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2010年6月26日土曜日

『ギヴァー』を書き始める前、考える材料はどこから来たのか?

 前日「ローリーさんは、書き始める前に長い間考える」と書きました。それも、「主人公を中心に登場人物たちが躍動するようにイメージでき」るぐらいまで。

 でも、『ギヴァー』の場合、その考える材料になっている体験はどこから来ていたのでしょうか?

 最初の体験は、彼女が戦後すぐの日本に家族と来たときでした。

 いまの代々木の旧オリンピックの選手村があったあたりはワシントンハイツと呼ばれ、米軍疎開になっていたようです。いまの厚木界隈や沖縄など米軍基地が点在しているところをイメージすればわかると思います。いわゆる広い芝生に大きな家が点在しているアメリカ式の住環境が整っているところです。その周りはフェンスで囲まれ、当時の渋谷界隈は戦後すぐですから雑念としていたと思います。

 当時まだ9歳だったローリーさんは、その囲いの中から出て、彼女にとってはまったくの<よそ>の世界である渋谷に来ることが好きだったようです。囲いの中は言葉も通じるし、安全です。囲いの外は、言葉も通じないし、危ないかもしれない場所でした。

 次の体験は、アメリカの大学で寮生活をした時のことだったそうです。

 14人の女子学生が一緒に暮らしていたらしいのですが、13人は同じような格好をし、同じように話をしていました。しかし、一人だけまったく違っていたのです。13人がしたことは、その一人があたかもそこに存在していないかのように無視し続けたそうです。異質なものは排除し、なじめる仲間だけで安全に、波風を立てない過ごし方を選択したわけです。この体験も、考える材料の核の一つになっているようです。

 講談社版の表紙の男との出会いも、ローリーさんにとっては大きな体験だったようです。色の感覚が違うことの発見でした。プロには、見える色が普通の人とは微妙に違っていることの。その人がのちに目が見えなくなってしまったことが、彼女に表紙に使わせてしまう判断までさせたぐらいですから。

 他にも書ききれないぐらいたくさんの体験が考える材料になっているわけですが、彼女が本を執筆するころ、自分の両親の死が間近に迫っていたことも、「記憶」ということにこだわる材料を提供したようです。お母さんの方は、最後まで記憶が鮮明だったのに対して、お父さんの方は若くして亡くなった長女(ローリーさんにとってはお姉さん)のことも定かでないようなおぼつかない記憶しか持ち合わせていなかったからです。

 このようなさまざまな個人的な体験を構成しなおして、深みと広がりのある一つのストーリーを作り出していく作家の仕事は、すごいものだとつくづく思いました。

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannete Sanderson, Scholastic, p. 9-11)

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