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2013年1月6日日曜日

地方都市の中央部が壊滅状態


全国の地方都市の中央部、「銀座通り」と呼ばれたような商店街がシャッター通りになりつつあります。

そういった通りに住んでいる50歳を前にした人に、「記憶している範囲で一番にぎやかだったのはいつ頃でしたか?」と質問してみたら、「一番小さかった頃、つまり、昔にさかのぼれば、さかのぼるほどにぎやかだった気がする」と答えてくれました。

コミュニティというものがあり、みんなが助け合ってくらしていたという感じです。
ある意味では、ALWAYS 三丁目の夕日で描かれているような世界でしょうか。

それが高度成長を期に、すべてがお金優先になり、家は継がないことが主流になり、車社会になったがゆえに郊外に住みかつ郊外で買い物もする方が便利になり、街中は老人ホーム化してしまいました。

アメリカが、60~70年代以降、都市の中心部のスラム化を起こしたのに似ています。裕福な人たちや車のある人たちは郊外に出て行きました。

それが、ヨーロッパではそうなっていません。
旧市街という車がほとんど入れないようなところはそのまま残され、郊外は郊外であるのですが、両者がうまく共存しているのです。

日本は、選択したのか、しなかったのかはわかりませんが、アメリカの後を追いかけてしまいました。
情報をもっと集め、そして知らせ、そして役所や商店街や住民が一緒になって考え、そして判断する可能性もありました。
今からでも遅くないのかもしれません。

成り行きに任せるだけではなく、あってほしい未来に向けて話し合うことが必要なのですが、政治も、新聞も、テレビも、そういう話し合いの場を設ける気はありません。イベントが好きな彼らですから、継続することが求められるので二の足を踏んでしまうのでしょう。しかも、難題です。

『ギヴァー』のコミュニティには、政治も、新聞も、テレビもありませんが(?)、そういう話し合いの場は頻繁にあるような気はします。少なくとも、長老たち+関係者は話し合っているような気がします。

そういえば、商店街というのもなさそうな気がします。
必要なものは、すべて「配給制」という感じです。
もちろん、それがいいのかどうかは別にして。

車さえ、本の数台(必要最低限)しかない感じですから。

かなりの部分、住人の欲求を押さえている社会。
それに対して、私たちの方は飽くなき欲求を追い続ける社会??

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