言葉を大事にしているとは言い難い、自分への戒めを込めて書きます。
主人公の「ジョナスは、言葉の使い方について慎重だった」(8ページ)
12歳の儀式を待つ自分の気持ちをあれこれ考えた末、「怖い」ではなくて、「待ちきれない」ないし「気がかり」だと結論づけました。
『14歳からの哲学』(池田晶子著)には、「言葉というものは、現実に存在するものを言うだけではなくて、現実には存在しないもののことをも言うことができる」(28ページ)と書いてあり、前者は物のことであり、後者は思いや感じや考えのことを指します。そして、このことは当たり前のことですねと言った後で、「考えるためには、何よりもまず当たり前なことに気づくことだ。あれこれの知識を覚えるのも大事だけれど、一番大事なことは当たり前なことに気がつくことなんだ」(31ページ)と書いています。
ジョナスは、その当たり前のことに気がつけた人でした。ギヴァーと二人だけだったのかもしれません。
悲しいかな、この私たちの社会も『ギヴァー』のコミュニティと同じように、この当たり前のことに気づけない現象があまりにも多すぎると思うのです。
そして、昨日引用した(36ページの)「言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ」や「真面目に生きようって感じになるはずだ」(37ページ)とつながっています。
つながりを感じたのは、私だけでしょうか?
私たちの社会で「当たり前のことに気づけない」
返信削除状況とは、「悪習」の中で時間と労力を費やし続ける
ことを意味します。
「悪い習慣」を別な言葉でいうと、
「ボタンの掛け違え」とも言えると思います。
すべての分野で言えることですが、特に、政治と
教育は目を覆うばかりです。