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2010年5月7日金曜日

社会とは

 前回の流れを受けて、今回のテーマは「社会」にしました。
 例によって、『14歳からの哲学』(池田晶子著)からの引用です。

80 社会とはいったいなんなのだろう。それは、どこに、どのように存在しているものなのだろう。いや、そもそもそんなものは存在しているのだろうか。

 こういう問いを掲げるのが哲学なんですね。
その本質を浮き彫りにするために。
 普通は、現象面を追いかけることに振り回されて(例えば、テレビや新聞のニュースなど)、こんな問いは発しません。
 振り回されないためにこそ、本質的なことが大切なんですね!!


81 「学校」なんてものを、目で見たことのある人はいないんだ。(学校の校舎は見えます!!)なのに人は、それが何か目に見える物のように、自分の外に、自分より先に、存在しているように思い、事実そのようにして毎日を生きている。「社会」というのもこれと同じなんだ。

 その存在していないものに人間は長年左右され続けます。「洗脳され続ける」と言ったほうが正しいぐらいかもしれませんね。

82 目に見えないのに存在するもの、それは思いや考えで、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう。ちょっと難しく聞こえるけれども、ただの呼び名、つまり君がいつも思ったり考えたりしているそれのことです。
  で、「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決してモノのように自分の外に存在している何かじゃない。だって、何かを思ったり考えたりしているのは自分でしかないのだから、どうしてそれが「自分の外」に存在しているはずがあるだろう...観念が現実を作っているのであって、決してその逆じゃないんだ。

 社会は、そこには存在しないものなので、自分の思いや考えで作り出している!!!

  このことに気がつくことはすごく大事なことで、うまくこれに気がつくことができると、すべてがそんなふうにできあがっているこということもわかるはずだ。
83 「ない」のに「ある」と思い込まれたものは、当然あることになる。
  社会を変えようとするよりも先に、自分が変わるべきなんだとわかるね。何でもすぐ他人のせいにするその態度を変えるべきなんだ。だって、すべての人が他人のせいにし合っている社会が、よい社会であるわけがないじゃないか。社会は、それぞれの人の内の観念以外のものではないのだから、それぞれの人がよくなる以外に、社会をよくする方法なんてあるわけがないんだ。現実を作っているのは観念だ。観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。社会のせいにできることなんか何があるだろう。

 哲学はスゴイ!!! ここまで明快なんですね。

  世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。このことを、しっかりと自覚できるようなろう。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ。「日本」という国が、国旗や国家や国土以外のものとして存在しているのを、君は見たことがあるかい。日本なんて、どこにもない。なのに人は、それが観念であるということを忘れて、その観念のために命を賭けて戦争したりするわけだ。ある角度からみると、これはとても不思議なことだ。観念のために命を捨てるなんて芸当ができるのは、生物のうちでも人間だけだからだ。

 「非国民」のレッテルを貼る人たちにとって、哲学をする人たちがありがたくない存在であることがよくわかりました。

84 結局のところ、「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人のつくり出した観念だということだ。複数の人が集まれば、複数の観念が集まり、混合し、競い合って、その中で最も支配的な観念、つまり最も多くの人がそう思い込む観念が、その集団を支配することになる。これが言わば「時代」というものだ。「社会の動き」とは、つまり「観念の動き」であると見る習慣を身につけよう。目に見えるものに捉われず、目に見えないものを捉えることが、だんだんできるようになるはずだ。

 と同時に、「パワーを持つ」ということはその時代の「支配的な観念」をつくり出す力を持つ、ということなんですね。
 でも所詮は観念に過ぎませんから、「時代」や「社会の動き」も、そのレベルのものに過ぎないわけで...


85 みんなが思い込んでいるだけの社会通念を、ひとつひとつ正確に見抜いてゆけるようになろう。

 ギヴァーが長年かけて見抜いたことを、ジョナスは1年もしないうちに見抜いてしまったわけですからスゴイ!! もちろん、12歳になるまでに彼は素地としてそういうものを持っていたのかもしれませんが。

 でも、目に見えないものを捉えたり、みんなが思い込んでいるだけの社会通念を見抜いたりすることは出発点でしかなくて、それがゴールではないわけで...
現実的に世の中にはびこっているたくさんの(中には弊害としか言いようのない)社会通念をひっくり返すにはどうしたらいいんでしょうか? 哲学は、それにも明快な答えを提供してくれるのでしょうか? それとも、小説と同じレベルなのでしょうか?
 要するには、「それぞれの人がよくなる以外に、社会をよくする方法なんてあるわけがないんだ」に集約されるということになるんでしょうか?

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