『親鸞』の下の「殺生、ということ一つとってみても、人はほかの命を食することで生きている。肉食をさけることはよい。しかし、稲や麦には命がないのか。草にも、木にも、仏性があると比叡山でも教えているのではないか。牛にも、魚にも、鳥にも、そして粟や稗にも命があり、生きる本能がある。すべての命が平等だとすれば、わたしはそれを犯して生きざるを得ない悪人ではないか」(164ページ)を読んでいて思いついたことです。
いったいジョナスやリリーたちは、毎日どんなものを食べていると思われますか。
ジョナスたちが食べていた献立を考えてみる、というのはどうでしょうか?
肉や魚は含まれていると思いますか?
さらに考えると、私たちは「生きるために、食べる」「働くために、食べる」(あるいは、「食べるために、生きる」「食べるために、働く」)わけですが、いったいジョナスのコミュニティの人たちにとって、食べるとはどういう意味のある行為なのでしょうか?
ジョナスのコミュニティでは各家庭で食事を作らないことはわかっています。
返信削除給食センターのようなところがあって、各家庭の食事をつくり、そして配達され、食器の類いは回収されているようです。
天気も管理されていますから、少なくとも野菜類はハウス栽培的な感覚でつくられていることが想像されます。