★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2013年4月11日木曜日

『子どもの文化人類学』 6



原さんの本の最終回です。

201 日本に帰って来て、まわりを見まわしたとき、子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました・・・・日本でも職人の世界では、「自分で覚える」ということを大事にしていたようです。
  幼児に「自分で覚える喜び」を深く体験している子どもだったら、中学や高校のカリキュラムに押されそうになる生活の中にあっても、自分の世界を築く自身を失わない十代を過ごし得るのではないでしょうか。
  そのためには、「よく観て」、「自分でやってみる」という時間が必要です。そしておとなの側に、それを待ってやるゆとりが必要であるように思われます。

204 人間の子どもというものは、どんな社会に生まれようと非常に幅広い可能性を内包しながら成長する力をもっていることが実感として迫ってまいります。大人は子どもが自ら育ってゆく力を信じて手を貸してあげられるだけなのではないかと思われます。
  どんな子どもでも、その子ども一人にしかそなわっていない面白さや悩みや才能があって、それらの特性が子どもの人生のどの時期にどのような形で本人によって体験されるかは、親ですら、担任の先生ですらはかり知ることのできないもののようです。それなのに大人の側で、あまりにも強力な鋳型にはめようとすると、どこかに無理が生じます。一人ひとりの大人としては、子どもたちに、「自分はこうやって生きているんだ」ということを見てもらう以外ないのかもしれません。 →  じゃ、ヘヤー・インディアンに学んだことを全部取り入れるの? あるいは、『ギヴァー』の中でされていることは、やはり極めて陳腐なやり方としか言えないの? 12歳の儀式に至るプロセスのこと。
205 私自身の子育ては、私にとって一番無理なく楽しいやり方でいくしかありません。ですから、息子は私に育てられることによって生ずる歪みも妙味も、もろに体験しているだろうと思います。 ← これに関連して、鶴見俊輔さんが繰り返しいろいろな本で書いている母親からの愛情=折檻=児童虐待的なものも含めて??

 日本の社会と比較して、ギヴァーのコミュニティはいかにヘヤー・インディアンの社会に近いか、と思った。
原さんは日本の親子関係を含めて、学ぶ-教えるの関係にも警笛を鳴らしている。ヘヤー・インディアンのあり方こそ省みられるべきではないか、と。
でも、それは日本では縄文時代にあったこと? あるいは、江戸や明治、昭和も戦後すぐぐらいまでの時代に。(ある意味で、全国の商店街の衰退と深くかかわる問題?!)

1 件のコメント:

  1. この本に書かれていたことの「ほとんどすべて」が、フィリップ・アリエが『の誕生』で書いていることとオーバーラップする!? とくに、1~2ページ。死の捉え方も??? 
    ちゃんと、読まなくちゃ! でも、厚すぎる。

    返信削除