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2010年5月19日水曜日

再び、竜馬

 テーマは、「視点によって見えるものが違う!」です。

 しばらくぶりの坂本竜馬というか龍馬伝です。

 その前に、日曜日に読んでいた本に、私たちが語る/書くことはすべてフィクションだ、ということが書いてありました。例えば、自動車事故を目撃した3人に、その経緯を聞いてみると必ず3通りの異なるストーリーが語られるはずだというのです。もちろん、全員「事実」と思っていることを語ってくれるのですが。★

 16日の龍馬伝(私は昨夜ビデオで見ました)には、いくつかの見え方の違いが紹介されていました。

(1) 土佐勤王党をつくった武智半平太や平井収二郎はじめ竜馬の友だちが見ていた世の中と、竜馬や勝海舟、さらには山内容堂や後藤象二郎が見ていたものとはまったく違っていたわけです。
 そのことを、竜馬は勝海舟と、松平春嶽のところにいた横井小楠から二度言われました。
 「物事にはまったく違った見え方があることを勝先生から教えてもらいました。攘夷も正しかったのか、間違っていたのか、見方によってまったく違う、と。いま、容堂侯に友だちは牢屋に入れられています」と竜馬が言うと、
 「時代が変われば、人の考えもものの値打ちも当然変わります。物事には違う見え方があるとわかっているのに、平井収二郎の投獄が納得できないのはおかしい。いままで値打ちがあったものが、古びて用なしになっただけ。世の流れを作っているのは人間だが、世の中の流れから見れば、一人の人間はけし粒のようなもの」と小楠が言う。
 この小楠の説明にすっきり納得できないことこそ、人間・竜馬の魅力の一つでしょうか?

(2) 幕府は、神戸の海軍操練所には金を出すが、船の乗組員を養成する大阪の海軍塾は、勝個人の私塾なので金を出さないと言い出しました。役所というのは、いつの世もハードには弱く、ソフトには強いようです。そこで、勝は竜馬を松平春嶽のところに資金提供の依頼をさせに行かせたのです。みごとな説得力で、千両を出させてしまいます。出させるために使ったのは「生き金」と「死に金」の違い ~ 死に金は、単にもの引き換えに支払うだけ。それに対して、生き金は、使う以上の何倍、何十倍にもなって戻ってくるもの。これも、見方の違い!?

(3) 龍馬伝のナレーター役も務めている岩崎弥太郎とその妻・喜勢の関係にも、同じことが言えました。二人の出会いは、弥太郎が肥溜めに落ちて糞まみれになっている時だったというのです。弥太郎は、「わしは糞まみれになって助けてくれ!と叫んでいた。おまんどうしてわしの嫁になったんじゃ? 糞まみれの男に一目惚れはおかしい! さらには、ここまで落ちぶれたわしから逃げてもおかしくないのに」と不思議に思って質問しました。喜勢は、「うらないです。よく当たる手相見に言われたきに。私を幸せにしてくれるのは、糞まみれの男の人だと」と応えました。同じ糞まみれも、視点によって最悪と最良になるわけです。

 ※ 弥太郎は、下士から商売人への転換を図ろうとしていた時期でもありました。牢屋で出会った人から、「物は人によって価値が違う」ことを教わり、木材を買い占めて売ろうとしたのですがいっこうに売れません。弥太郎が「ここまで落ちぶれたわしから逃げてもおかしくないのに」と言ったのにはそういう経緯がありました。まだ、ビジネスマンの駆け出しだったわけですし、最初から成功したわけでもなかったわけです。自分を幸せにしてくれる糞まみれだった夫に喜勢は、「売れない材木におまけをつけたら、売れるようになるかもしれん」と、突拍子もない提案をします。これも、見方の違い!!

(4) 竜馬の兄の権平が、竜馬が脱藩の罪を免じられたので、弟を連れ戻しに来ました。しかし、まんじゅう屋の長次郎の機転で、竜馬の帰りを待っている間に海軍塾を権平に体験させてしまって、どれだけ大切なのかをわかってもらいました。竜馬が戻って権平は、「自分のやりたいことをやったらいい」と言ってくれたのです。それに対して、「10年経ったら、必ず帰る」と応えました。この時、竜馬29歳。死まで、あと2年でした。最後の例は、見え方の違いというか、当初は違ったものが体験を経て、同じになった例ですね。

 一つの番組の中にこれだけの見方の違いが出てきてしまっては、私も書かないわけにはいかなくなってしまったのです。これだけ見え方の違いを見せられると、『ギヴァー』も、同じものの見え方の異なるストーリーと言えなくはないと思ってしまいました。


★ この事例、いずれ紹介しようと思っていた『わたし、あなた、そしてみんな』(国際理解教育センター翻訳・発行)にも紹介されていたのでビックリしました。単にお話として聞くよりも、実際にアクティビティとして体験する方がおもしろいし、インパクトもあります。

 これは、黒澤明監督の『羅生門』(芥川龍之介の『藪の中』)のテーマでもありました。歴史学者たちも、こういう視点で歴史を捉えるのが当たり前になりつつあるようです。当然、「視点によって見方が違う」のですから。誰が残した記録かや誰の視点から見るのか、でまったく違った解釈ができてしまうわけです。

1 件のコメント:

  1. 4つの違いについては、ずっと考え続けています。他にもなかったかと。

    (1)については、同じ時代に生きていた人たちとして、『遠い崖 ~アーネスト・サトウ日記抄』(萩原延壽著、朝日新聞社)に登場する当時の欧米諸国の代表たちや、そうした欧米からの来訪者たち(例えば、サトウやチェンバレンやイザベラ・バードなど)が書いた「普通の日本人」もたくさんいました。

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