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2010年4月25日日曜日

コミュニケーション

 この本で、気になっていたことの一つが、毎日、朝と夜の日課になっている「夢の共有」(49ページ~)と「感情共有」(10ページ~)、そして「公式謝罪」(=決められた謝罪のフレーズ、8ページなど)です。

 前の2つに関しては、振り返りの大切さは認めますが、カウンセリングの変形のような形で行われるそれらからいったい得るものがあるのだろうか? と思っていました。(それも、多分にジョナスの視点からの記述なので、ジョナスにとって役立っていないものは、得るものがないように書かれているだけなのかもしれませんが。)
 要するには、自然じゃないわけです。「強制」的にやらされているという感じです。
 この最後の点は、「公式謝罪」にも言えてしまいます。気持ちがこもっていないのに、ルールだから仕方なく言っているニュアンスが伝わってきます。

 どうもジョナスのコミュニティの会話は、この種のものが多いのかな~、と気になっていたわけですが、ひるがえって、私たちの社会の会話を考えてみると、決してジョナスたちのそれよりもいいとは言えません。さらに改善の努力をしているかというと、そうも言えません。しかし、『ギヴァー』の中で私たちが見本にできるようなことが書いてあるかというと、それもはなはだ疑問です。

 皆さんは、どこにいい見本があると思われますか?

 国会での議論や仕分けのやり取りでないことだけは、確かなことは分かりますが...テレビなどの中にも見当たりません。

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