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2010年12月3日金曜日

『やさしくわかる夢分析』

 ここしばらく夢をテーマにした本を読んでいるので、気分はジョナスの夢の中です。と同時に、自分の夢についても考える機会になっています。

 前回は、80ページの図だけしか紹介しなかった『やさしくわかる夢分析』(山根はるみ著)でヒットした部分を、今日は紹介します。(秋山さと子著の『心って なに?』もそうでしたが、『ギヴァー』と関連のある本とは位置づけていません。夢から発展した私のブック・プロジェクトのメモ代わりに書き出しているという感じです。しかし、完全に関係がないとも言い切れない部分があるので、このブログに書いています。またこれらだけを読んで感じたことや考えたことと、アラン・ホブソンなどの夢を脳科学の視点で見ている人たちやロバート・ローラーの『アボリジニの世界』などを読んだ後で受ける印象はかなり違ったものになることも書き添えておきます。)


11 将来の夢も、睡眠中の夢も、共通なのは「イメージ」です。イメージが大切にされることで、何か新しい現実が生み出されます。ここに同じ字を当てる共通性があるのかもしれません。夢の構成要素はイメージであり、イメージには不思議な力が備わっているといえるでしょう。

→ 前向きでとてもいいです! 最近流行っているイメージ・トレーニングもこの範疇に入るのでしょう。

16 夢は生きていて、私たちの心のあり方に伴ってたゆまず変化をとげています。
 ユングによれば、私たちが生きていくうえで、夢は必要不可欠な存在です。
 意識することすらまれですが、私たちは“人工”ではなく“自然そのもの”です。だから生物的生命体として、日の出とともに起きて、暗くなったら寝る、あるいは食べたいときに食べるという野生動物と同じライフスタイルが本来の自然の姿なのです。
 ところが文明を築き、脈々と文化や伝統を受け継ぎながら私たちは、いつの間にか時間に合わせて暮らすようになりました。目覚ましがけたたましく響けば、起きたくなくても起きて仕事をし、昼時になればお腹がすいたような気にすらなります。外を歩けば信号や横断歩道の表示に従って歩かざるを得ず、「この道路は本来は誰のものなのか?」と叫ぶことすら忘れてしまったようです。
 こうして、自然に暮らすことができなくなってしまっている人間が、もっとも自然な状態に戻れるのが睡眠です。横になって身体を休め、自然を取り戻します。そして私たちは夢を見ることで、一日のがんじがらめにしばられた人工的思考方法から解放されて、何とかバランスをとっているというわけです。
 それが証拠に、夢の中での思考は、日常のものとはまったくかけ離れたものですね。

→ 日常のものとはまったくかけ離れているかどうかは疑問がないではありませんが、本来のあり方にいちばん戻っている状態であることは確かな気がします。そして、その部分も日中の「がんじがらめにしばられた人工的思考法」の影響で大分おかしくなりつつあるという感じです。両者はつながっていると思います。

20 ユングは言っています。「夢を見させられている。だから問いかけなさい。『この夢は意識のあり方の何を補おうとしているのか』」と。(さらには、「夢は私たちついて何かを語っていて、自分自身を見つめるための手がかりであり、そして内的に成長するためにあるのだ」と ~ 43ページ)こうした経験から、夢には贈り主がいるのだと、今となっては確信を持っていうことができます。そして、どんな夢を贈り届けてくれるのかについては、私たちの意識のあり方に左右されています。

→ この辺については、後で紹介しようと思っているアラン・ホブソンの説などとは大分違っています。

22 意識と無意識
 現実の生活を送るに当たって、欠かせないのが意識です。意識があればこそ、人間はいつも真なるもの、善なるもの、美なるものを求めて生きているのであり、社会の調和が保たれているわけです。
 しかし、人間そのものはまったく真である、善である、また美であるとはいえません。しかも諸行無常、人間を取り巻いている現実はいつも流動的です。そうした中にあって、その人の意識的な態度とは相容れないもの、知的には容認しがたいものについては、そのときの感情体験とともに無意識下に落とし込まれます。
 この個人の意識としては認めることのできない、無意識に閉じ込められた心の内容物を、臨床心理学者ユングは「個人的無意識」と呼びました。無意識に抑圧されてしまった内容物がコンプレックスの正体であり、夢では「影」となって他人の姿で表されるわけです。

→ この辺に関しても、ユング移行の脳研究(科学)の解明によって新たに提示されているアラン・ホブソンらの主張が気になってしまいます。
 ひとつの考え方を受け入れてしまった方が楽なのかもしれませんが、複眼思考でいきたいと私は思います。自分がよりよい選択を下せるためにも。

30 夢を記録することの難しさ
 書き取らないと、夢は雲散霧消してしまうのです。
 記憶ならば、何か手がかりがあれば、そこからたどっていくことで目的のことが泥縄式に引っ張り出せます。記憶がこのような仕組みを持つのは、記憶が意識の産物であり、意識は時間や空間でつながっていて“直線的”だからです。
 これに対して夢の世界は、時間も空間もない“アナログの世界”です。
 夢の世界は四方八方へどんどん広がっていきます。そうした意味で、夢を書くのは、なかなか骨の折れる作業となります。記憶のようなストントした一方向での完結ではないのですから、無理もありません。

→ この点は、私自身が常日頃感じていたことと同じですから書き出しましたが、どうも人によっては結構覚えていて、容易に書き出すことができる人もいるようです。慣れというか練習の部分もあるようで...

204 ユングの夢の公式
① 夢は、意識的状況に対する無意識の反応を示す
② 夢は、意識と無意識の葛藤から生じた状況を示す
③ 夢は、意識的態度の変容を目指す無意識の傾向を表す
④ 夢は、上記以外の意識との関係ではなくて、まったくの無意識の過程を示す

→ このユングの名詞形の「夢(Dream)」と異なり、いま読んでいるアラン・ホブソンの『夢に迷う脳』やロバート・ローラーの『アボリジニの世界』は、現在進行形の夢見(Dreaming)がテーマなんです。前者は脳研究の最先端の部分を紹介してくれている本であり、後者は(現代人には想像もできない)人類最古の生き方を貫いていた人たちのあり方を紹介している本です。

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