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2010年5月29日土曜日

存在の謎

 いよいよ池田さんの本(『14歳からの哲学』)の最後のテーマです。
 最初に読んだ時には、こんなテーマが『ギヴァー』と関係あるとは思えませんでした。しかし、他の章もそういうところがあったので、「ちょっとは関係あるかな」と、2回、3回と難しい内容を繰り返し読むうちに、徐々につながりを感じてきました。

192 そもそも、「わかる」ということは、どういうことなのだろう。
195 自分で考えて知ることだけが「知る」ということの本当の意味で、知識を覚えて知っているだけのことを「知る」とは言わないと言ったね...もし君が、この本に書いてあることを自分で考えて、自分の知識として確実に知ったのなら、君の生き方考え方は、必ず変わる。変わるはずなんだ。本当に知る、「わかる」とは、つまり、そういうことなんだ。

 最後のテーマは、タイトルでは「存在の謎」になっていましたが、内容的には「わかる=変わる」なんですね。哲学は、難しい本を読むことではなくて、極めて行動的なもんなんですね。しかし、圧倒的多数の「哲学者」のイメージは、「考える人」ではあっても、「行動する人」というイメージはないのはどうして? 私が実態をちゃんと捉えていないから? 職業化してしまっているから?


196 考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。どうしてそうなると君は思う。

 「問いそのものと化す」??? ひたすら考え続けるということ?

197 謎が存在するからだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。だって、謎に答えがあったら、それは謎ではないじゃないか。

 なるほど、謎を考えているのだから、考えても、さっぱりわからないとはっきりわかるだけだ。

 それじゃ、「わかる=変わる」は、どうなってしまうのですか???

だから考えたってしようがないかというと、まさかそんなことはない。謎とは、自分の人生、この生き死に、この自分に他ならないのだったね。さっぱりわからないものを生きて死ぬということが、はっきりわかっているということは、自覚すること、人生の覚悟だ。だから、とても力強く生きて死ぬことができるんだ。さあ、君はどうする。

 「考えても、さっぱりわからない」中で、「自覚し、覚悟を決めて」もがき続ける、ということ???

 「読む」ということは、それ自体が、「考える」ということなんだ。
 「本を読む」ということは、わからないことをともに考えてゆくということなんだ。

  読む=考えるはわかりますが、でも、読み続ければ/考え続ければ「わかり」、そして「変わる」というふうにつながるでしょうか?  つながるような、読み方・考え方をしないとまずい気はしますが...

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