ピアジェの『教育の未来』の第2回目のテーマは、教育改革の最大のテーマの教師の養成と研修です。
わが国においても、その方法がわからないことが最大の問題であり続けています。
文科省や教育委員会(や大学)も、その方法がわからないので、教科書でごまかしている部分が多分にあります。ピアジェが書いているように「いかほど立派な教育計画をたてても何の役にも立たない」のに。エネルギーのかけ方がずれているわけです。しかし、彼らにとっては教育を管理しやすい手段ではあるわけです。(マスコミも、「教科書」「教科書」騒ぎますし、「教科書」を題材にした番組もたくさん作り、「教科書神話」を上塗りするのに大きな負の役割を担い続けています。)
56ページの部分は、何の疑問ももたないで、すんなり読めてしまうかもしれませんが、「個人のもっているいろいろな可能性を、有効かつ有益な形で社会の中に発現させる」のにいまの学校や授業が合っているかというと、まったく合っていません。それは、ピアジェのこの本の今日紹介する以外の部分に書かれていることからも明らかです。そして、上(=38ページ)との関連では、教師たちがそれができるように養成・研修されていないのですから。
38 教員の養成の問題こそは、これから行われるべき教育改革のすべてに先立って解決されなければならない問題なのです。それというのも、この問題が満足すべき形で解決されぬ限り、いかほど立派な教育計画をたてても何の役にも立たないからです。
43 世界人権宣言第26条 = 教育に関する部分
56 教育を受ける権利とは、個人にとっては、自分のもっている可能性に応じて正常に成長する権利以外の何ものでもないでしょう。またそれは、社会にとっては、個人のもっているいろいろな可能性を、有効かつ有益なかたちで社会の中に発現させる義務以外の何ものでもないのです。
→ と同時に、社会の問題を解決・改善しようとする場合に、基本になるのは教育の質です。そして、それをよくしようと思ったら、教師の質をよくするしかないのですが...
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