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2010年12月18日土曜日

『聖なる地球のつどいかな』 2

185 街であれ、田舎であれ、自分の場所を見つけるポイントは何でしょうか?
 そのポイントはその場所に深い喜びがあるかないかだと思います。
 もうひとつは、それが有益かどうかです。自分にとっても社会にとっても。人間だけでなく、すべての存在にとって。
 そしてもうひとつには、同志がいることです。ようするにコミュニティーです。
187 心から話せる人たちの存在。

199 一生の場、あるいは仕事が十代の後半とか、二十代の前半で決められるのはむろん善いことですが、空気はどこにでもあり、人生は変えられるのだから、急いで自分をこれと限定する必要はない。むしろ二十代の後半、三十代の前半、くらいを目安にして、いい加減にではなく自分に誠実に、自分の場と仕事を探し求めていった方がよいとさえ思います。それは、三十代の後半であっても、四十代でも五十代であってもいいんです。

→ 私もこの考え方に賛成です。『ギヴァー』の12歳は、早すぎます!! 人生、70年、80年の時代ですから。

202 重要なことは、想像力だと思います。

203 もうひとつは、傷つけるな(不殺生)ということです。

206 空間的に見れば、地球という場所の中には学ぶべきいいところがたくさんあるのですから、それを僕たちは学んでいけばいいんです。そして時間のスケールで見れば、古くなった過去のことでも、そこから学ぶことはたくさんあるんです。歴史というものの知恵に学ぶことができるということです。

→ そういえば、ジョナスのコミュニティではギヴァー以外は、他の場所からも過去からも学べない人たちの集合体??

  今までの歴史観にとって過去は終わった世界でしょう。そして進歩こそが価値なんです。だけどやはり歴史というものの見方が変わってきて、過去は生きているんですよね。

  3つの時間。一つは、一日一日、春夏秋冬と回帰してくる時間、地球の時間、太陽系の時間、永遠に進歩せず、ただ回帰・循環する時間、生まれては死ぬことの循環であり回帰です。自然時間。
  ふたつ目の時間は、歴史的な時間、まっすぐに過去から未来に向かって進む時間です。
  第三の時間は、ふたつの時間の背後にあって、それを生み出している、(大宇宙という)母なる無の時間とでも呼べる時間です。

→ 2つ目までの時間はピンときますが、3番目は......これは、何を見たりする時に感じるのでしょうか?

211 クリスマスツリーの歴史について紹介 = 本来は、キリスト以前のヨーロッパでの春が来る再生の儀式だったんです。クリスマスというのは本来は夏至のお祭りなんです。モミとかの常緑の木の枝を折ってきて、お互いにたたきあうんです。みんなでたたきあう。その緑の枝は生命の再生を象徴しているからです。そして、蝋燭に火をつけた。蝋燭に火は高いところにつけて立てるんです。太陽なんです。

→ そういえば、『ギヴァー』の中にもクリスマスツリーが象徴的に描かれていました。

217 ある時、友だちとふたりで囲炉裏で火を焚いていた時のことでした。その火が実は縄文時代の人まったく同じ火であるということに気がついたんです。~その時、ひじょうにうれしく思ったことを覚えています...回帰する時間のそれは現成している姿です。

→ この火を見ることを放棄した『ギヴァー』のコミュニティ。スナイダーは、テレビが現代人にとっての焚き火だと指摘しますが、それは違う気がします。テレビが、人と人の心をつなぐことは稀にできるとは思いますが。なかなかそういう番組は放映してくれません。さらには、「火だけを燃やしているチャンネルがあってもいいんじゃないか」と冗談まで言ってくれます。

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