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2011年6月12日日曜日

『逆説の日本史』第17巻

 テーマは、「アイヌ民族と幕府崩壊の謎」です。

 私たちは、1853年のペリーの黒船による浦賀来航によって開国したと思っていますが(それは、日本の歴史教育の結果!)、実は、そのはるか前からその予兆はあったにもかかわらず、時の政権担当者たちが、その無能さゆえに全部それらを握りつぶしていたのが原因だったというのです。

 どれだけの予兆があったかというと、

・ 1786年:田沼意次によって行われた「蝦夷地調査」「蝦夷開発計画」が松平定信によって中止される(「葬り去られた」という方が正しいぐらい)

・ 1792年:林子平の『海国兵談』の出版禁止。ロシア船エカテリーナ2世号が漂流民の大黒屋光太夫らを伴い、根室に来航。これも、松平定信の「業績」。

・ 1804年:ロシア使節レザノフが巨大戦艦ナデジュタ号で長崎に入港。愚劣な外交でレザノフを激怒させ、その部下フヴォストフが択捉島、礼文島、利尻島などを攻撃し略奪する。

・ 1808年:オランダ国旗を掲げて長崎に来航したイギリス船フェートン号が、やりたい放題をして去る。(なお、この時点で地球上にオランダ国旗がなびいていたのは、長崎の出島のみ) ~ この事件がきっかけで、佐賀藩は教育、財政建て直し、火薬製造、蒸気船の開発などを発展させることになるが、幕府は動かず。

・ 1837年:アメリカ人の民間人チャールズ・キングがモリソン号で江戸湾に来航。フェートン号の反動で、砲撃を加えて追い返してしまう。

・ 1839年:蛮社の獄。高野長英の『戊戌夢物語』(モリソン号を打ち払ったことがいかに無謀であるかを夢中での知識人との討議という形で記し、江戸幕府の対外態度を批判した内容)。渡辺崋山の『慎機論』(幕府の年来の対外政策への不満を記した内容)。


   これらすべてを当時の幕府の政権担当者たちは、握りつぶしていたのですが、上に書いた佐賀藩をはじめ、長州藩と薩摩藩は目が覚めて、財政再建に動いたことが倒幕につながるきっかけになりました。 (1)

 スリーマイルやチェルノブイリから、いったい原発に携わる人たち(政府、電力会社、研究者、自治体等)は何を学び、どのようなアクションをとっていたのでしょうか? (2)

 同じことは、教育や学校についても言えてしまいます。 (3)

   (1) は、鎖国神話。
   (2) は、安全神話。
   (3) は、教科書神話、テスト神話、教えること=学ぶこと神話がはびこっています。

 過去と現実から学ぶ大切さと同時に、神話にまどわされない勇気を持ちたいです。
 (1)~(3)以外の分野では、どんな神話があるでしょうか?

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