3日前の 『一人で生きる勇気』の続きです。
→ 以下、51ページまでは、時間についての考察が続きます。
41 なにか理由があって、あるいは信念や目的のため、あるいは単になにか新しいことを試してみるために、自分をそんな群れから切り離し、自立するのはむずかしいものだ。そして、男性と比べて、女性にはそれがもっと面倒だ。
42 家の中の問題は仕事に優先して解決が求められる。そしてわたしたちはいつも罪悪感に悩まされるのだ。あんなことをしたと言っては悔やみ、あれをしなかったと言っては悔やむ。
自分がしていることへの不安、周囲と隔絶しているということでパニックに陥る。
44 田舎に引っ越して、わたしはものごとを考える時間ができた。それも、ことの真髄まで考えることができた。そしてある日、突然わたしは自分の不安の根源がわかったのである。気分の落ち込み、不安感、憂鬱、心配、これらすべてを集めて揺さぶったところで、結局同じところに落ちるのだ。私を支配していたのは、根本において、自由に対する恐怖感だった。
45 わたしたちは空の時間ができないようにするために、なんと忙しくしていることか!
46 空の定義は、「保有しているものや囲んでいるもののない状態」
自由の定義は、「縛られないこと、閉じこめられないこと、強制的に引き止められないこと」
2つの言葉のちがいは、ほんのわずかである。人が毎日数分進む時計に慣れるように、心を少し調整すればいいのだ。心は新しい言語を学ぶ。
この自由感、外に向かって時が開くという感じ、これが田舎に住んで経験したもっとも大きな発見だった。
47 時間についての考察
人間が便宜的に決めたシステム。
48 何事かがわたしたちの日常の殻を破るとき、時間は質的な意味合いをもつ。
マズローは、これを<ピークの瞬間>と呼ぶ。人生が急に新しい意味合いをもつときだ。 解放の瞬間。見えなかったものが見える瞬間。
49 しかしながら、ほんとうの神秘は、わたしたちが時間を量的に経験しようと質的に経験しようと、時間はまったく変わらない、変わるのはわたしたちだということだ。
いろいろなできごとで揺さぶられ、認識に到らされる。理解に到らされるのだ。決まりきった手順、習慣、自己満足、そして偏った思考に揺さぶりをかけられるのだ。ある意味では、時間に揺さぶりをかけられて、いま生きていること、大きく目を開き、自覚することを認識させられるのかもしれない。
モーリス・ニコール『リビング・タイム』 ~ 私たちは未来にために生きるように習慣付けられている。われわれはまず、いまを感じるところから始めなければならない。
50 わたしたちの世界は、いまをどう生きるか、教えない。わたしたちの社会では、すべてがそれを巧みに避けている。子どもが学校に上がると、親も教師もさっそく言い始める。つぎはなに? 用意しなさい! 大学に入れば、プレッシャーはさらに強まる。つぎはなに?
わたしたちは早くから先を考えるように仕向けられる。そしてそれをあらゆる場面に適用するのだ。いまやそう考えるのが習慣になっている。わたしたちはどこかに到着するために前方を見る。目的地がどこかはもはやほとんど問題ではない。わたしたちはすばらしい日々を夢見る。
51 「時間の引き延ばしをすべてやめるのだ。われわれが生きるのは瞬間の深みである。表面的な広がりではない」 エマーソン
わたしたちが真に躍動するのは、瞬間の中に入り込み、意識を全開にしてその瞬間を生きるときである。
「死ぬということは、人生の最期に目を閉じることではない。あまりにも少ない次元の中で生きることを選ぶことである」 (J.B.プリーストリー)
→ 最後は、スゴイ引用がつづきました!!
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