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2010年4月4日日曜日

もう一つおまけの竜馬との接点

おまけで、竜馬との接点をもう一つだけ。
(しつこくなりますから、もうやめますし、どなたかが他の関連を教えてくれないかぎり、私にはもう思いつきません!!)

『龍馬伝』は、岩崎弥太郎が追想する形で描かれています。
(司馬さんの『竜馬がゆく』は、岩崎弥太郎との関係にこだわって書いてあったような記憶はありませんが、基本的な二人の人間関係は『龍馬伝』と似ていると思いました。というよりも、順番的には、『龍馬伝』の方が『竜馬がゆく』を参考にしているわけですが。)

岩崎は、「竜馬が嫌いでも、好き」というか「憎めない」存在だったのです。

それは、前回も書いたように両者が「遠くを見つめる目」「未来を見つめる目」をもっていたからかもしれません。「郷士」という土佐藩特有の制度の中で、同じ身分に位置していたこともあったかもしれません(実質的には、竜馬の家族はかなり裕福だったのですが)。

しかし、何よりも大きかったのは、「竜馬の私心のなさ」というか「弱さ」に起因しているような気がします。それに対して、岩崎本人はある意味で私服を肥やす方向をばく進したわけですから、「あいつには、かなわない」「申し訳ない」という気持ちがあったのかもしれません。
このことと関連するのですが、竜馬の人間関係の築き方のうまさです。相手が誰であろうと、関係ないんです。同じ目線で話せてしまうような才能をもっていた感じです。身分制度が明快だった時代に、これはまさに時代を突き抜けています。

日本の歴史の中でかなり重要な時に、極めて短い間、竜馬はこうした類い稀なる才能を駆使して、言葉は悪いですが「他人の褌で相撲を取り続ける」ことができたんだと思います。

ジョナスは、そういうことをする年齢まではいっていませんでしたが、「遠くを見つめる目」「未来を見つめる目」は間違いなくもっていましたし、竜馬と同じように人が「好きになる、少なくとも嫌われない」側面と、「私心のなさ、ないし弱さ」の側面も併せ持っていた気がするのです。

「人間関係の築き方」に関しては、竜馬のレベルまではいっていませんが、十分にその可能性は持ち合わせていた気がします。ギヴァーとの接し方やゲイブリエルとの接し方や友だち・家族との接し方などから判断して。

また一つ、学ばせてもらいました。

1 件のコメント:

  1. 吉田 新一郎 様

    ご無沙汰しておりまして、申し訳ありません。
    北九州の夢追塾でお世話になりました、末川です。
    私のメール環境のせいで、先生がこのようなプロジェクトを立ち上げていることを、つい先日始めて知りました。
    おめでとうございます。
    メールをお送りしたいのですが、私のメールが現在受信が出来ても、送信ができない状態です。
    メールがお送りできるようになるまで、ブログを拝見してゆきながら、ご協力したいと思います。
    竜馬については、何も知らないです。すみません。

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