2021年4月5日月曜日
たかが映画、されど映画
2021年3月31日水曜日
絵本『カールはなにをしているの?』デボラ・フリードマン作・絵
ミミズのカールは、くる日もくる日も土をほり、かれ葉をたべ、食べては出してをくりかえしています。ある日、野ネズミにどうしてそんなことをしているのかとたずねられ、こたえをさがす旅にでました。でも、ウサギやキツネ、リスなど、誰にきいてもわかりません。そのうち月日はながれ……
最後に、「あなたは地球にどんな役割を果たしているの?」と問いかけています。
https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%BA で、ダーウィンがらみのミミズに関することが読めます。
2021年2月5日金曜日
森発言は、自民党以外では許されるか?
森さん(東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長)の女性蔑視発言がマスコミを賑わしています。
彼のこの種の発言は今に始まったことではありませんし、彼だけでなく、麻生さんをはじめ、不適切発言は自民党の専売特許みたいなものです。
そして、今日は「閣僚から辞任求める声なし」の報道も!
要するには、「ああいう人だ」「首相経験者に誰が言えるのか」など、いろいろの(先輩後輩の)しがらみがありますから、内輪の人が森さんに言えるはずもありません!
でも、これが他の党だったらどうでしょうか?
おそらく即辞任に追い込むことでしょう。
結果的に、それが自民党であり、それを支えている有権権者が、森さんの発言を容認している(というか、結果的には「支持している」)ということだと思います。さらにいえば、日本の体質??(そうではないことを、願いますが!)
少なくとも自民党には、夫婦別姓反対派に対する自民議員の反応にも見てとれます。(なかでも、反対判には女性議員が多かったとか?)
女性蔑視(発言)や、オリンピックに関連することは、他のすべてのこととつながっています。そこまで見据えた投票行動が私たち有権者には問われています。
2021年2月3日水曜日
『とんでいった ふうせんは』
書いた人=ジェシー・オリベロス
描いた人=ダナ・ウルエコッテ
訳した人=落合恵子
普通の人が読んだら、これは認知症を扱ったテーマの本だと思うことでしょう。訳者の落合さんも、あとがきで、そのことを明確に書いているぐらいです。それ以外の読み方はあり得ないぐらいかもしれません。(『ギヴァー』の作者のロイス・ローリー自身も、両親二人を老人ホームに住んでいて、過去の記憶をほとんど失っている体は元気な父親と、体は弱って動けないにもかかわらず過去の記憶はしっかりしている母親と接するなかで、本の構想を描いていったと言っていました!)
しかし、ギヴァーに入れ込んでいる私は、記憶のテーマのウェートが大きくて、認知症は二の次でした。
この絵本では、よい思い出(記憶)を風船に例えています。
悪い思い出(記憶)は排除されています。
人間、記憶しているのはよい思い出ばかりでしょうか?
ギヴァーがジョナスに挿入していくのは、両方の記憶でした。
『とんでいった ふうせんは』と一緒に読んだ『フォックスさんのにわ』(書いた人=ブライアン・リーズ、描いた人=、訳した人=せなあいこ)も、記憶がテーマといえる絵本です。フォックスさんはキツネですが、犬といるときは元気に庭いじりをしていたのに、犬が死んでしまったら、人が変わってしまい、何もせずに家に引きこもってしまったのです。それがひょんなことから、ふたたび新しい犬と出会うまでのお話です。
う~ん、記憶、奥が深いです。一筋縄にはいかない!
2021年1月16日土曜日
コロナで、リーダー(政治家)の声がないことを明らかに!!
すでにhttp://thegiverisreborn.blogspot.com/2021/01/blog-post_7.html で書きましたが、安倍さんの記者会見を長年聞かされていて思っていたことでした。
マスコミ界でも、https://news.yahoo.co.jp/articles/9dae68984aaec2b0fb3e2e899fc5f57cf90dd412 言いはじめています。
さらには、https://news.yahoo.co.jp/articles/056368591cfceb1a9d3edccbbe8d8d882d39c97d
のようなことも書ける人が。
政治家たちの、特に、青年たち(有権者の3分の1~半分)にメッセージが届かないことは、致命的です。
それが認識できたら、届けるための手段を考えられるはずなのですが、そのようには本人たちも、取り巻きも考えないところが悲劇です! (取り巻きにイエスマンしか置かないからでしょう! 従順・服従・忖度しかできない人を。)
小池都知事などは、マスコミ人間なのですから、おそらくそれを知っていて、やり続けているのだと思います。自分がメディアで顔を売れる機会さえ得られれば、それでOKということで。
ちなみに、同じことを私たちは学校や大学で練習し続けています。学校や大学の先生のどれだけが、自分の声が生徒たちに届かないことをわきまえているでしょうか?
