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2012年1月14日土曜日

『バカをつくる学校』 3

●精神病の学校

43 「階級分類装置」としての学校
 現在、学校は深刻な危機にある。そしてそれは、さらに深刻な社会の危機と関係している。
 アメリカの識字率の低下、麻薬の売買、10代の自殺率は世界最高(裕福な家庭の子どもたち)、そして貧困の問題、離婚の問題、犯罪の問題等、山積みの問題
 学校の危機は、地域社会の危機と関係がある。子どもと高齢者は隔離され、世間から完全に無視されている。もはや彼らに話しかける人はなく、日常生活で両者がふれあうこともない。そんな地域社会では、未来も過去もなく、ただ現在が続くばかりだ。実際、「地域社会」という言葉は死語かもしれない。私たちは地域社会ではなく、ネット社会に生きており、そこでは誰もが一人ぼっちだ。 ← この辺、まさに日本を描いているよう?!

44 30年の教師生活をとおして、私はある興味深い現象に気づいた。学校は、世の中の創造的活動から取り残されている。もはや科学者が科学のクラスから生まれるとか、政治家が公民のクラスから生まれるとか、詩人が国語のクラスから育つなどと思っている人はいない。
  実際、学校は命令に従うことしか教えていない。優しく、思いやりのある多くの人々が、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理の押しつぶされている。教師たちが奮闘する一方で、学校は精神病にかかったかのように、分別のかけらも示さない。学校がチャイムを鳴らすと、詩を書いていた生徒はノートを閉じ、別の教室へ移動して、今度は進化論を覚えなければならないのである。 ~ 先の「7つの大罪」がすべてをコントロールしているところ

46 最初に学校制度を構想した人たちの目的は、大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである。 ← まさに、『ギヴァー』の世界。 そして、日本?
  この役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。

48 テレビ・学校・習い事
 現在、子どもたちの生活は2つの慣習に支配されている。それは、テレビと学校である。
 そもそも、幼少期や思春期というのは、実際に仕事を体験したり、冒険したり、思いやりを知ったり、自分が本当に学びたいと思うことを見つけたりする時期だった。子どもはその時期の大半を地域社会で過ごし、あらゆる人々との交流を通して、家庭を築く方法など、一人前の大人になるための知恵を学んだ。ところが、今の子どもたちにはそうした時間がない。 ← 地域を奪われた子どもたち!! 確かに、私も娘も、中学に入る前までは、地域で遊んだ!(中学や高校でも同じようにやれる方がいいんだろうが。) 『ギヴァー』にはそれがある?? 山田洋次監督は、満州から引き上げてきた中学校時代に「アルバイト先で年の行った人たちがいろいろと助けてくれたし、めんどうを見てくれた」と言っていた。それを通して、いろいろ学び、人間のよさも学んだと。
 ちなみに、アメリカを中心に欧米で20年ぐらい前から盛んに取り入れられているのが、週のある曜日(の午前や午後)を、最低でも1学期、可能なら年間を通して職場体験にあてるサービス・ラーニングというアプローチ。日本で行われている3~5日間の職場体験は、体験する側にとっても受け入れ側にとっても「お客さん」意識が拭えないが、1学期間ないし1年間となると、職場の人とメンターとメンティー(指導者と弟子)の関係が築かれる。弟子のサイドが、少しは当てにされる存在にもなる。 

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