『英知の教育』のつづきです。
40 技術的知識に閉じこもった人生は、非常に狭くて限られた人生である。それは、いずれは多大の悲しみや不幸を招く。
→ 英知が必要ということ。感受性が必要ということ。
41 教師の役割は、部分的な精神だけでなく精神の全体を教育することである。正しい教育は君たちの全存在、君たちの精神の全体を養う。それは、君の精神と心に深さ、美に対する理解を与える。
→ あまりにも知識偏重の現在行われている教育。英知、感受性、精神全体へアプローチする方法をもっていない教育。その結果が、細川さんが『魂のランドスケープ』で書いていたような嘆きにつながっている。
46 他に何かあるかどうかを見出すには、いますがりついているものを手放さねばならない。もし川を渡りたければ、こちら岸から離れ去らねばならない。一方の岸に座ったままではいけない。不幸を免れたいが、しかし川を渡ろうとはしないのが世の常である。君たちは自分が知っているものにすがりつく ~ それがいかにみじめであろうと。そして川の向こう岸に何があるか知らないので、それを手放すことを恐れるのだ。
→ ここでもunlearning(間違って身につけてしまった悪い習慣を手放すこと)の大切さが強調されている。そうしない限りは、一つの物事のやり方(往々にして悪習である場合が多い)からもう一つのやり方(より効果的・効率的・生産的である場合が多い)に移行できない。慣れたいつものやり方の方が安心だから。たとえ、それが効果的・効率的ではないことは薄々知っていても。
50 学びは、恐怖がなく、いかなる権威もないときにのみ起こりうる。
→ イコールなレベルでコミュニケーションが取れるとき!!! それだけでもないような気がする。手放す決心ができた(unlearnした)ときに、新しい学び(learn)も同時にやってくるような気がする。
65 どうしたら自分を変えられるのか?
人はこれからそれへと変わることはできる。が、それは少しも変化ではない。彼らがしたことは、自分はこうあるべきだという観念の投影である。
変化とは、まず実際に「ある」がままのものに気づき、それと共に生きることである。すると人は、<見る>ことそれ自体が変化をひき起こすことがわかるだろう。
→ この辺はまさに、ドロシー・ギルマンさんが体験し、そして『一人で生きる勇気』の中で書いてくれていること。ジョナスも体験したかな?
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