だから、「教えたのに、覚えてないの」が先生たちの口ぐせであり続けています。
まともに教えたら、覚えています。
届かないメッセージを吐いただけだから、覚えていないのです。
教師が言ったら、それが自動的に生徒の頭に残る、という関係にはなっていません。
その大切ところをわきまえている教師は、ごくごくわずかです!
同じことは、すべての組織、すべての政治のリーダーに言えてしまいます。(家族のリーダーも含めて!)
2021年1月7日木曜日
菅さんと尾身さんの記者会見が、届かない!
2回目の「緊急事態宣言」の記者会見が夕方行われ、ラジオで聞いていましたが、60代後半の私にすら届いてこないのですから、メインのターゲットであるはずの、30代以下には、ほとんど外国語のレベルだと思いました。
今回の記者会見は、前例主義に則り行えば、それでよいというものではありません。
対象とする人に伝えたいことが、しっかり伝わって行動を起こしてもらわないと!
しかし、この記者会見からは、その意思がまったく伝わってきませんでした。
もし、本当に伝えたいことが届くようにしたければ、自分では無理だということを認識して、そのターゲットに届く術をもっている人(たち)にアウトソーシングしないと!! 例えば、嵐の誰かとか?
もちろん、そんなことを菅さんも、尾身さんも考えられないことはわかっています。しかし、取り巻きの中には、そこまで考えられる人が一人ぐらいいないと! そのために給料をもらっているのですから。
物事は、目的というか目標を明確にさえできれば、そのための方法も明らかになります。でも、目的が記者会見を開くことだと、とても悲しい時間の無駄だけで終わります!
なんとか、このメッセージ、菅さんの取り巻きに伝わらないでしょうか?
同じことは、小池さんの取り巻きにも言えます。(みなさん、自分がテレビの画面の主役になることしか考えていない人たちですから、客観的に考えられる人でないとダメです!)
2021年1月2日土曜日
行きすぎた資本主義 と 見せかけの民主主義 は、コインの裏表の関係。そして、そのベースにある「見せかけの教育」
数日前に、http://thegiverisreborn.blogspot.com/2020/12/blog-post_30.htmlで、行きすぎた資本主義を紹介しました(実質の内容は、それへのオルターナティブとしての「コモン」の可能性と、その難しさについて書きましたが)。
と同時に、ここしばらくの政治のあり方を見ていると、「見せかけの民主主義」を演じているとしか思えません。
国政に関わる人たちも、都道府県政に関わる人たちも、壊れたテープレコーダーのレベルのことしか言えません。(コロナに関しては、特にひどいです! リーダーシップの「リ」の字も感じられません。)
じゃ、一番身近な基礎自治体の政治家たちは何をしているかというと、まったく見えませんし、消えてなくなっている感すらします。(自分たちに「火の粉」が飛んでこないように隠れているのでしょう!)
危機の時期にこそ存在感を示すのが、本当のリーダーなのに(そんな人は、どこを向いても見当たりません)。
この見せかけの民主主義(資本主義も、いまは実態とかけ離れて株価も大幅に高値を付けていますから、いつ暴落するのやら、です! 従って、「行きすぎ」ではなく、こちらも「見せかけ」と言ったほうが当たっていると思います)と「入れ子状態」になっているもの一つが、「見せかけの教育」です。 別な言葉でいうと、「ごっこ」ということになります。
両方とも、がんばることが当たり前です。「投票ごっこ」と同じで、「正解あてっこゲーム」や「入試ごっこ」が最大の山場になっています。
本当に大事なことは置き去りにしたまま(教育の場合は、「学び」を置き去りにしたまま、数日後には忘れることが運命づけられているテストの点数がすべてです。政治の場合は、投票数がすべてです)。
両者の共通点はこのようにあげていくと、切りがないというか、たくさんでてきます!
https://twitter.com/1192j1ng0r0296/status/1312113733095706624 ということも、当たり前のように起こり続けています!
これらを本質レベルで変えていこうという人が増えないと、「ごっこ遊び」は確実に続くことを意味します。