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2010年4月5日月曜日

コミュニティについて 5

スウェーデンのオレブロ市の「よりよいコミュニティをつくりだす」ためのたゆまぬ努力の紹介の続きです。

4の1~4では、小中学校を紹介しましたが、今度は高校です。

訪ねたのは、カロリンスカ高校で、学校の設立はなんと14世紀にさかのぼるとか。35年ほど前までは、伝統的な男子校だったそうです。

オレブロ市内にある高校では、全部16のコースが提供されていますが、そのうちカロリンスカ高校が提供しているのは、科学と社会科学と芸術の3コースのみ。この学校には、約千人の生徒が学んでおり、各クラスからそれぞれ2名で構成される生徒会が存在し(1クラス平均約30人で、35クラスあるので、生徒会の役員数は70人)、そのうち7人が理事として選ばれ(男4人、女3人)、3週間に1回集まりを持っています。

このうちの6人と約1時間話をすることができました。19歳が3人、18歳が2人。17歳が1人。専攻は、環境科学が1人、社会科学が2人、演劇が2人、音楽が1人、そして言語が1人。

このうち、大学に高校卒業後すぐに行くと答えたのは、なんとゼロ人!! 芸術系の人は、「大学が必ずしもベストではない」というし、科学系の人も、「何をやりたいかはっきりしないので、1~2年は何か別なことをしたい」というし、言語をやりたい人も、「1年間フランスに行ってフランス語をやって来たい」と言っていました。★

★ アメリカはそうでもありませんが、ヨーロッパでは、この高校と大学の間に数年の時間をおく、というのは、もう大分前から当たり前になっています。大学に入れる資格は持ちながらも、「選択的入学拒否」をすることが当然になっているのです。

いろいろ経緯で理事になってしまい、かなりの時間を使っているので、一人以外は成績も落ちているが、「自分たちにっては非常にいい勉強になっている」と声をそろえて言っていました。

その最大の理由は、「生徒がつくる民主的な学校(student democracy)」に関心を持つようになったから。この“生徒のより積極的な授業や学校への関与”ということについては、校長、校長を任命した教育委員会、そして国レベルの教育省もバックアップしています。

どういうことかというと、「まだ多数の生徒は、学校が提供するものを何の抵抗もなしに受け入れている。たとえ不満があっても、愚痴をこぼすだけ。不満を言ったところで、変わらないと思っているし、効果的な発言の仕方もわからない。しかし、自分たちはおかしいところは変えていきたいと思っている。よりよい学びの場、学びの環境をつくっていきたいと思う。つい先月、校長がストックホルムの私立の学校でプロジェクトを中心に据えて学んでいる学校を訪問させてくれ、そこで見たことや感じたことを職員会議で報告させてくれたし、生徒会でも報告した。もっといい勉強に仕方があることがわかったから、変えていきたいと思う。プロジェクトを中心に据えて学ぶと、もっと深く学べることは確か。成績のつけ方が相対評価から絶対評価に(94年に)変わったのも、大きな前進だが、問題はまだ成績が歴然と存在するということ。しかし、今までよりは生徒同士が助け合うようになったことは確か」と、説明してくれました。

こうした生徒たちの発言を、校長はまったく口をはさまずに、しかし笑みを浮かべるようにして喜んで聞いている風景は、ちょっと考えられないというか、うらやましいとさえ思いました。

コミュニティの4-3で紹介したように、小中学校では、プロジェクト学習はすでに導入されていましたから、高校の方がこの点については後追い的になっています。
だからといって、教師たちは何もしていないかというと、そんなことはありません。授業に関しては、従来の講義形式のものから、生徒が主体的に学ぶことを助ける教え方への転換に努力しつつありますし、複数の教科を同時に教える教え方も模索中でした。これには、抵抗を示す教員も少なくないそうですが、すでに主流になりつつあります。なお、教員の教え方の改善ということに関しては、(1)自分の教え方を振り返るアプローチと、(2)子どもたちの多様な学び方に対応した多様な教え方(具体的には、4-3で紹介したマルチ能力など)を教師が身につけることが、大きな課題になっているそうです。

以上は、すべて96年当時のことですから、それから15年近くが過ぎています。さらにここで紹介した延長線上での努力が続いているわけですが、それに対して、日本は振り子がまた元のほうに戻ってしまった状態です。要するに、学力維持には「詰め込みしかない」と。残念ながら、教科書のページ数を3割近く増やすことで、それが実現されることではないことを教育行政にかかわっている方々はご存知ないようです。もちろん、「教科書」というものに幻想を持ち続けている危険な状態も維持され続けているわけですが...文科省(だけでなくマスコミや学会等もですが)は、それによって教育をコントロールできると信じ続けています。すでに、ジョナスの住んでいたコミュニティの教育を実現している日本の教育といえるかもしれません。

1 件のコメント:

  1. そういえば、上では「まったく口をはさまずに、笑みを浮かべ」て生徒たちと私のやり取りを聞いていた校長のことについて、まったく触れませんでした。

    あとでこの学校の教員の一人に聞いたことですが、4年前に今の校長が就任した時は、大きな問題になったそうで、それは4年後も尾を引いていたそうです。特に、年を取った教員たちは、男のこの学校生え抜きの教員を校長に推したそうですが、教育委員会が(成人教育機関のフォークハイスクールで仕事をしていた)今の女性校長をあえて選んだというのです。学校改革を推し進めようという、政治的な選択でした。

    よりよい学びの場にするための努力というか挑戦が確実に行われていることを感じました。それに対して、日本の現状は(96年当時も、そして政権が変わった今も)、残念ながら足踏み状態が続いているか、まるで逆方向に進んでいるとしか思えません。

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