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2010年7月31日土曜日

 これまでは思ったこともなかったのですが、「夢」というのも『ギヴァー』の一つのテーマであるような気がしてきました。

 しかし、それは私たちが持っている夢とは大分種類の違う夢です。
 職業にしても、配偶者にしても、家族にしても。
 すべては<長老委員会>から「あてがわれる」のですから。
 ジョナスをはじめ、コミュニティの人たちにとっての夢は常に「気がかり」  (10ページ)のレベルです。

 しかし、そのコミュニティを飛び出したジョナスだけは、<長老委員会>が細心の注意を払ってなされる決断の枠の外にも飛び出して、真の夢を見始めた気がします。ローリーさんは、本の最後ではまさにそういうことを描いてくれていたのかもしれません。

 夢を夢として描けることの大切さ、大事にしていきたいですが、私たちの社会はどうも『ギヴァー』の中で描かれているコミュニティに近づきつつあるようです。

 夢は、どこかの偉い人が授けてくれるものではありません。たとえば、最近だとアメリカのオバマ大統領のような人が。(日本の政治家は幻想を抱かせるパワーさえ失っているようです。2009年8月の「政権交代」は民主党に単に騙されただけ? 長い自民党政権、そしてその後の政党らしい体裁をなしてさえいない民主党政権によって、多くの選挙民は無力感を味わっています。政治では何も変わらないんだ、と。ジョナスのコミュニティでいえば、<長老委員会>に任せておいても「何も変わらない」のと同じように。)

 変わらない理由は別に為政者や長老たち(要するに、「力を持っている人たち」)にあるだけでなく、私たち自身にも同じレベルであると思います。その原因といえるものが、私たちの生活のあらゆるところにはびこっていますから。それらに気づき、改めていく努力を自分たち自身がしない限りは、誰かが直してくれることなど期待できるはずもありません。

 要するには、自分の夢のためには、ジョナスがしたように、自分自身が行動を起こすしか方法はないんだと思います。

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