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2012年6月15日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本 83


 紹介するのは、姫田忠義著の『ほんとうの自分を求めて』。
 筆者は、民俗学者の宮本常一との出会いで、民俗学の道に入る。日本各地に残る貴重な民俗文化を映像に残す活動を1960年代の半ばから続けている。
 本は、1977年に出版されたもの。


20-21 青ヶ島のタビヤマ(=女性がお産をするためにこもる小屋)はタビ(他火)
23~25 他火と旅は、同義? よりよく生きるための手段 → 旅の語源はおもしろい

42~3 軍国少年だった「私」
  当時をふりかえって私はつくづく思う。私が生まれた時代の日本には、じつに巧妙に少年たちを戦争へかりたてるしくみと、それを正当化する理屈が用意されていた。そしてそれは、なにも私が生まれて育った時代にあたらしく思いつかれ、考案されたというようなものではなく、はるか千数百年前に、あるまとまりのある統一国家のすがたをとりはあめたころからの、日本の政治や社会制度の歴史に根ざしたひじょうに根深いものであった。その根深さを話すために、私はまた別な本を書かねばならないと思っているが、とにかくそういう根強いものを、当時の日本の指導者たちはうまうまと利用し、まとめあげ、私たち少年はもちろん日本の国民全体を戦争へかりたてていったのである。
 → しくみをつくったり、それを活用する側と、それに乗せられる側との違いは???
   これって、戦争だけじゃなくて、いろいろなことに通じてしまいますね!
   『ギヴァー』の世界も同じようなもの

44 満16歳で志願兵として予科練へ。高知に駐屯。
46、49 米軍の沖縄上陸も、広島への原爆投下も、町の人たちから聞いた。(見事に情報操作している軍隊!) → 情報統制は、いつの世も(どこの世も)同じ??

100 工場時代は、千円二千円の計算ばかり。本社では、数百万円数千万円の計算。

 ひとが、どこかの場所で働き、生きてゆくには、まずそこに「なれ」なければならない。そこで生きぬくつもりなら、はやく「なれ」たほうが得だし、また「なれ」ることはその気にさえなれば、意外に簡単なことかもしれない。よくいえば人間の適応力のはやさ、わるくいえば「いきあたりばったりさかげん」。私は、そういうものが自分にもあることを知った。そしてべつなそらおそろしさを感じたのだ。「あれだけ実感がないと思い悩んだくせに、1年もたたないうちにおれはもうなれてきている、平気になってきている。あの思い悩んだことはうそか」。 → 『ギヴァー』や『茶色い朝』も同じような繰り返しによって「なれ」ていく。私たちの生活もまるで同じように。パソコンや、携帯やスマホにも、あっという間になれたように。

109 スタニスラフスキーの『俳優修業』
    「自分の注意点を1点に集中すること」と書いている。
110 座禅の「想をこらす」と同じ!!

136~7 「歴史というものは、ひょっとしたらこの海(対馬海峡)のようなものかもしれない」、とつぜんそんなことも思った。父は木の葉のような小船でこの海をわたった。私は鋼鉄船でわたっている。私たちだけではない、それこそ無数のひとたちがわたった。乗る船も、乗っているものも思いもそれぞれにちがうが、この海をわたることはおなじだ。つまり、この海は、そういう無数のひとたちの思い、喜びや悲しみ、苦しみやなげきのとおりすぎた旅路なのだが、歴史というものもこれと似てはいないか。歴史というものもまた、無数のひとたちの思い、喜びや悲しみ、苦しみやなげきがそこをとおりすぎる旅路のようなものだ。しかも、この海の旅路は、陸上のそれとはちがって、その上に一個の道しるべも一本の記念碑ものこすことはない。すべてを知っておりながら、なにものも残さず、永遠のうねりをつづけている。この動きのなんとぶきみで非情なことか。そして歴史というものもまた、こういうぶきみさや非情さをもっている。たとえば私の家の歴史がそうだ。私は、父母や祖父母のことは知っている。けれど曽祖父母のこととなると、ほとんどなにも知らない。 → 『ギヴァー』のテーマである記憶、歴史

151 昭和40年代の対馬への韓国からの密航者(そして、いまでも続く、北朝鮮からの密航者たち)の存在について ~ そのひとたちには、それぞれ密航しなければならない理由があるはずだ。その願いをなぜはたさせてあげられないのか。国境とはなにか。また国境というものをつくった国家というものはなにか。

152 パキスタンとアフガニスタンの国境の自由さ ~ ふるい生活的なつながりの歴史を、両国政府がおたがいにみとめあっている結果

173 奈良時代の行基の行いを真似た江戸時代初頭の円空の存在。それも北海道で。 → 円空さんや姫田さんたちのような「旅」をすることができない時代になっている。する側も受け入れる側も躊躇してしまう。ジョナスも、その旅に出た。

184~5 昭和30,40年代 = 高度成長期 ~ ゆくさきざきに、日本という国での政治や経済や社会制度がゆきついた深刻な危機があらわれていた。 → それが50年経ったいまも続いているというか、深刻度は一層増している状態。もちろん多くの人は「なれ」で気づかないというか、気づいていても気づかない振りをしている??

198~9 「国有林」という思想

223 アイヌをはじめ北方系の人たち、沖縄の人たち、小笠原に住む人たち、韓国・朝鮮の人たち、中国・台湾の人たちの日本での存在

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