして、より深くその力を感じることができるために、また、そういった世界を表現し、暗示するために私は音楽を書いているのかもしれない。私はいつも生の余白、音楽の余白、そして言葉の余白をより深く感じて生きたい。そうするためには、私自身が空白の余白になること。つまり私の存在のうちに潜む目に見えない空白の力を感じるために、自身の沈黙を深めていかねばならない。沈黙し、耳を傾けること。語る前に黙ることを学ばねばならない。自分の内なる声を、そして他者の声を「聴くこと」が音楽家としての最初のステップだと思っている。」

→ ほとんど禅僧という感じです! しかし、芸術にかかわる人たちはこのような感覚を持った人が少なくないことは事実のようです。たとえば、彫刻家は木に語らせる、という感じで。


51 芭蕉の句に「構造」「仕掛け」があるからである。そしてそれが、創造ということだろう。

→ 細川さんは、芭蕉の句は言葉と「構造」と「仕掛け」によって創り出されるものと捉えていますが、音楽は「言葉のない言葉」です(46ページ)。そして、音楽が「私たちの内に眠り、埋もれつつある感性を呼び覚ます。そして私たちの習慣化し惰性となった人間関係を、生き生きとした豊かなものへ変化させていく」役割を担えるものにしていきたいという願いがあるようです(47ページ)。

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