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2011年5月30日月曜日

『哲学者とオオカミ』

 マーク・ローランズが書いたおもしろいタイトルの本です。サブタイトルは、「愛・死・幸福についてのレッスン」と書かれています。哲学者である著者がペットのオオカミとアメリカ、アイルランド、そしてフランスでともに暮らし、そして考えた記録です。
 「『ギヴァー』と関連のある本」とはしませんでしたが、2回に分けて掲載する次回は大いに関連する気がします。


9 「人間とは、自分自身について自分が語る所説を信じる動物である。人間というのは、根拠なしに軽々しく信じやすい動物なのだ」

44~5 フレードリヒ・ニーチェがかつて述べたように、自分自身を規律正しく制御できない者は、この使命を自分のために果たしてくれる者をすぐに見つける、というのは厳しい真実なのだ。ブレニン(ペットにしたオオカミの名前。ちなみに、ブレニンの身長は、90数センチ、体重は60数キロ。足だけで立てば、普通の人間よりも大きい)の場合、この使命を課せられたのはわたしだった。規律と自由の関係は深くて重要だ。規律は自由の対極にあるのではなくて、もっとも貴重な形の自由を可能にしてくれる。規律なしには自由はなく、あるのは放縦さだけだ。

46 この言語はブレニンの生活に、もしこの言語がなかったら存在しなかったはずの、ある構造をもたらした。その構造のおかげで彼の生活には、この構造なしでは存在しなかったはずの、多彩な可能性が開けた。ブレニンはある言語を学んだ。この言語は人間の世界、機械的というよりも魔法のような世界に暮らすブレニンに、自由をもたらしたのである。 ~ いったいどういう言語??

47 (人間と他の動物の違いを強調したいのは、)人間の傲慢さの表れ

56 記憶にはいろいろな形がある。記憶というものを考えるとき、もっとも明らかなものに気をとられて、もっとも大切なものを見落としてしまう。(だから、羽ばたく飛行機をつくってしまった。)鳥は羽ばたきによって飛ぶわけではない。羽ばたきは前方への推進力となるだけだ。

 思い出の理解も似たところがある。思い出が意識的な経験の集まりで、これによって過去の出来事やエピソードを呼び戻すことができると思っている。心理学者はこれをエピソード記憶と呼ぶ。

 エピソード記憶は鳥の羽ばたきと同じで、いつも最初にわたしたちを裏切る。

 けれども、もっと深くて、もっと重要な形の記憶もある。誰もそれに名前すらつけるに値するとは考えなかった形の記憶だ。あなたの上に書き残された過去の記憶、あなたの性格やその生活がもたらした人生の中に刻み込まれた過去の記憶だ。人は少なくともふつうは、このような記憶を意識しない。気づかないことすら多い。しかし、これらの記憶は他の何よりもわたしたちを、わたしたちたらしめている。これらの記憶は、わたしたちが下す決定、わたしたちがなす行為、行為を通して営む生活の中に姿を現す。

57 消え去った者たちへの記憶は、わたしたちの生活の中に見られるのであって、根本的にはわたしたちの意識的な経験に見られるわけではない。わたしたちの意識は気まぐれで、思い出すという作業をするだけの価値はない。誰かを思い出すもっとも重要な方法は、その誰かによってつくられた(少なくとも部分的に)人物に自分がなり、その誰かの助けで形づくれた人生を歩むことだ。ただし、記憶に値しない者もいる。その場合には、生存に関わるもっとも重要な課題は、そのようなものを自分の生活史から消し去ることだ。けれども、誰かが記憶に値するなら、その人が作り上げてくれた人物となり、その人の助けを借りて作り出した生活を営むことは、その人を思い出すためだけではなく、その人に敬意を表すためでもある。

 わたしはいつも、私の兄弟オオカミ(ブレニンのこと)を思い出すだろう。

74~5 サルは、陰謀と詐欺のために脳を肥大化した → 芸術・文化・科学を生み出した

86   年中セックスするサル。(陰謀と詐欺と裏腹の関係にある)暴力

139~147 社会契約
 契約という考え方全体が意味をもつのは、契約を結ぶ両者が少なくともほぼ同じ程度の力をもっていると推定される場合だけなのである。

 人は自分よりもはるかに弱い人に対しては、道徳的な義務を負わないのだ。

 道徳の目的は、より多くの権力を集めることにある。これが、社会契約の理論が示す第一の点である。

 二つ目の隠された過程に突き当たる。契約は、予想される利益を見込んだ上での犠牲にもとづいている。 大事なのは、ほかの人が、あなたがその人のことに気をつけてくれるものと信じることである。あなたの犠牲が真実であるかどうかは重要ではないのだ。契約では、イメージ、見た目がすべてである。 → 詐欺師

152 なぜわたしたちは、イヌが好きなのだろうか。私たちがサルになる前に存在していた部分 ~ オオカミだったころの魂だ。このオオカミの魂は、幸せが計算の中には見出せないことを知っている。本当に意味のある関係は、契約によってはつくれないことを知っている。そこでは、忠誠心が最初にある。このことは、たとえ天空が落ちても、尊重しなければならない。計算や契約は常にその後に来るのだ。わたしたちの魂のサル的な部分が、オオカミ的な部分の後に来るように。

168 一番幸せなのは、セックスをするとき。一番不幸せなのは、上司と話すとき。

170 永遠に続く、むなしい感情の追求だ。これは人間だけに見られる特徴だ。人間だけが、感情がこうも大切だと思っているのだ。

171 このように感情に執拗に集中する結果、人間はノイローゼになる傾向がある。これは、意識の集中が幸福感の創出からその検討へとシフトするときに起こる。

  人類は感情を崇拝する動物なのだ。

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