今日、紹介するのはポール・フライシュマン著の『種をまく人』です。
話の舞台は、アメリカ五大湖のエリー湖に面するオハイオ州クリーブランドの貧しい人たちの住む(移民たちが多い地域の)一角の空き地です。そのギブ・ストリートに接する建物の間に挟まれた空き地は、生ごみ、古タイヤ、使えなくなった家具など、あらゆる廃棄物が捨てられていました。
ある年の春(とはまだとても寒い4月に)、ヴェトナムからの移民の少女がそこにマメを蒔きました。そのあと、それにつられるようにして、ひとり、またひとりと(描かれているのは全部で12人)、年齢、人種、境遇の異なる人たちが、こだわりの種を蒔き、畑をつくるようになったのです。
やがてゴミは消え(役所にかけあって、撤去させた人もいたのです!)、そこにはみずみずしい菜園が出現しました。まさに殺伐とした都会(それもスラム街的な地域)のオアシスです。菜園づくりにかかわった人たち ~ 中には、やさしい目線で見守るだけの人も含まれていました ~ の間には、連帯感が生まれ、話し合える仲間、助け合える、つくったものを交換し合える、収穫を互いに喜び合える「仲間」になっていったのです。
私にとってもっとも印象的だったのは、脳卒中で口がきけなくなり、身体の自由も奪われているミスター・マイルズの介護をしているノーラの話です。
空き地の前の通りを散歩していたら、畑の方に行けとミスター・マイルズが合図をしたので中に入っていくと、「ミスター・マイルズは、目をしっかり開けてまわりを眺め、土の香りをかいでいました。土にまつわる思い出が、遠くから呼んでいたのかもしれません。そのときの彼は、言ってみれば、なつかしい故郷の川を遡上するサケでした」(64~5ページ)
このように、何人もの人に生きることの価値を思い出させたり、思い起こさせもしたのです。
『ギヴァー』とは、設定も、ストーリーの展開もまったく違うのですが、「関連」を感じました。
一人の少女の六粒のライマメを蒔くというとても些細な行動が、たくさんの人の野菜や花づくりに火をつけ、ゴミ捨て場になっていた空き地を緑のオアシスに変え、コミュニティをつくってしまったのです。
登場する12人一人ひとりには、それぞれすごい物語があるのですが、その人たちが交差することでもまた違った物語を作り出す予感も感じます。
ポール・フライシュマンはスゴイ作家なのですが、「残念ながら」日本ではあまり評価が高くありません。それも、ロイス・ローリーと似ているところかもしれません。
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