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2013年10月16日水曜日

戦争体験者の記憶②



  久田さんの戦争体験の続きです。

362 私が言いたいのは、こんな戦争なぜ始めたのか、それは天皇の命令があったからだろう。山下(大将)は、「天皇の忠実な下士官」でしかかなったから、自分の判断で(フィリピン・ルソウ島での)戦闘をやめる決断さえできなかった。山下や本間(中将)を無理に処刑したのは、やはり戦勝国の裁判という面を否定できない。私はこの戦争で最も被害にあったフィリピン民衆、それと無理やり戦争に駆り出され、ぼろきれのように死んでいった兵隊たち(日本の民衆)の立場から、真の戦争責任の追及をする必要があると考えています。

363 勝者の裁判だからとこれを非難するあまり、フィリピン(等)でやった日本軍の行為をまるごと正当化する傾向もありますからね。

415 1950年代は「体験」が、70年代からの「証言」の時代を経て、90年代から「記憶」の時代が始まるとされる。おそらく戦争体験者(世代)の生物学的生存の限界問題とも関わって、これからは「記憶」を軸にして、どのような可能性があるのかが問われてこよう。 ~『「戦争経験」の戦後史』成田龍一著

 
  戦争大好き(?)の中曽根さんは、久田さんと比較したら戦争を体験したとはとても言えないそうです。「戦争をさせる体験はした」と言えるかもしれませんが。あるいは、「同時代を生きていた」とは言えても。それぐらい質的な違いがありすぎるようです。

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