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2013年6月24日月曜日

集団自決は「すり込まれた忠誠心」



集団自決、すり込まれた忠誠心 沖縄戦「慰霊の日」


昨日の式典★で、話した人たちは、みんな「平和への誓い」を述べていました。
しかし、現実は、ひょっとしたら、世界で一番面積あたりの基地(それも、日本のではなく、依然として米軍)の面積が多い状態が続いているところです。
そんな中での「平和への誓い」が空しく聞こえたのは、私だけでしょうか?

大切な日であることはわかります。
死ななくていいたくさんの人たちが亡くなったわけですから。それも、「すり込まれた忠誠心」で。

同じことは、広島や長崎の原爆記念日にも言えますし、東京大空襲を含めた、各地の空襲を記念した式典にも言えます。

しかし、あまりにもあの戦争を被害者の視点だけで見ている限りは、見落としてしまうことがあります。
ここ20年近く(?)、12月8日に関しては報道されることがなくなってしまいました。
アメリカとの戦争開始をもって、日本の第二次世界大戦ははじまったわけではありませんが★★、なぜはじめてしまったのか、を問い続けないと、「繰り返しません過ちは」とか「世界平和の願いを願います」と言ったところで、繰り返されるだけのように思います。過去の歴史から何も学んでいないのですから。


★ NHKのラジオで聞いたのですが、NHKは公共放送なのですから、もっと頻繁にこういうやる必要があります(もちろん、野球放送のように単に右から左に流すだけのような考えない番組ではない、考える番組が前提ですが)。毎週、「のど自慢」ではあまりにも「虚構の平和」を装い続ける手段でしかありませんから。

★★ 日露戦争で勝ってもいないのに、あたかも勝ったがごとく装ったことが(ポーツマス条約では、それを反映した結果だったわけですから)すべての間違いの始まり、という節が妥当の気がします。勝った(=負けなかった)ように見せかけることが、少なくとも当時の陸軍指導部の戦争を始める前からの腹づもりでした。

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