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2010年8月2日月曜日

続・『ギヴァー』というタイトル

   『ギヴァー』のタイトルに関連したメールをMさんからいただきましたので、そのまま下に貼り付けます。(ですから、ちょっと長いです。)

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GIVER とRECEIVER の人生は 「生」そして 「死」があると思うけれど

あの本の中の 他の人たちの人生は 生の実感が 希薄な バーチャルな 実態の無い 人生のような気がする

思えば 現代の先進国の生活は いろいろ 管理されて 安全になってきていて 


それに伴い 生の実感が薄いものになっているような 気がする


先進国の日本では毎年3万人が自殺し

発展途上国では 自殺なんてする人は あまりいないという

日本では 交通事故で毎年1万人死亡し

関西大震災では6000人亡くなって 大災害というのに

自殺が3万?

これって どういうこと?


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生きるということと死ぬということに関して

私は、死と言うことに関して

40を超えた今

こんな考えを持っています。


”死”ということは、自分というものを失うこと。

自分が一番大事な、そんな間は

自分の死が 全てを失うようで怖い


でも、もしそうでない状態があるとしたら

それは 自分より大切な存在が この世に出来たとき



最初 人間は 自分を一番愛して 生まれてくると思います。

人より 自分が大事

自分が 幸せになりたいし

自分がおいしいものを食べたいし



でも、自分より大切な存在が出来たとき

その時 死は ずっと受け入れやすくなり

穏やかにバトンタッチしていけると思います。



それが 自分の血を分けた子供であったり

家族であったり



最近講演を聴いて感動したアフガンで水路を掘り続ける日本人医師

彼は もっと広く 自分の大切な存在を語るだろう

海外の人々の幸せを願って 水路を造って

そこに住む人々のために骨身を惜しまず尽くす人

彼は言った もうこの活動を(治安が悪くなって)できなくなるかもしれない

だから、今 少しでも 多くの人たちに水が送れるように 

突貫工事で できるだけ やる



協力隊で 海外で ボランティア活動をしている人たちが

世界の人たちの 幸せを願うとき 彼らは 自分たちが愛する人を 

広く 思い浮かべることだろう



私は 自分の子供が生まれたとき

とっても 大事な存在が出来た


生まれたときは すごい顔をしていた

チアノーゼで 青黒く

実の弟は 埴輪みたいな顔と 皆が気にして言えなかった本当の感想を言った

でも 私は 生きていてくれて嬉しかった



病気で 産めないと言われていた

自分の(膵臓のポリープ)の経過観察のため3ヶ月おきに

CTを受けなくてはならなかった

胃腸科の担当医には 婦人科へ行って相談してきなさいと言われた



婦人科では 子供はまた 産める

5ヶ月になる前に おろす必要があると言われた



6ヶ月経って 婦人科へ行った・・・



今 元気に 生活している

びっくりするくらい 健康で 小学校一年生になった



私の方は、 彼が生まれて 一緒に退院する日に

一応検査してもらったら ポリープが大きくなっていたので

2ヶ月後に 手術することになった



手術してみたら 良性だった 二人とも 大丈夫だった



病気の身体から 元気な身体が生まれたら 儲けもんだと思った

これがロボットなら 新品が 出てくるなんて あり得ない

人間ってすごいな



子供のおかげで 育児休暇中に 全てが 終わり



今 こうして 生きて 働いている



あの時 自分が死んでしまうかも知れないと思ったけれど

子供が 生きていてくれたらいいなと 思った



教師をしていて たくさんの子供達と関われるのは 

幸せなこと



彼らに 自分の思いや何かを 託しているような気もする

感動したこと 大切に思っていること 

広い視野を持って 生きていって欲しいこと



国際青年の村というイベントを通して

世界の人々に出会った

すごい感動だった

伝えたいこと

自分が感動したこと



giverの気持ち

giverとなって 他の人に 命や 思いを 託していったら


いや 受け継いでくれなくても

大切な存在が生きていてくれたら



自分は 1人だけの時よりも

ずっと 安心して この世に お別れが出来るような気がする



自分よりも大切なものが この世に いること



それが 死を超える 鍵かなと



そんなことを 考えている



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だから 

GIVER 



受ける側ではなく giverが

本の題になっているのは ずっと 不思議だったけれど



giverが 苦しい記憶を受け継ぐのは 辛いと思いながらも

この 人生を 生身のまま 本物 (いいことも悪いことも)

託していく のは



その存在が 生きていくのを 



そのまま 受け入れている

そして その存在の 幸も不幸も含めた 生きるという 過程を

受け入れている



そして

自分の生も 死も 実態のある 本物の生と死を

受け入れている

この人生を 歩んでいる



そういうことなのかもしれない


そんな風に 思っている

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