今日、紹介するのは加藤陽子著の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』です。
去年の秋には図書館にリクエストを出したのですが、長~い待ちリストに載ったきりでなかなか読めませんでした。それが、ようやく借りられました。
以下、『ギヴァー』と関連すると思われる点のメモです。
46 1930年代の日本と現代のアメリカ、1860年代のアメリカと1945年頃の日本。日本とアメリカの間には、意外な共通性がある。
しかし、こういった共通性は、ある一定の視角から眺めていなければ見つけることができなかったわけです。最初の例でいえば、戦争の「かたち」という部分に気づけるかどうか。二番目の例でいえば、巨大な戦争の後には基本的な社会秩序の書きかえがなされる、とのルソーの真理に気づけるかどうか。歴史的なものの見方ができるかどうかという場合、こうした、歴史的なものの見方に気づけるかどうか、が問われているところになります。
では、どうしたら、こうした視角、歴史的なものの見方ができるようになるでしょうか。この点こそが、歴史という学問のもっとも肝要な部分です。
47 歴史という学問は、分析をする主体である自分という人間自体が、その対象となる国家や社会のなかで呼吸をしつつ生きていかなければならない、そのような面倒な環境ですすめられます。となりますと、歴史的なものの見方というのは、いきおい、国家や社会のなかに生きる自分という人間が、たとえば、なぜ320万もの人が犠牲となる戦争を日本は行ってしまったのか、なぜ第一次世界大戦の悲惨さに学ぶことなく戦争は繰り返されたのだろうか、という「問い」に深く心を衝き動かされたときに初めて生ずるものなのだと思います。つまり、悩める人間が苦しんで発する「問い」の切実さによって導かれてくるものなのだと私には思えるのです。
(しかし、中・高・大で扱われる歴史には、そういう「問い」が欠落したままが続いているようです。そのことが、少なくとも学校で歴史を学ぶことに意味を感じさせない大きな要因のようです。)
49 「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」 E.H.カー
(ここまでの歴史の捉え方と、『ギヴァー』の中で扱われている記憶とは、どのような関係で捉えればいいのかな? と考えてしまいます。)
70 アーネスト・メイが『歴史の教訓』の中でまとめた3つの命題:
① 外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告したりしているという自ら信じているものの影響をよく受けるということ。
② 政策形成者は通常、歴史を誤用するということ。
③ 政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることができる。
(これでは、ギヴァーががんばっても、長老たちは勝手に解釈してしまう??? その時々の政策形成者たちと同じように。)
79 人類は本当にさまざまなことを考え考えしながらも、大きな災厄を避けられずにきたのだということを感じます。私たちには、いつもすべての情報が与えられるわけではありません。けれども、与えられた情報のなかで、必死に、過去の事例を広い範囲で思いだし、最も適切な事例を探しだし、歴史を選択して用いることができるようにしたいと切に思うのです。
(ギヴァーに託されたことは、まさに「これ」??)
歴史を学ぶということ、考えてゆくことは、私たちがこれからどのように生きて、なにを選択してゆくのか、その最も大きな力となるのではないでしょうか。
(まさに、アクションをおこしたジョナス!!)
86 (一時期、田中正造にこっていた時があったのですが、足尾の鉱毒垂れ流しとイギリスのジャージン・マセソン商会が、これほど強い絆で結ばれていたとは知りませんでした!)
111 国家か個人かといったとき、自由主義的なバックボーンがないと、時代状況によって、人々は、国家のなすことすべてを是認してしまうのではないか、と第二次世界大戦が始まる直前の論文に書いた岡義武... (これって、いまでもみごとなぐらいに引き継がれている気がするのですが...)
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